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ノベルゲームの持つ原罪を小説はどう処理したか? そして『ひぐらしのなく頃に 賽殺し編』

ぼくと魔女式アポカリプス水瀬 葉月
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1巻の書評を書いてなかったので、2巻発売を記念して書きます。ライトノベル、特に電撃文庫で積極的にジャンル化が推し進められている「現代学園異能」の集大成のような作品です。

現代学園異能とは

現代学園異能とは、主人公が美少女たちと日々の生活を送る「美少女ゲーム的日常空間」と、主人公の少年が異能の力で戦い、機転を利かせて敵に勝利する「少年マンガ的異能バトル」を組み合わせたジャンルです。TYPE-MOONの制作したノベルゲーム『月姫』『Fate』の影響を色濃く受けている、と言われています。

美少女ゲーム的な日常に生きる主人公の少年は、非日常の世界からある日突然、日常の世界に迷い込んできた少女と出会い、一緒に協力して、非日常の敵と戦います。少年は何らかの欠落を抱えると共に、戦うための力を得ますが、日常を守るために非日常な戦いを繰り返す自分に悩み、日常と非日常のどちらに身を置くか、葛藤するようになります。

個々の作品で細かな違いがありますが、現代学園異能の基本テーマは「日常VS非日常の葛藤」です。より詳細な解説は以下の記事を参照してください。


選択に対する無責任さ

この新しいジャンルの特徴は、主人公が限りなく決断から無責任でいるという事です。主人公は自分の意思で戦いを始めるわけではありません。必ず非日常との戦いに「巻き込まれる」のです。その際、魔術によって生かされてるが、実はすでに死んでいたりします(生殺与奪の権は魔術師に握られていて、少年少女は自分達の意思に関わらず、戦わざるを得ない)。

主人公は巨大な「欠落」を抱え込むと同時に、何らかの特殊な能力を与えられ、戦いに駆り出されます。その戦いはわかりやすい外敵という形ではなく、友人や幼なじみ、兄妹といった主人公の周辺の人物の形を取って現れます。敵は周辺の人物を操作し、寄生し、入れ替わり、人質に取ります。戦いとはつまるところ誰かを殺し、排除することであり、非日常から日常を守る戦いとは、すなわち日常の中の誰かを殺し、排除することです。

けれども主人公の少年が、自分の意思で殺すことを選択するかというと、そんな残酷な行為は自我が認めません。彼にはおそろしく準備万端な自己弁護が与えられます。殺す以外の選択肢がありえない状況に都合よく追い込まれます。それどころか、相手は勝手に自滅していく状態に陥っていて、主人公はむしろ安楽死させてあげるのだ、という作品もあります。そして、誰かを殺さなければならなかった自分がいかに不幸で可哀想か、延々とモノローグを続けたあげく、彼は容赦なく完膚なきまでに相手を殺すのです。

意に沿わない選択を実行させられた可哀想な彼のことを、生き残った美少女たちが慰めてくれます。殺された彼女が生きていたという事実そのものがさかのぼって抹消され、最初からいなかった事になる、という都合のいい能力を少年が与えられている作品もあります。

美少女ゲームの原罪

どうしてここまで、選択に対して無責任なのか?
小説として捉えると、現代学園異能はライトノベルの奇形児のように思えるかもしれません。しかし現代学園異能を美少女ゲームの小説化として捉えると、事情がわかります。

美少女ゲームは複数の可能性(女の子)の中から、プレイヤーが1つを選択するゲームです。けれども選ばれた可能性があるという事は、選ばれなかった可能性もあるのです。選ぶ事で、他の選択肢を切り捨てる事。楽園から他の女の子を追放し、排除する事。美少女ゲームは、プレイヤーにその罪深さを突きつけているジャンルなのです。

あえて罪深さをテーマにしたゲームもあります。『君が望む永遠』などの鬱ゲーと言われる作品群です。鬱ゲーブームのように、選択する憂鬱さをメインにしたゲームが流行った時期もありました。しかし大多数のプレイヤーは、憂鬱になるためにゲームを買うわけではありません。そこで、美少女ゲームでは大抵、極端に優柔不断な主人公か、極端に物分りが良く優しい周囲のどちらかを用意しています。

ゲームの場合は能動的な選択があり、責任はプレイヤーにあります。しかし小説になると、そうはいきません。読者=プレイヤーは何も選択していないからです。誰を選び、誰を切り捨てるか、その罪深さは誰も背負う人がいないのです。そのため<原罪>は隠蔽され、徹底的に自己弁護されます。小説のほうがゲームよりも自己弁護的にならざるを得ません。

主人公の少年の少女達への自己弁護。(主人公視点で物語を進める)読者の少女達への自己弁護。作者の登場人物および読者への自己弁護。三重の自己弁護が行われるのです。

ひぐらしのなく頃に 賽殺し

では選択肢を持たないノベルゲーム『ひぐらしのなく頃に』はどうでしょうか? すべてプレイした方はご承知のとおり、『ひぐらし』の作者である竜騎士07氏はこの問題に非常に自覚的です。

『ひぐらし』は問題編4編、解答編4編から構成され、問題編4編はそれぞれ、「ある選択がなされた場合のひぐらし世界」として進行します。選択肢が与えられないため、最初の4編は必ず惨劇(バッドエンド)にたどり着きます。

解答編はいわば、どうしてバッドエンドになったか? どうすればグッドエンドにたどり着けるのかを解明する物語になるのですが、それはすなわち、主人公たちがかつて選んだ選択肢の罪深さを思い知り、反省するということです。第6編の名前が「罪滅し編」という点は象徴的です。

ノベルゲームは基本的にバッドエンドを避けて、グッドエンドにたどり着く遊びです。名作『かまいたちの夜』では始めに必ずバッドエンドを提示します。何故なら、惨劇(バッドエンド)を避けたいという気持ちが、プレイヤーのモチベーションになり、グッドエンドにたどり着いた時のカタルシスに繋がるからです。

『ひぐらしのなく頃に』は、バッドエンドにたどり着き、それを避けるために努力するというノベルゲームの構造をメタ的に再構築した作品と言っていいでしょう。プレイヤーから選択権を奪うことで、ノベルゲームの抱える<原罪>そのものをテーマにできたのですね。

そして先日、冬コミに合わせて発売されたファンディスク『賽殺し編』では、本編以上に意識的に<原罪>に向かい合っています。収録されている他の2編は、同人的な悪ノリが過ぎて、人を選ぶと思いますが、『賽殺し編』は本編のテーマに対して、優れた補完となっています。本編を完了したプレイヤーの皆さん、「どうせファンディスクだろ」と思わずに、一度プレイしてみることをお勧めします。
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テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:ぼくと魔女式アポカリプス  ひぐらしのなく頃に  現代学園異能  ノベルゲーム  

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