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「Web2.0」から「ウィキノミクス」へ

「フラット」の台頭

イトイさんと聞く「ウェブ道具論」:日本人の働き方は「タグ」と「ソーシャル」で変わる
非常に面白い対談ですね。
今まさに「働き方」を変えようとしているボクにとっては、本当にリアリティのある話です。
もちろん、ヒエラルキーとかツリー構造が捨てられるということでは決してないんです。人間に欲望がある限りは、ヒエラルキーが捨てられるとは思わない。ですけど、タグの構造でだって人々は集まれるし、タグの構造で物の分類はできる。

ネットが社会に浸透した結果、「ヒエラルキー」な組織が弱体化し、「フラット」な繋がりが重要視されつつあります。その実感は、うちのブログの読者なら、誰しもが抱いてるんじゃないでしょうか。

ゲームのように集団でコンテンツを制作する業界では、組織は必然的にヒエラルキー構造を取ります。締めつけの厳しさやおおらかさは各組織の風土によりますが、何らかのヒエラルキー構造を取らずに作品が完成することはほとんど無いですし、クオリティの高い物は作れません。

ゲーム制作者は、まぁ入って2~3年の若い人はともかく、ほぼ全員それを理解しています。会社という箱の中に数人から数十人、プロジェクトによっては数百人を閉じ込めて、ある密度でぎゅうぎゅうに働かせないと、質の高い作品を安定して生み出し続けることはできないのです。

アニメにおけるスタジオジブリの例を引くまでもなく、娯楽の世界において強いスタジオは、良いヒエラルキーを持っているのです。ボクぐらいの歳になれば、それはもう骨の髄まで身に染みてわかってます。

けれどもヒエラルキーが無ければ、良い作品を作れないということではありません。ここ数年、話題になり、成功をおさめた娯楽作品をふり返れば、よくわかると思います。そう、まさに「タグの構造でだって人々は集まれる」のです。


「フラット」と「ヒエラルキー」の品質は異なる

古い時代には、ヒエラルキー=クオリティを保証する唯一の装置でした。確かに今でも、ヒエラルキーが無ければ、届き得ない品質は存在します。

例えば『FF』はビルの中に数百人集めなければ、作れないゲームでしょう。ネットの有志が数千人、数万人集まったところで、あの映像美を生み出すのは不可能です。何故なら、人数が増えれば増えるほど、絵の統一、管理が困難になっていくからです。あの「品質」はヒエラルキー向きなのです。ジブリ作品もそうでしょう。

しかし「品質」の定義は、1本の評価軸では決まりません。ニコニコ動画の無数のMAD作品や、絵がショボかった『月姫』や『ひぐらし』、魔法のiらんどに投稿された無数のケータイ小説。それらは、ある評価軸からすれば、塵芥にすぎません。塵はどれだけ集まっても塵にすぎない、と言う人もいるでしょう。

ですが面白いことに、現実にはそうした「塵芥」に人が集まり、商売が回り始めています。要するに「品質」をはかる評価軸が異なっているのです。

ネットで1万人集めたところで「箱の中に300人閉じ込めて作ったFF」の映像美には及ばないでしょう。しかし同時に、ビルに300人集めて、2年や3年働かせたところで、「1万人集めて作ったFF」は生み出せないのです。どちらの『FF』も面白く、そこに優劣は存在しないのです。


「Web2.0」から「ウィキノミクス」へ

少し前まで、「Web2.0」という言葉がたいへんな勢いで浸透して、かなりの「流行語」になりました。わかりやすく優劣を比較してくれたからです。まずネーミングから明快です。「Web2.0」は「Web1.0」より凄そうだ、と子供でもわかります(笑

「Web2.0」は必ず、古いものと新しいものを比較しました。ブリタニカオンラインとWikipediaの比較をはじめ、実にあちこちで、新旧比較がおこなわれました。無理もありません。新しいものが出てきたとき、まず優劣を論じるのはとてもわかりやすいのです。

しかし理解が浸透していけば、過剰なまでの「優劣比較」は不要になります。「Web2.0」という流行語が廃れた後に残ったのは何か、その1つが「ウィキノミクス」という概念です。現象が先にあり、それに名前がつくことで、議論しやすい土台が生まれます。

