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あるいはとてつもない日本のゲーム業界 『とてつもない日本』
とてつもない日本(麻生 太郎 )

秋葉原で演説会&握手会を開催したローゼン麻生こと、麻生太郎氏のまぎれもない快著。
このブログの以前からの読者なら、ご承知のとおり、僕は熱烈な日本肯定論者である。とりわけゲームに関しては、自分で言うのもなんだが、熱烈というより爆裂している日本肯定論者だと思う。
この『とてつもない日本』を矮小化して、『とてつもない日本のゲーム業界』に書き直せば、そのまま通用する。そして僕がこのブログや以前のブログで主張してきた事とも大きくかぶる。ゲーム業界関係者は全員、この本を買って読むべきだろう。CESAも東京ゲームショウでこの本を配ったらどうだ? それぐらいの価値がある。
日本は世界の実践的先駆者
麻生氏によれば、日本はアジアの実践的先駆者だという。実践的先駆者は、その地域でまず一番始めに新しい問題にぶち当たる役割を担う。常にエレガントな解決策を示せるとは限らないが、苦闘している姿そのものが後に続く他国の人々にとって、大いに参考になる。ナショナリズムの昂揚、環境問題、少子高齢化。日本は失敗も繰り返しているが、失敗と成功の両方がノウハウになり、アジア諸国の参考になっているのは確かだ。
ゲームにおいて、日本はアジアどころか、欧米に対しても実践的先駆者となっている。日本で起きた変化が時間差をおいて欧米でも起こる、という考え方はゲーム業界人の間でとても根強い。とはいえ、それが一瞬揺らいだ事もあった。DSとPSPのシェア争いが起きた数年前、「日本と米国は別物。日本では性能の低いDSが流行ったが、米国では性能の低い機械は売れない。PSPが勝つ」という意見が流れた。しかし実際どうだったろうか?
もちろん同じことがWii/PS3/XBOX360にもいえる。むしろこの世代では、日本での変化がより増幅されて、欧米で起きている気さえする。「ゲーム離れ」という問題に先にぶち当たった日本のゲーム企業は苦悶し、ある企業はネット関連事業を強化し、ある企業は海外戦略を強化し、さまざまな試行錯誤があった。結果論だけでいえば、任天堂が出した答えが市場で成功し、その回答はまだ「ゲーム離れ」が顕在化しきってなかった欧米でも強く効いた。でもその他の企業が試行錯誤した過程そのものが無駄だったわけではない。
先駆者としての自覚と責任
ところが先駆者としての責任を放棄する議論も、一部には存在した。国内市場が縮小していた頃、日本のゲーム関係者の一部は「欧米ゲーム産業礼賛主義」という病気にかかってしまった。
これからゲーム産業は映画産業のようになる、ハリウッドとの連携を深める米国のゲーム産業を見習わなければ! という妄想に取り憑かれたのだ。当時の理想モデルはEAだったが、今となってはお笑い種。乗るべき馬を間違えたEAは失速し、今や時代の旗手はUbiである。
僕は欧米のゲームを否定する気はないし、向こうのゲーム制作者から学ぶべき点も多いと思っているが、一方でそろそろ無根拠なハリウッドコンプレックスから自由になってもいい。むしろ先駆者として、率先して新しい問題にぶつかっていこう。日本は欧米に追い抜かれたなどと、事実と反する妄想に逃避してはいけない。そういう意味では、CESA会長であるスクウェアエニックスの和田社長の発言はすばらしい卓見に満ちている。
2007年下期は据え置き機にも期待〜ゲーム業界は世界戦略が必須に
実際、テレビゲームと家電はハードウェア、ソフトウェア、設定環境で共通点が多く、じつに親和性が高い。商品としては失敗したが、ソニーが「PSX」のような発想をするのもわからないではないし、ゲームのノウハウを家電などに持ち込もうとする「ゲームニクス」思想も、一定の説得力がある。またゲーム、家電、自動車、いずれも日本が世界に誇る産業であり、産業間での協力もこれから進んでいく可能性がある。
少子高齢化
それにしても、麻生氏の「肯定力」はすさまじい。どこか暗いイメージのある「高齢化社会」についても、認識を改めるべきだと説いている。
しかし麻生氏によれば、まだ取り組みは甘い。高齢者を重要な消費者と考えるなら、商品やサービスの企画・開発を若者に担当させているのはおかしいと指摘する。「若い人は実際に身につまされていないから、高齢者が本当に求めている商品やサービスの開発は難しいと、経営者は思わないのだろうか」は、過激な意見だとしても、うなずける部分はある。
