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ゲーム開発の「水平分業」と「垂直統合」
最近よく話題に出るのはDS、特に『脳トレ』以降、ゲームの作り方がファミコンの頃に戻ってきたね、ということです。開発期間の圧倒的な短さや人数の少なさは、まさにファミコン時代並みですし、ネタから商品になるまでの鮮度(サイクルの短さ)も良くなっています。
「垂直統合」から「水平分業」への歴史
ゲーム制作って、最初は垂直統合型でした。プログラマー自分で仕様を決めて、自分で絵を描いて、動きをプログラムで制御していました。プログラマー=ゲームデザイナーという時代です。それから少しして、絵を描く人とプログラムを組む人と音楽を作る人の3人ぐらいに分かれて、ゲームデザインはその中の1人がやるようになりました。
徐々にゲームデザイナーという言葉が死語になっていきました。ディレクターという肩書きの人が現れて、企画は自分では絵を描かないし、プログラムも組まなくなります。規模が拡大するにつれて、それぞれのパートの人数が増えていって、プランナー、デザイナー、プログラマーの上に3Dとか2Dとかエフェクトといった冠がつくようになりました。水平分業の時代です。
その方が1人1人が早く専門家に育ちますし、組織の効率も良くなります。しかしデータを量産するのは開発中盤以降ですから、序盤は少人数で、中盤以降に人を増やしてガッと作ることになり、忙しい時期を連続して経験するスタッフが増えていきました。
すると人が疲弊するのが早くなるし、自分のパート以外に目が向かない、「木を見て森を見ず」の人が多くなります。スタッフがじっくりゲームを遊んだのがデバッグ期間中になって初めて、という状況があちこちで発生するようになりました。
するとまあ、特に大作と呼ばれるゲームに顕著なのですが、色々なパートを組み合わせた時の統一感が落ちたり、デモを見ているのか、ゲームを遊んでいるのか、よくわからないゲームが出来るようになりました(最近では、デモの中でちょっとインタラクティブな部分を入れる試みも行われています)。
垂直統合型を見直す
で、作る側がそういうやり方に慣れているため、小さいゲームを作る時にもその水平分業型をシュリンクした、ミニマムな水平分業で作ろうとするんですが、それではなかなかいい物ができないという問題に、少なくない開発会社がぶち当たっていると思います。
ボリュームのある物をいかに効率よく作るかという課題と、小さいけれども快適で便利なものを短期間に仕上げるという課題は全然違うんですね。垂直統合型で、例えばFLASHでも、試作プログラムでもいいんですが、できるだけ少人数で、ディレクターとデザイナーとプログラマーの3人、あるいはデザイナーとプログラマーの2人、理想的には1人で組み上げる。それを毎日さわって、いじって、作って壊してをくり返した方が明らかに快適なものは作れるんです。
ところが世の中の開発会社では、手触りベースでは作れないという話がよく出ます。何故かというと、そんな時間も無いし、お金も無いという言い訳が出てきます。しかしそういう人たちの全員ではありませんけど、少なくとも何割かの人を、ボクは嘘つきだと思います。
どうして時間がかかるかというと、水平分業の作り方でやっているからですね。仕様書を書いて、社内あるいは外部の会社に渡して、できあがるのを待っているというやり方なんです。そりゃ、そんなに長いサイクルを何度も回すなんてできません。当たり前のことです。
サイクルを何度も回すには、サイクルを小さく短くしなければいけません。10人が4人に、5人が3人に、3人が2人に、そして1人になれば、サイクルは小さく短くなっていきます。究極的には1人でやれば早いですよね。タイミングをいじったり、レイアウトをいじるのも、自分の中で完結するから、2時間、3時間で画面の動きをいじれるでしょう。それが2人になると、半日、1日みたいな時間になるでしょう。3人とか4人になると、2日とか3日になるでしょうね。
例えば、デジタルのツールで絵を描くときに、線を描いては消してということをしますし、文章を書くときにも書いては消してをくり返しながら書き上げます。その「作って壊して」のサイクルは非常に短いし、コストがやたらとかかるわけでもありません。ですから「作って壊して」が時間も費用もかかるというのはまったくの嘘なんです。問題はフィードバックまでのサイクルの長さです。
現場が正しいと言うのは簡単
要は、作り方の問題なんてすね。
『脳トレ』を始めとする実用ソフトやカジュアルゲームが世の中を席巻したとき、超短期開発の案件がゲーム業界に増えました。3ヶ月とか1ヶ月で作れと言われたとき、現場の制作者の中には「殺す気かよ!」と叫ぶ方もいらっしゃいました。「偉い人は何もわかっちゃいない」という話も出ました。
しかしそれは、水平分業に慣れきっているからなんですね。実は一番わかってないのは現場かもしれないわけです。物作りをする人は苦労すればするほど、のめり込めばのめり込むほど、現場は正しいと信じ込み、上層部を批判しがちです。
確かに作っていない人間より、実際に作っている人間の方がよくわかっているケースは多いでしょう。けれども、一方で現場が伝統的なやり方に固執し、無意識に変化を嫌っているケースもあります。現場が一番頑迷というのは、割とありかちな話です。有能というのは、多くの場合、方法への最適化とイコールですから、方法そのものが聖域化してしまいがちです。
