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ラストまであと1巻。現実と虚構の激突の先に 『レジンキャストミルク 7』

レジンキャストミルク 7藤原 祐

滅んでしまった世界の可能性=虚軸(キャスト)を現実世界=実軸(ランナ)に呼び込んだ人間は、強大な特殊能力を得るかわりに、痛みや感情、子供の頃の記憶、他人を認識する能力といった大切な何かを失う。なぜなら喪失した部分に虚軸が入り込み、居場所を作るからだ。より強大な虚軸を受け入れた人間は、それだけ大きなものを失う事になる。

虚軸に寄生された宿主である主人公たちは、自分たちのまがい物の日常を守ろうとしている。前巻では敵にこてんぱんにやられたが、今回はついに反撃を開始する。しかしその結果は、思わぬ犠牲を生むことになる……。

美少女との日常を満喫するのが美少女ゲームのフォーマットなら、日常を守るために戦うのが現代学園異能……かというと、少し違う。『月姫』『Fate』のような奈須きのこ作品にしても、『灼眼のシャナ』『レジンキャストミルク』のような現代学園異能にしても、正ヒロインはどちらかというと、非日常の側に属している。

現代学園異能は、『月姫』の影響を受けた、美少女ゲーム的な日常と少年漫画的な異能バトルの両方の要素をあわせもつ作品群のことである。あるいは別の見方をすれば、日常側に属するヒロインと非日常側に属するヒロインが主人公を奪い合う物語である。そして主人公の気持ちは、非日常側のヒロインに傾きがちだ。

『レジンキャストミルク』も、幼なじみの森町芹菜と最悪の虚軸「全一」城島硝子が主人公の城島晶を奪い合う構造にある。いや、正しく書き直そう。天秤がどちらに傾いているかなど、明らかだ。

けれども物語作家は大抵、作家の良心において、最後には読者を現実に帰すことを選ぶ。あちら側に行ったまま帰ってこないという結末を許すのはホラーぐらいのものだ。

実際『月姫』と『Fate』のトゥルーエンドは、非日常との別れである。『月姫』ではグッドエンドという形でプレイヤーをなだめていたが、『Fate』ではセイバールートのグッドエンドを作らない姿勢を貫いている(そういう意味では、PS2版の『Last Episode』は蛇足の極みではある)。

マルチエンディングという表現手段をもつノベルゲームは、トゥルーとグッド、2つの終わりを用意して、物語作家としての意地と良心を守りつつ、読者の願望を充足させた。

では、1つの結末のみをもつ小説は、どのようなエンディングを選択し、作家と読者の調停をおこなうのか? 現代学園異能と呼ばれる作品群が、本当の意味で評価の目に晒されるのはこれからだ。例えば、『灼眼のシャナ』はああいう引き伸ばし方をした。主人公は選択したが、読者はその結果を知らない、というねじれた関係になってしまった。

さてこの『レジンキャストミルク』は、どういう結末を提示してみせるか、最終巻での作者の手腕に大いに期待したい。


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美少女ゲームにおける擬似家族と本物の家族の対立。そして『レジンキャストミルク』

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テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

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