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消費者像とコミュニケーションの再構築ってことにすぎないが。

ふーん……。
PSVitaのローンチ発売後でのネガキャンが酷いよねという話と、3DSの発売後にも酷かったよねという話。

ま、そんなもんじゃないの。
というのが僕の感想であって、上記の記事を書いた人たちのように嘆いたり、憤慨したりはしません。

いわゆるオワコンブームというのと同じで、昨今よく見られる現象ではあります。これ、ゲームが好きで好きでたまらないゲームブログの管理人だったり、おっさんオタクからすると、憤慨する気持ちはわからなくもありません。ただ、怒ってどうするの、というのが正直な気持ちかな。

「ネガティブな話題で盛り上がる人達」が実数として多いのかというと、実はそうでもなくて、その周辺に「より大多数の浮動票」が存在するという構造になってます。「浮動票」な人達を追っていくと、趣味はゲームだし、ゲームメディアだって目を通しているし、年間を通してゲームに一定以上の時間を割いているが、にもかかわらず深く知ろうとは思わない層は、いわゆる古典的なライトユーザー像とはまったく別の、ライトオタク的な存在、というところです。

オタク、マニアといった層がライト化していく傾向は、ゼロ年代の10年を通してたびたび指摘されてきたわけですが、評論家のオタク論というやや抽象的な言説ではなく、マーケットの実像が完全に体質変換を起こしてしまった、という事です。


やや乱暴に、そう、きわめて乱暴に彼らの生態を描いてみましょうか?
彼らはニコニコ動画での流行には敏感だし、アニメも「覇権」級は確実に祭りに参加するし、神ゲーと評価されたゲームはそれが洋ゲーであっても遊ぶのかもしれませんが、いっぽうで「オワコン」には興味を示さず、特定の製品においてポジティブな要素とネガティブな要素の並列された状態で深く精査していこうという購買側の情熱と努力は持ち合わせません。

同時に断片化も進んでおり、ニコカラでアニソンはおぼえるけど、どんなアニメかはまったく知らないとか、コスプレもするし同人誌も買うけど、大本の作品はやったこともないとか、断片化されたコンテンツ消費が珍しくありません。統合された作品としてコンテンツを消費するのはむしろ珍しい、とさえ言えるでしょう。古い時代のオタク的なコンテンツ消費がむしろ統合された消費や、メタコンテンツとして文脈と歴史というより統合化された消費を、理想としていたのと比べると、真逆の方向性です。

要するに「濃度の高いコンテンツを楽しむ普通の人達」が大量に発生したわけですね。特に若年層にその傾向が顕著、とはよく言われますが、実際には上の年代にも広がっている、とは思います。まあ2012年にもなって、オタク世代論をぶつ気はありません。


この変化に苛立つ気持ちもわからなくはないのですが、では古典的なマニア像がそれほど正しかったのかというと、別段、消費者の一形態として、優劣など本来存在しないことに気づいてあらためて愕然とするわけです。ユーザー層が限られていた時代には、こだわりをもった人が関連商品を嬉々として買いあさり、一般的にはどうでもいい文脈や裏話などがこぼれてくるのを全力で拾い集めてくれる、という消費者像がコンテンツ供給側にとって、えらく都合がよかった、という事にすぎません。

普通の人に対するルサンチマン的な意識をはらみつつ、狭い所から進軍を開始したコンテンツ供給者たちとそのコンテンツ群がついに普通の人達に届いた、勝利した → その結果は、コンテンツに殉教する数百万の人たちではなく、コンテンツに対して適度な距離で適度に祭りを楽しむ人たち(実像としては数千から数十万のクラスターの集合体)であった、という事。

ゲーム業界でいえば、かつては「ソフトのために何万円もするゲーム機をためらいなく買う人」とか、逆に「ゲーム機に対する忠誠心をメタゲーム的に自己満足して、面白いかどうかではなくソフトメーカーのハードに対する漢気に惚れて買う人」とか、商品の良し悪しやコストパフォーマンスという通常の、そして適切な購買基準からすれば、異様な消費者が一定数いたのかもしれません。

しかしそれははっきりいって、いびつです。本人がその行為をどれほど文化的、消費者的に高尚だと自己主張したところで、客観的には愚かな消費者でしかありません。ゲーム機に価値観を仮託しないにせよ、地雷を恐れずに自分の眼力で多数の作品を購入し、プレイするユーザーというのは消費者としては実は賢くありません。

こだわりを持った人向けの高額商品ほど、じつはコストパフォーマンスが悪化していき、企業にとって利益率が跳ね上がっていくのと同じ構造で、「目利き」なんてものは、完全に消費者サイドに立って言うなら、実はさほど優秀な消費者ではありません。供給側にとって都合がいい消費者なのです。

消費社会において、低コストにユーザーを囲い込み、1人あたりの客単価を引き上げようと考えるのは、コンテンツ業界においても当然であり、理想の消費者像をそれがさも漢気あふれるユーザーであるかのように語り、一部のユーザーを「洗脳」していくのは自然です。