「ウィキノミクス」という本、すなわち新しいネーミングの出現は、優劣を論じる時代の終焉を意味します。もはや新しい概念は十二分に浸透し、空気のように実感できる人々が大幅に増えました。もはや「2.0」(=くたばれ!1.0)などと、あえて過激な言葉を振り回す原始時代は過ぎ去りました。

ウィキノミクス(ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ)



「フラット」と「ヒエラルキー」の比率はどうなるか

このように「フラット」と「ヒエラルキー」は共存できるものですが、今まで「ヒエラルキー」に従属していた人たちがどんどん「フラット」に流れていくので、現象としては「ヒエラルキー」が弱体化しているように見えるはずです。

人だけでなく、時間も流出していくでしょう。
例えば、ボクは会社では「ヒエラルキー」な構造の中で、ゲームをつくってますが、家に帰ると「フラット」な世界でブログを書いてます。所属としては、働き方としては「ヒエラルキー」。でも24時間の数パーセント、数割が「フラット」に流れています。
糸井 確かに、ツリー構造に比べれば強固ではない。けれども、タグでだって人は集められる。これに気づいた人々は、タグ的な集め方をどんどん盛んにしていくでしょう。僕らが今までやってきた、「係長の次は課長になって…」という、あの構造での組織論というのが、これからどんどんむなしくなってしまう。

「フラット」と「ヒエラルキー」の比率はどんどん変わっていきます。おそらく50対50ぐらいまでは行くんじゃないか。その場合の単位は「人」ではなく、1人=24時間という計算式で変換された「時間」。

5年後、10年後にヒエラルキーから離れている「人」が大量にいるとは、到底思えません。しかし「時間」換算なら、「フラット」への流出量は相当なレベルに達していると思います。結果として、「ヒエラルキー」から「フラット」への価値(=富)の大移動が起きます。

すると「フラット」と「ヒエラルキー」のどちらに身を置いていた方がいいか。答えは簡単でしょう。いや、しかし、その前にいったいどれぐらいの価値が流れ込んでくるのか。

ボクは「ヒエラルキーに積むこれからの10年」より、「フラットに積む10年」のほうが価値が高いと思っています。むろん「次の1年」であれば、明らかにヒエラルキー側に積んだ方がいいし、「次の3年」「次の5年」でもヒエラルキー側の圧勝でしょう。
でも10年という単位なら、話は変わります。では、あとは10年間、生き残り、サバイブし、食いつなげるかどうかです。せいぜい「枯死」しないようにがんばりましょうか(笑

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コメント

「経験値として積むこれからの10年」と言う観点で見たら、たしかにヒエラルキーに積むよりもフラット(リゾーム)に積む方が大きいし、楽しいと思うのですよね~。

でもキャリアとして、つまり「喰ってかないとダメぢゃん?」という実直な観点で見ると、よくわからない。。。。。金銭的報酬、という生活に関わる話で考えると、確かに20代、30代前半くらいまではフラットで進んでもヒエラレルキーで進んでも大きな差が無いのかも知れません。
が、そこから先が今のフラット社会の成熟度では読みきれない。読み切れないから楽しいのは間違いないのですが、例えばフラットなプロジェクトにずーっと属して、10年後に30代後半、40代を迎えて、そこで果たしてフラットなままだったら、自分の収入ってどーなんでしょう。。。。。いまのWeb2.0って、「プライベートな時間を食いつぶしてる個人犠牲」の言い換えみたいなところがあって、時間単価でどうみてもヒエラレルキーに負けていると思うのです。ニコでも「才能の無駄遣い」と宣言して憚らないですし。勿論、フラットな組織やミッションを維持したベンチャーで、キャピタルインセンティブと組み合わせだったらいいんでしょうが、全ての人に参加機会があるわけでも、全ての人にリターンがもたらされるわけではない、かなり確率依存というところもあり。。。。