【GDC2006リポート】ニンテンドーDSで『ゼルダの伝説』が発売
とてつもない底力
他にもこの本から得られるものは多い。後半には純粋に政治の話も多いが、苦手なら読み飛ばしてもかまわないだろう。あとがきによれば、麻生氏は自分を若者と縁が薄い政治家だと考えていたそうだ。しかし去年の自民党の総裁選のなか、秋葉原の駅前で「自称オタクの皆さん」と呼びかけたことをきっかけに、麻生氏の演説が妙にオタク(や若いネットユーザー)に受け始める。
その「手応え」をきっかけに、若者の力をあらためて認識し、日本のとてつもない底力を痛感したという。再び話を矮小化させて申し訳ないが、日本のゲーム業界にも同じ事がいえる。何度か書いているので、耳タコな方も多いだろうが、あえて繰り返させてほしい。日本の良質なユーザー層こそ、日本のゲーム産業の宝である、と。
2002年〜2003年、国内市場が低迷していた時期があった。国内のユーザーが減り、ゲームへの支出が減った結果、日本のユーザーを軽視する動きが生まれた。自分のゲームが売れなかったら、「ユーザーが保守的」などと言い出す者までいたのである。数年経った今ふりかえると、ユーザーを保守的と断じて、軽視していた連中の巣食っていた企業は、没落存在感を縮小させているように思う。
国内市場縮小は、すなわち日本の良質なゲームユーザーから、日本のゲーム企業の作るゲームへのお叱りであり、謙虚に反省すべき事態だった。それができた企業が大きく成功し、ユーザー軽視を極めて、ハードの初期不良を「仕様」と宣言した企業は衰退した。
「続編しか売れない」と言われた「業界の常識」もあっさり覆り、これからは企業の規模で勝負が決まると言われた時代に、中小企業がDS市場で健闘した。ユーザーが続編以外のソフトや、無名のメーカーのソフトに積極的に手を伸ばしたからだ。北米でDSが普及するのになかなか時間が掛かった事実を考えれば、いかに日本のユーザーが新しいものに柔軟で、すばやく反応し、強い好奇心を持っているかがわかる。娯楽に関して、ここまで飽きっぽく、移ろいやすい国民を僕は他に知らない(誉め言葉)。
昨今、大手企業の不具合がよく起きているが、ネットの普及と動画投稿サイトの出現で、ユーザーが企業を批判する力は増大した。不具合を隠そうとしても、動画でさらされ、たちどころに数千、数万の人間に見られてしまう。しかしそうした厳しい視線に鍛え上げられて、日本のゲーム企業はさらに高い品質を実現する基礎体力を獲得できる。
とてつもない日本のゲームは、とてつもない日本のユーザーと企業の両方が揃って、はじめて実現される。この本を読んで、あらためてその確信を強固にした。ゲームだけではない、日本という国そのものがそうなのだから。

秋葉原で演説会&握手会を開催したローゼン麻生こと、麻生太郎氏のまぎれもない快著。
このブログの以前からの読者なら、ご承知のとおり、僕は熱烈な日本肯定論者である。とりわけゲームに関しては、自分で言うのもなんだが、熱烈というより爆裂している日本肯定論者だと思う。
この『とてつもない日本』を矮小化して、『とてつもない日本のゲーム業界』に書き直せば、そのまま通用する。そして僕がこのブログや以前のブログで主張してきた事とも大きくかぶる。ゲーム業界関係者は全員、この本を買って読むべきだろう。CESAも東京ゲームショウでこの本を配ったらどうだ? それぐらいの価値がある。
麻生氏によれば、日本はアジアの実践的先駆者だという。実践的先駆者は、その地域でまず一番始めに新しい問題にぶち当たる役割を担う。常にエレガントな解決策を示せるとは限らないが、苦闘している姿そのものが後に続く他国の人々にとって、大いに参考になる。ナショナリズムの昂揚、環境問題、少子高齢化。日本は失敗も繰り返しているが、失敗と成功の両方がノウハウになり、アジア諸国の参考になっているのは確かだ。
ゲームにおいて、日本はアジアどころか、欧米に対しても実践的先駆者となっている。日本で起きた変化が時間差をおいて欧米でも起こる、という考え方はゲーム業界人の間でとても根強い。とはいえ、それが一瞬揺らいだ事もあった。DSとPSPのシェア争いが起きた数年前、「日本と米国は別物。日本では性能の低いDSが流行ったが、米国では性能の低い機械は売れない。PSPが勝つ」という意見が流れた。しかし実際どうだったろうか?