ま、それを真に受けた人たちの中に、実際にコンテンツ供給側に参加した人もおり、そういう人にとっては現状のライト化された市場は我慢ならないのかもしれませんね。「覇権アニメに振り回される業界がいくない!」とか、「ほしいソフトが1本でもあれば、ハードごと買うのが正しい!」とか、叫んじゃうわけです。


パッケージゲームの世界においては、「覇権」に振り回されるアニメ消費と同じように、ゲーム消費もまた濃ゆい市場においては、同じような消費スタイル(覇権という祭りに群がる人たち)がより成立してくるのだろうな、と思います。それについていけない会社は「オワコン」を量産し、どんどんブランドパワーを喪失していくのかもしれません。

「覇権」に群がる人たちの消費生態について、こだわりが無いなとおっさん臭い感想が湧いてくる事は僕にもあります。けれどもそれはおっさんの郷愁であり、彼らには彼らなりのこだわりのポイントがあり、その表出形態が異なっているのだと受け取るべきなのでしょう。「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らにゃソンソン」は真実でしょうが、踊り方にも色々とある、という事もまた認めなければいけません。

旧来の理想的な消費者像にしても、ネガキャンダンスが好きな人にしても、覇権に群がる人たちにしても、彼らなりにそれぞれ「しっかり踊っている」のでしょう。人は人生を最大限楽しむ生き物です。それが傍から見て、あまり楽しんでなさそうに見えても、いびつに見えたとしても。

そういう時代に消費者とどう付き合っていくか。
現状は模索期です。コンテンツ供給側にとって都合のいい理想的なユーザー像(および消費スタイル)と、ユーザー自身が選んでいる消費スタイルのマッチングがずれてきている。個々の事例として、マッチングに成功した企業やコンテンツはあるけれども、典型的な供給側 - 消費者のモデルとして一般化されてない、のだと思います。

ユーザーのコミュニティに対してコンタクトポイントを増やしていって、地道につきあってコンテンツとコミュニティを少しずつ育てていく他ないし、それを丁寧にやってきた所が強くなっている、と思います。モンハンにしても「モンハン部」のようなコミュニティを育てたり、ユーザーと接触するイベントをやったり、コンタクトポイントを増やす努力を欠かしていません。

企業にとって都合のいい消費者像を、あらためて、仕切り直して、ユーザーコミュニティにうったえかけて、そういう消費スタイルが最も幸福な消費行動である、という風に「再洗脳」していく必要があるのでしょう。


去年は、『モンハン』の改めての強さが証明されたり、各ハードに分散されてコミュニティが割れてしまった『テイルズ』が売上として復活するなど、いくつかのタイトルで成功事例が見られましたが、いずれも対ユーザーの施策において、コンタクトポイントを増やす努力を惜しんでいません。

一方で、ちょうど年末に出たばかりのタイトルとして例示させてもらうと、国内におけるゼルダの凋落は著しいものがあります。それが作品の品質うんぬんに起因しない事はほぼ明らかでしょう。売り方であり、ユーザーとのコミュニケーションのあり方です。

5年間閉じこもって作品に打ち込み続ける姿勢は職人ツルギーとしては美学かもしれませんが、対ユーザーのコミュニケーションという点では不実きわまりないでしょう。少なくとも、何年もかかって開発されたこだわりのゲームを待ちに待ってプレイすることがとても尊く、価値があり、素晴らしい幸福なゲーム体験である、としてユーザーを「洗脳」する努力はしておくべきでしょう。そういう価値観のユーザーは明らかに、それも旧来、信者として総称された層の中においても、あからさまに減っているのですから。

別段、ゲームに直接関係ないような声優イベントをやるのが正しいコミュニケーションだなどというつもりはありません。企業やコンテンツによって、コミュニケーションの姿は様々あります。『モンハン』と『テイルズ』の2本を見ても、かなり異なっています。しかし「秘境の奥地で5年間煮込まれた伝説の料理」を最大限売りたいのであれば、行列を作ってまで食べたい料理を食べる「食通」こそが消費スタイルとして素晴らしいという、洗脳ぐらいはすべきでしょう。

少なくとも90年代のゲーム業界は、その種の洗脳は、自然にできていたのですから。無論ネット社会になって、情報量が増えすぎた結果、「企業側の理想とする消費スタイルの欺瞞」が暴かれた影響は大きいです。けれどもコンテンツ産業は、コンテンツの品質、ユーザー体験、それに加えて消費スタイルの理想像さえもあらためて売り直していく必要があるのだろうな、と思います。シンドイけどね。


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コメント

こんにちは。いつも記事を拝見させてもらっています。kentさんの記事でもコメントしましたTOMと申します。

僕は業界や市場やユーザーの実態についてはあまりよくわかりませんが、僕の場合ネガキャンについては「怒っている」というより「呆れている」と言った方が正しいでしょうか。でもよくよく考えると、ゲームハードに限らず色んな分野でネガキャンのようなものは常に行われていますし、それがむしろ当たり前の状態だったのか?と思うことも。(ネットが普及し表面化してきただけで)