ということでかなりコンサバな見方をしてみましたが、主旨としては「フラットvsヒエラレルキーは24時間という枠の中でそのバランスを考えるのも重要だと思うけど、一人の人間としてのライフサイクルという枠の中でもバランスを考えなければいかんのだろうなあ」ということです。

なんか人生相談室っぽくて、ジジ臭くて申し訳ありません。。。。Orz

>。いまのWeb2.0って、「プライベートな時間を食いつぶしてる個人犠牲」の
>言い換えみたいなところがあって、時間単価でどうみてもヒエラレルキーに負けていると思う

そうですね。さすが、ぶらりんさん、とてもいい指摘です。鋭い。
ヒエラルキーな世界での資本が「金」だとすると、Web2.0といいますか、フラットな社会において、一番の資本は「時間」なんですよね。金でも権力でもない。そこが若者受けするところで、若者って金無いじゃないですか。でも時間はいっぱい持ってますから。

時間をお金に換える装置として、企業であるとか、ヒエラルキーな組織は非常に良くできていて、変換効率はすばらしいものがあります。一方で、最小取引単位が大きすぎる欠点があるわけです。例えば、「わたしはお金は今の半分で良いから、労働時間を半分にしてほしい」というニーズは実際にあると思うのですが、それを満たすことは非常に難しく、どちらかというとフルタイムを捧げますという精神の有り方のほうが、重宝され、評価されるのですね。それは、もう、ヒエラルキーな組織がもつ性質なんだと思います。

逆に、フラットな世界というのは、最小取引単位が極限まで小さいかわりに、「時間→金」の変換効率はまだまだ非常に悪い。少なくとも米国にくらべれば、日本はかなり悪いでしょう。その他の国はさらに悪い。

個人的に感じるのは、「お金」と「時間」のどちらが通貨として、適正なのかという事で、今は徐々に「時間」の価値が上がっていますよね。少なくとも、従来の両替機構(=ヒエラルキーな組織)だけでは、人々のニーズを満たしきれなくなっている、と思います。

ボクが決断したのも、要はこれまでは「時間でお金を買っていた」わけですが、「お金で時間を買いたくなった」からです。自分の中でやりたいことが、明らかに24時間の枠をオーバーしつつあり、そうなると優先の低いものを落とすしかない。では、何が一番優先が低いか。突き詰めて考えると、答えは出たのですね。

もちろん、「時間」というのは、等価ではありません、歳をとればとるほど、「時間」の価値は下落していきます。そういう意味では、ライフサイクルの中で時間の値段が変わってくるので、「一人の人間としてのライフサイクルという枠の中でもバランスを考え」る必要はありますね。


>勿論、フラットな組織やミッションを維持したベンチャーで、

うーん。まあ、どうなんでしょうね。
ボクはベンチャーを作って、一山当てる事自体が、やや古めかしいかなという思いも抱いています。フラットっていっても、結局、ヒエラルキーを目指すんだよね、という。んー。まあ、人間の欲望ってヒエラルキーを求める部分がある、どうしようもなくある、だって動物だもん、お山の大将になりたいんだもん、、、、、というのはあるんでしょうけども。

ボクはどっちかというと、どれだけ時間をコミットしたかで、リターンが変わる構造が良いな、と思っていて、フルタイム、ハーフタイム、週末タイム、・・・・・というようなものが、まぁ今だって契約社員、派遣、パートタイマー、アルバイターという形態はあるんですけれども、もっと自然な形で成り立つようなものができてくるんじゃないか、と思います。
ま、自分で書いててなんですが、この構造はスゲーあやしいですね(笑


ところで、ボクなんか、別に大金を稼ごうと思っているわけではないです。「個人」がそれなりに食っていける額が回ればいいと考えていて、そこがたぶん自信をもてるラインです。ですから、新しいことを始めるときに、仲間を・・・・という話はよくありますが、成功したい、金儲けたい、ベンチャーってなんかカッコよくね?という気持ちが強い人とはいっしょにやらないし、やれないですね。そういう人はノーサンキュー。

デカいヒエラルキーを作りたいとも思ってません。まあそれだと金を引っ張ってきにくいんで、絵図面を描く必要が出てくることもあるでしょうが、できるだけそういうのを避けていきたいですね。「ヒエラルキーを昇りたかったけど、昇れなかった人のルサンチマン」みたいなものは、要らないと思ってます。

