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踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損々

Something Orange:『らき☆すた』ファンは、搾取されているか?
完全同意。

踊るのが楽しいから踊ってる人に対して、踊らされやがってという指摘のなんと虚しいことか。余裕があるから踊れるんであって、踊ることさえできない余裕の無い心理は、いったい何なのか。

そもそも興味がまったく無ければ、存在すら知らないはず。今は驚くほど簡単に「無関心」を貫ける時代ですからね。他人が踊っているのを少し離れたところからうらやましそうに眺めて「俺は踊らされる阿呆とは違う」と呟く人のなんと、痛々しいことか。被搾取者でないとしても、被害妄想者ではあるんだろうなあ。

エロゲオタや萌えオタが「お布施」と言いながら、グッズを買うこともあるわけですよね。今やコンテンツを「ただ見」しようと思えば、いくらでも手段がある時代。ある種の「投げ銭」的なあり方が重要になってるわけですよね。作り手の側からすれば、お祭り感覚を共有する演出が非常に大切。

もう1つ、よく言われるのは「お祭り(盛大な消費)が終わった後は忘れられちゃうだけ」という指摘。しかし騒がれなくても、忘れられちゃうんだよね、今は。それだけたくさん作品があふれてますから。多数の作品を記憶し、記録し、体系化する人たちという意味でのオタクは、もはや死んでます。今、アニメの8割、9割以上を見て、きちんと整理したうえで、体系化できている人って、どこにもいないんじゃないの?

別に忘れられてもいいよ。また次の祭りで、思い出してもらえばいいさ。ぐらいの気持ちでないと、やってられないでしょう、作り手の側も。それと、強度がうしなわれた分を、消費者側の能動性&創造性(クリエイティビティ)で補完するのが昨今のあり方だと思うんですよね。



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コメント

それに、楽しんだ祭りの方がずっと記憶に残りますよね。

まなびストレートもハルヒもどちらも同じくらい楽しかったですが、作品外でより盛り上がったハルヒの方がずっと記憶に残ってます。
少なくとも娯楽作品である以上、楽しんで見るのは正しい姿だと思うんですけどね。踊るのが楽しいのであれば、踊る場所が手のひらの上であろうと構わない、みたいな風に。

同意です

DAKINIさん、はじめまして。
いつも面白い話題を有難う御座います。

忘れられやすい、っていうのは、インターネットの人間関係の淡い繋がりに似ているか、と思います。
共有できる人とだけ、楽しめればそれで満足。
それで良いじゃないか、と。
結局、その作品を通して…こちらとあちら側の人。
『感覚を共有出来る事』それが、祭りなのかな。
なので、ハルヒの様に大きなお祭りが、色々な人の心に残るのは可能盛大、なのかもですね。
だんだん、人間論的になっちゃいますけど。
現代風であるなぁと思いました。

もちろん、その人々の立ち居地、見ている立場で違うのは、言うまでもありません。
大きなお祭り、とは、その人にとって『感覚を共有できた』お祭りなのでしょう。

お祭りを狙って起す事は、コレからのコンテンツでは特に、
かなり重要視されるのかな。と感じております。
失礼いたしました。

>TEK さん
娯楽ってのは、基本的に踊るものですからね。
能動的なほうが、積極的なほうが楽しいものです。

そもそも「搾取」って何なんだ?と。
ま、この件に限らず、ネット言論では最近、「搾取」という言葉があまりにも軽く使われているような気がしています。「搾取」ってのはもっと酷いもんだろう、と。今の日本でその言葉を使うに値するほどの事がどれだけあるのか、もう一度ちゃんと考えてみるべき。

数千円だか数万円だかのグッズを買う/買わないで搾取も糞もないわけです。
いや、そもそも現代で、最も貴重なものは「時間」ですよ。「時は金なり」ではない。時は金なんかじゃ買い戻せません。観ている時点ですでに最も貴重なものを支払っているわけで、たかだかの銭で「搾取」ってのは、どんだけ自分が安いんだと。


>elmowish
忘れないと、やってけないほど、大量のコンテンツがありますからね。
それに一度ネット上に上がってしまうと、どこかに保存されて、半永久的に消えないじゃないですか。世の中の仕組みとして、どんどん忘れられないようになってるんですね。世の中が人間に対して、「俺はおまえを忘れないぞ、忘れないぞ、忘れないぞ」と強迫神経症的になっている時代です。

すると人間自身は自然と、「忘れる」ことを求めるようになるんです。ケータイのアドレスを変えて、人間関係をリセットする、なんて行為も、その1つと言えますね。話が逸れましたが、「忘却」こそ、万金の価値がある、という事は、頭の片隅に置いておいていいかもしれません。

「搾取」?