人によって考え方は違えど、そういう風に盛り上がる・楽しんでいる人がいるのもまた事実なわけで、彼らの存在を全否定するつもりはありませんが、そういう人たちにも興味を持ってもらい購入してもらうようなゲーム作りをしなければいけない。しかも近年のゲーム業界の変化は目まぐるしく、それに対応し続けなければいけない開発者って大変だなと、素人考えですが常々思ってしまいます。(ゲーム業界に限らずの話ではありますが)

ネガキャン自体をどうこう言うつもりはないけれど、コンテンツに関する関心は昔程熱心ではないユーザーが増えて来た、ということですかね。ネットの普及が拡大するにつれて、テレビにあまり関心を持たなくなってきた事例や、より手軽にゲームとコミュニケーションを楽しみたい層がソーシャルに流れていったように、ユーザー層の分化はこれからも着実に進むでしょうね。思うに今の人達て情報を共有することに重点を置いてるような気もしますね。それは掲示板だったり、ブログだったり、Twitterだったり、facebookだったり。その中で、ハードに固執するコアユーザー?というのはすでに希少な存在なのかもしれません。それでもこの層がなければ今のゲーム業界は成り立たないので、この層を維持しつつ新規ユーザーをいかに開拓していくことがゲームに限らずコンテンツ産業の課題なのかもしれません。

>PSVitaのローンチ発売後でのネガキャンが酷いよねという話と、3DSの発売後にも酷かったよねという話。
目に付きやすくなったというだけで、PSPPS3が出た当時も同じレベルかそれ以上のネガキャンはありましたよね。
ネガキャンされまくったPS3PSPが今どうなったのか、ネットの風評なんてまったく見ないようなユーザーがメインのwiiがどうなったのか。

ぶっちゃけネガキャンがいくらひどかろうが、
本当に金を払うユーザーが、価値を見出せる物だったら盛り上がるんですよね。
逆にこの程度の風説でつぶれるようなハード事業ならそれまででしょう。

てか、この理論突き詰めてくと3DSの値下げもネガキャンの所為になっちゃうのでしょうかw

> TOM さん
> 僕の場合ネガキャンについては「怒っている」というより「呆れている」と言った方が正しいでしょうか。

そうですね。呆れるという感覚は健全なものだと思います。

ネットの普及期に、企業の不祥事や不具合について正しく批判の声をあげるという機能性はネットに仮託されましたし、それは今なお健在だと思いますが、その功罪というかな、ネガティブな攻撃力の側面が遊離してしまった、という事も現象としては認識すべきなのでしょうね。

例えば、ソニーのPSPの初期不良の騒動であったり、直後に起こったゲートキーパー事件、そして久多良木氏の失言など、ソニーのゲーム事業の印象を非常に悪化させる一連の出来事があり、まあそれは当時としては、ネットの批判力の素晴らしさを象徴してみせたわけです。ネットの無数の匿名の人たちの声が結集されて、傲岸不遜な巨大企業さえ揺るがすのだというような。

しかしそれもやがて変質します。「GK」という言葉がその後も、何年にもわたって生き残り続けるうちに、批判としての文脈よりも、ネガティブな攻撃性のみが残って、使用され続けているような現状もありますね。既にネットの批判力というのは、その大半が信頼性をかなり喪失しており、メタ化され、ネタ化され、負の祭りとして現象化されてしまったな、と思います。

そういう意味では、逆にいうと、匿名系のネットは(どうせまたいつものネガキャンだろと思われてしまうために)真の攻撃力を失った、ともいえます。PS3やPSVitaに関するネガキャンなんてものは、そうした類のものでしょう。空騒ぎするたびに、真の意味での批判力は摩耗していっているのが実情です。

炎上でさえ、もはや炎上マーケティング乙、以上のものではありませんからね。そういう意味ではネットはさほど怖いものではなくなった、得体のしれないものではなくなりましたね、企業にとって。有象無象が少し集まって、大きな声でわめいたところで、たかが知れているな、と。


> ati- さん
> ハードに固執するコアユーザー?というのはすでに希少な存在
実数としては、本当に希少種になってきた感がありますね。


> DAP さん
> ぶっちゃけネガキャンがいくらひどかろうが、
> 本当に金を払うユーザーが、価値を見出せる物だったら盛り上がるんですよね。
おっしゃるとおりです。
ですから僕は、別段、ネガキャンに対してとりわけ不快感を表明しませんし、割とどうでもいいものだと思って眺めています。

3DSの初期の躓きも、単に商品に魅力がなく、値段設定を誤っていただけの事です。ネガキャンごときがたいした力を持っているわけではありません。それはPS Vitaにも言えることで、僕はPSVitaの現状は堅調だと認識していますが、PSPがまだ市場として強いため、PSVitaが不調に見えてしまうという認識も一方にはあるでしょう。が、それだけの事です。ネガキャンがあろうが無かろうが、PSPからの移行は着実に進んでいくと思います。

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