今いっしょにやっていこうかと言ってる人にも何度も言ってるんだけど、ヒエラルキー作りたいなんて言ったら、そこでお別れですよ、と。最低1年や2年は、フラットな中でやっていくべきなんですね。肩書きとしてベンチャーの社長とか、個人事業主とか、無職とか、色々あるんでしょうけど、まあ税務上いちばん良いものを選べばいいと思うんですよ。でも、別に「いち無職」兼「個人」でいいんですけどね、気持ちとしては。

ボクは、これから始めることが10年後には絶対にお金に換えられる、むしろ自然にお金に変わっていくと確信してますから、まずは「お金」や「お金に換える方法」ではなくて、「10年後にお金に換えられるもの」を蓄えるべきだと思ってます。「お金に換える方法」なんて、心配しなくてもいいよ、と。

でも10年というと、すさまじく長いし、それだけの期間、収入無しでいけるほど、金があるわけでもないので、まずは1、2年で区切ったらいいし、その時点で怖気づいた人、信じられなくなった人は、どこかのヒエラルキーに退却してもいいんじゃないかな。それは、ある価値観からしたら、回り道だし、生涯賃金を自ら減らした愚考なんだけど、でもこれぐらいの歳になって1年、2年の時間を買うというのは、それなりに高額なのは仕方ないことです。

失敗を恐れないなんて言わないし、後悔しないとも言いません。
きっと失敗するし、失敗するし、失敗するし、後悔もするでしょう。でもきっと、「決断」しなくたって、後悔はするんですよ。どっちにしても後悔するなら、せいぜい楽しく後悔しましょう。


>ということでかなりコンサバな見方をしてみましたが、

いえいえ。
ご意見は鋭いし、もっともな疑問だと思います。

これが「Web2.0」時代だと、新しいものと古いものを対立構造で盛り上げないといけないので、「ぶらりんさんはフェードアウト組ですね」などと、本心では思ってもいないような失礼な事をあえて書く必要があるわけですけれども、コメント欄場外プロレスラーとしては(笑

もはやそういう時代ではないですよね。
ボクとぶらりんさんは共通のタグを持ちながらも、同時に、異なるタグを持っていて、双方がそれを提示したにすぎません。

そうそう! 

>どっちにしろ後悔するなら、せいぜい楽しく後悔

ですです。

"Life is short. Play hard."

あ、いや、ゲーマー人生のことを言ってるんぢゃないですよ。

これはまた何とも面白そうな未来図ですねえ。条件が合えば一口乗りたいくらいです。
ニコニコに出会ってからプライベートのほとんどをフラット側につぎ込んでる自分としては
嫌でも気になりますw

いわゆるプロクオリティじゃなくても売り物になるんだっていう感覚は同人世界で昔から感じてたんですが、
同人世界も結局まとまった額が動く部分はヒエラルキー構造だったのであまり感慨はなかったんですよね。
でもニコニコには本当に色んなことに気付かされました。
結局自分のした何かで世の中に影響を及ぼす(反応を得られる)のが一番楽しくて、
別にヒエラルキー登らなくても世界は動かせるんだっていう感覚。
もう俺残りの人生全部フラットでいいんじゃね?ってとこまで来ちゃいましたねー。

>これはまた何とも面白そうな未来図ですねえ。

でしょう。
これから世の中は絶対に面白くなります(笑

僕にとってニコニコの登場は、なんというか、かつてのテレビゲーム草創期の人間がスペースインベーダーに出会った時の衝撃に近いものがあります。そう感じている人はこのブログの読者の中にも、すでに何人も、何十人もいらっしゃるようですし、これから5年もしないうちに、立ち上がると思いますよ、新しい業界か、市場か、世界か、時代が。

本当は、こういうところで、「動き出したこと」そのものも隠すべきなのかもしれませんが、一方で「草創期」というのは、なんというかな、「面白いと思って本気で動いてるやつらが他にもいるんだ」という事自体が、励みになる部分もあると思うんですよ。

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