明らかに「搾取」という言葉遣いは、被害者意識に満ちた発想でおかしいと思いますね。
ただ私の場合、寧ろ"お客"の側の姿勢が気になってしまうのですが。。。
ここ暫くのオタク層の騒ぎ方を見ていると、どうも「この作品が好きだから」というより、
同人二次創作のサークルが、「このタイトルがウケそうだから」「売れそうだから」、「この
タイトルをやることにしました」というのと、かなり似た印象があります。
お前らそのタイトルが好きなんちごーて、ただお祭り騒ぎがしたいだけなんやろ、っていう
感じでしょうか。
別に「お祭り好き」を否定するつもりはないのですが、それが「オタク」を自称するのは、
あまりにそれまでの「オタク」像と違いすぎるような気が。
岡田斗司夫・唐沢俊一みたいに”オタク懐古趣味”でぼやきながら今のオタク像を
知ったか批判するのもおかしいとは思うのですが、それにしたって何かおかしいだろと
いう感覚でしょうか。
「ハルヒ」「らきすた」共に作品のクオリティーやファンを批判するつもりもないのですが、
この2タイトルについて、そういう”自称ファン”や”自称ファン”主体の妙ちきりんな騒ぎが
やたら多かったのは事実なんじゃないかなー。。。と、私には感じられますね。
ロクにゲームをプレイしてない癖にKOFのコスプレしたり同人出したりしてる連中が
いた頃、似たような感想を持っていたことを思い出します。

>それが「オタク」を自称するのは、
>あまりにそれまでの「オタク」像と違いすぎるような気が。

オタクを自称してる人なんて、そんなにいますか?
別段、職業を詐称してるわけではなし。
そもそも資格でもなんでもないですよね? オタクって?

>そういう”自称ファン”や”自称ファン”主体の妙ちきりんな騒ぎが
>やたら多かったのは事実なんじゃないかなー。。。

何をもって「多かった」「事実」とされてるのか、よくわからないので、感想を共有するのは難しいのですが。なんか事例がありますでしょうか?
YouTubeの成功とあわせて、Webマーケティングの成功例として騒いでいる人たちはいましたが。しかし彼らは別に、「オタク」を自称してませんし、「ファン」を自称してもいませんでした。

同人誌で稼ぐ人たちについては別に、ハルヒ以前からブームに乗る人たちはいたと思うので、新しい現象とは思いませんが・・・・。なにか特徴的な事例がありましたでしょうか? 世代的な観点でいえば、ガンダム世代のオタクの人からは「(そんなに騒ぐから)ハルヒは観たけど、なにが面白いのか、よくわからなかった」という意見を、何人もから聞いてます。

率直にいえば、誰がどう楽しもうが勝手ですし、誰も「自称」なんてしてないと思います。そもそも厳密な定義なんてどこにもありませんよね、オタクって。

少し昔にやたら有った、「この物語の謎を知るために関連商品全部買ってね☆商法」には
"搾取"と言わず、ニコ動でタダで見れる物に「散々楽しんだから」「好きだから」という理由で
金を投げる現象に"搾取"と言い出す理屈はちょっと理解し難いので突っ込めませんが、
"搾取"という話の前提になってる「らきすた」というコンテンツの評価の仕方も
何かズレてる感が有りますね。

アレの楽しまれ方は明らかにバラエティ番組的な方向性の物で、
「らっきー☆ちゃんねる」やカラオケEDを見る限り製作者もそれを意図して作っているように感じます。
そういう物をガンダムとかハルヒのような他のアニメ作品と同じ文脈で語ろうとしても
それはもうウリナリやガキの使いやあらへんでを映画論で評価するような感じで、
噛み合わないんじゃないですかね。

短絡的な連想かも知れませんが、トラバ先の様々な言い争いを見て、
脳トレヒットに激烈な反応を見せたゲーマーを自称する人たちが思い浮かびました。

にわかに『らき☆すた』論争(?)が盛り上がってるのは面白いですね。

アルファギーク、らき☆すたを理解しようと努める
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2007/08/post-2.html

作品評 - らき☆すた
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50889992.html

『らき☆すた』のおかげで手塚治虫の気持ちがわかった。
http://d.hatena.ne.jp/gentledog/20070810

>「らきすた」というコンテンツの評価の仕方も何かズレてる感が有りますね。

『らき☆すた』が非常に語りにくいアニメだと言うのは、『ハルヒ』との対比でいっても確かです。Web2.0の文脈でハルヒを語っていた人たちも、『らき☆すた』については語ってないのが興味深いところで、ハルヒはストーリーがあるから、まだ何というかな、「萌え作品に見えるかもしれないけど、実はけっこう骨太な青春ストーリー」という風に消化することができたんですよね。

『らき☆すた』はストーリーを実質もたないんで、言語化しにくい。そのため批判も非常に感覚的になるか、作品そのものではなく、時代や状況や消費者といったほかのものを批判するしか無くなるのでしょうね。

i-sayさんのおっしゃる、「ウリナリやガキの使いやあらへんでを映画論で評価するような感じ」という説明は、非常に的確だと思います。一連のエントリーの中では、dan kogai氏の記事がいちばん説得力がありますが、それさえも、かなりズレを感じます。まだ「映画論」で「バラエティ番組」を語っていますよね。

「うたわれるものラジオ」あたりから、顕在化してきたこの流れをどう言い表すか、情けないことに、良いボキャブラリーを持ち合わせていませんが、大きく潮流の変化を感じますね。

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