もちろん同じことがWii/PS3/XBOX360にもいえる。むしろこの世代では、日本での変化がより増幅されて、欧米で起きている気さえする。「ゲーム離れ」という問題に先にぶち当たった日本のゲーム企業は苦悶し、ある企業はネット関連事業を強化し、ある企業は海外戦略を強化し、さまざまな試行錯誤があった。結果論だけでいえば、任天堂が出した答えが市場で成功し、その回答はまだ「ゲーム離れ」が顕在化しきってなかった欧米でも強く効いた。でもその他の企業が試行錯誤した過程そのものが無駄だったわけではない。
ところが先駆者としての責任を放棄する議論も、一部には存在した。国内市場が縮小していた頃、日本のゲーム関係者の一部は「欧米ゲーム産業礼賛主義」という病気にかかってしまった。
これからゲーム産業は映画産業のようになる、ハリウッドとの連携を深める米国のゲーム産業を見習わなければ! という妄想に取り憑かれたのだ。当時の理想モデルはEAだったが、今となってはお笑い種。乗るべき馬を間違えたEAは失速し、今や時代の旗手はUbiである。
僕は欧米のゲームを否定する気はないし、向こうのゲーム制作者から学ぶべき点も多いと思っているが、一方でそろそろ無根拠なハリウッドコンプレックスから自由になってもいい。むしろ先駆者として、率先して新しい問題にぶつかっていこう。日本は欧米に追い抜かれたなどと、事実と反する妄想に逃避してはいけない。そういう意味では、CESA会長であるスクウェアエニックスの和田社長の発言はすばらしい卓見に満ちている。
2007年下期は据え置き機にも期待〜ゲーム業界は世界戦略が必須に
和田 むしろ、ハリウッドよりも、自動車や家電などを参考にした方がいいかもしれません。そのくらいの勢いでゲーム産業は我々の生活に入り込んでいるからです。
実は、映画業界は、「映画館」というディストリビューション・チャネルを持つ非常に特殊な産業です。近年、映画は映画館で半分から3分の1くらい稼いで、残りをDVD販売やレンタル、テレビ放送などで稼ぐスタイルに変わってきましたが、ビジネスのスタート地点が映画館という“場”であることに変わりはなく、そこから生まれた知恵がベースになっています。
一方、ゲームは映画よりも一気に家庭に浸透してしまったわけですから、それに合った戦略を考えなければいけません。
実際、テレビゲームと家電はハードウェア、ソフトウェア、設定環境で共通点が多く、じつに親和性が高い。商品としては失敗したが、ソニーが「PSX」のような発想をするのもわからないではないし、ゲームのノウハウを家電などに持ち込もうとする「ゲームニクス」思想も、一定の説得力がある。またゲーム、家電、自動車、いずれも日本が世界に誇る産業であり、産業間での協力もこれから進んでいく可能性がある。
それにしても、麻生氏の「肯定力」はすさまじい。どこか暗いイメージのある「高齢化社会」についても、認識を改めるべきだと説いている。
「高齢者」=「弱者」というのも、繰り返し述べているレッテル貼りが原因である。実は二千五百万人を超える日本の高齢者の中で、寝たきりとか老人性痴呆などの比率は十五パーセント以下。実に八十五パーセントの老人は元気なのである。シルバービジネスは、最近ゲームでも注目されるようになり、コナミが最新のDDRをゲームショウではなく、「ヘルス&フィットネス ジャパン 2007」で発表し、それをファミ通が報じる時代である。
日本の総人口に占める高齢者の比率が五パーセントくらいの頃は、老人はそれだけで貴重な存在であり、それなりに大切に扱わなければならないと大抵の人は思っていた。また、老人の方も慎ましくひっそりと、社会の邪魔にならないように生活していた方々が多かったように思う。「隠居」などというのがその好例である。
しかし、人口に占める割合が二十パーセントにもなり、あと十年もしないうちに二十五パーセントになる。国民の四人に一人が老人という時代になれば話は違ってくるだろう。それまでの「老人観」は通用しなくなる。
しかし麻生氏によれば、まだ取り組みは甘い。高齢者を重要な消費者と考えるなら、商品やサービスの企画・開発を若者に担当させているのはおかしいと指摘する。「若い人は実際に身につまされていないから、高齢者が本当に求めている商品やサービスの開発は難しいと、経営者は思わないのだろうか」は、過激な意見だとしても、うなずける部分はある。
【GDC2006リポート】ニンテンドーDSで『ゼルダの伝説』が発売
当初、浅田篤役員に相談したら、「これから高齢化社会だから老人向けのゲームを作れば?」とアドバイスを受けた岩田氏。でも、密かにシニア層狙いはダメだと予測していたが、「ちょうど弊社の財務関係のトップも川島隆太教授の脳トレをやっていた」と、さっそく川島教授に打診。あの『脳トレ』の発端が若者から出てきたものではなかった点は記憶にとどめていいだろう。日本のゲーム市場の復活のきっかけは、高齢者の知恵にあったのである。ちなみに麻生氏は、この本の中で、『脳トレ』にも言及している(P.80)。
他にもこの本から得られるものは多い。後半には純粋に政治の話も多いが、苦手なら読み飛ばしてもかまわないだろう。あとがきによれば、麻生氏は自分を若者と縁が薄い政治家だと考えていたそうだ。しかし去年の自民党の総裁選のなか、秋葉原の駅前で「自称オタクの皆さん」と呼びかけたことをきっかけに、麻生氏の演説が妙にオタク(や若いネットユーザー)に受け始める。
その「手応え」をきっかけに、若者の力をあらためて認識し、日本のとてつもない底力を痛感したという。再び話を矮小化させて申し訳ないが、日本のゲーム業界にも同じ事がいえる。何度か書いているので、耳タコな方も多いだろうが、あえて繰り返させてほしい。日本の良質なユーザー層こそ、日本のゲーム産業の宝である、と。
2002年〜2003年、国内市場が低迷していた時期があった。国内のユーザーが減り、ゲームへの支出が減った結果、日本のユーザーを軽視する動きが生まれた。自分のゲームが売れなかったら、「ユーザーが保守的」などと言い出す者までいたのである。数年経った今ふりかえると、ユーザーを保守的と断じて、軽視していた連中の巣食っていた企業は、
国内市場縮小は、すなわち日本の良質なゲームユーザーから、日本のゲーム企業の作るゲームへのお叱りであり、謙虚に反省すべき事態だった。それができた企業が大きく成功し、ユーザー軽視を極めて、ハードの初期不良を「仕様」と宣言した企業は衰退した。
「続編しか売れない」と言われた「業界の常識」もあっさり覆り、これからは企業の規模で勝負が決まると言われた時代に、中小企業がDS市場で健闘した。ユーザーが続編以外のソフトや、無名のメーカーのソフトに積極的に手を伸ばしたからだ。北米でDSが普及するのになかなか時間が掛かった事実を考えれば、いかに日本のユーザーが新しいものに柔軟で、すばやく反応し、強い好奇心を持っているかがわかる。娯楽に関して、ここまで飽きっぽく、移ろいやすい国民を僕は他に知らない(誉め言葉)。
昨今、大手企業の不具合がよく起きているが、ネットの普及と動画投稿サイトの出現で、ユーザーが企業を批判する力は増大した。不具合を隠そうとしても、動画でさらされ、たちどころに数千、数万の人間に見られてしまう。しかしそうした厳しい視線に鍛え上げられて、日本のゲーム企業はさらに高い品質を実現する基礎体力を獲得できる。
とてつもない日本のゲームは、とてつもない日本のユーザーと企業の両方が揃って、はじめて実現される。この本を読んで、あらためてその確信を強固にした。ゲームだけではない、日本という国そのものがそうなのだから。
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