「水平分業」を前提にしたゲーム開発の未来像ばかりが語られている
DSやWiiの路線が成功をおさめて、ライトゲーム、カジュアルゲームが持てはやされた時、「そういう軽いソフトは中国や韓国でも作れるから、そういうゲームばかり作っていても、日本のゲーム制作者に未来は無い」というような事を言う人がいらっしゃいました。
大規模プロジェクトを効率よくこなす北米と、人件費の安いアジアに挟まれて、日本のゲーム制作には未来が無い、という主張もありました。けれども、ボクにはそうは思えません。
率直にいって、そういう考え方の人は、ゲームを舐めてるんじゃないか、と感じます。ちょっとキツい書き方だったかもしれませんね。言い換えると、頭の中が水平分業に捕らわれていて、より複雑な、より大規模な水平分業をこなすことに価値があると思い込んでおられる。
大規模なソフトにおいて、あるパートをアジアに投げて、開発費が下がりました、という話は聞くようになりました。水平分業の行き着き先はそういう未来です。しかし小規模で、快適に使えて、時流に沿った鮮度の良い、たいへん質の高いソフトをアジアに投げて作れるでしょうか? ゲームを舐めている人が認めるクオリティのソフトは作れているかもしれませんが、ボクは1つも作れていないと思います。
製造業の世界は、目先のコストダウンに追われて、ある時期、水平分業に大きく傾きました。その結果、アジアに技術が流出して、国際競争で不利になっていったのは皆さんご存知だと思います。そして最近では、多品種少量開発ということで、国内に製造拠点を作っているメーカーが多いわけです。またコアの技術をよそに出さないように、垂直統合型のビジネスをよしとする考え方が強まりました。
(参考:やはり生産の空洞化はアホのやることでしょ。[会社活動])
アップルのiPodも、ハードからソフト、サービスに至るまでの新しい垂直統合型ビジネスとして、注目されました。デジタル家電の話と、ゲームソフトの話を同じ扱いで語ることはできませんが、時代の変化と共に、成功モデルが変わっていくという点は同じです。
補足:大作ゲームの開発手法にも変化が
欧米の大作ソフトでもアジャイル的な開発手法への注目が高まっています。先日のGDCも話題になりました。
ゲーム機の世代交代の時期には、以前の開発手法への見直しが行われます。最初は前世代の方法論をそのまま拡張してやってみますが、1回作ってみると、問題点がわかってきて、次の手法が生まれてきます。
以前、日本のゲーム産業が欧米に追いつけなくてまずい……という妄想を語っておられる方々がいました。けれども、その理論的な根拠は結局、古い開発モデルにあるんですね。開発モデルそのものが変化しつつある現状で、そんな数年前の妄想は本当にただの妄想になりつつあります。
ゲーム制作って、最初は垂直統合型でした。プログラマー自分で仕様を決めて、自分で絵を描いて、動きをプログラムで制御していました。プログラマー=ゲームデザイナーという時代です。それから少しして、絵を描く人とプログラムを組む人と音楽を作る人の3人ぐらいに分かれて、ゲームデザインはその中の1人がやるようになりました。
徐々にゲームデザイナーという言葉が死語になっていきました。ディレクターという肩書きの人が現れて、企画は自分では絵を描かないし、プログラムも組まなくなります。規模が拡大するにつれて、それぞれのパートの人数が増えていって、プランナー、デザイナー、プログラマーの上に3Dとか2Dとかエフェクトといった冠がつくようになりました。水平分業の時代です。
その方が1人1人が早く専門家に育ちますし、組織の効率も良くなります。しかしデータを量産するのは開発中盤以降ですから、序盤は少人数で、中盤以降に人を増やしてガッと作ることになり、忙しい時期を連続して経験するスタッフが増えていきました。
すると人が疲弊するのが早くなるし、自分のパート以外に目が向かない、「木を見て森を見ず」の人が多くなります。スタッフがじっくりゲームを遊んだのがデバッグ期間中になって初めて、という状況があちこちで発生するようになりました。
するとまあ、特に大作と呼ばれるゲームに顕著なのですが、色々なパートを組み合わせた時の統一感が落ちたり、デモを見ているのか、ゲームを遊んでいるのか、よくわからないゲームが出来るようになりました(最近では、デモの中でちょっとインタラクティブな部分を入れる試みも行われています)。
で、作る側がそういうやり方に慣れているため、小さいゲームを作る時にもその水平分業型をシュリンクした、ミニマムな水平分業で作ろうとするんですが、それではなかなかいい物ができないという問題に、少なくない開発会社がぶち当たっていると思います。
ボリュームのある物をいかに効率よく作るかという課題と、小さいけれども快適で便利なものを短期間に仕上げるという課題は全然違うんですね。垂直統合型で、例えばFLASHでも、試作プログラムでもいいんですが、できるだけ少人数で、ディレクターとデザイナーとプログラマーの3人、あるいはデザイナーとプログラマーの2人、理想的には1人で組み上げる。それを毎日さわって、いじって、作って壊してをくり返した方が明らかに快適なものは作れるんです。
ところが世の中の開発会社では、手触りベースでは作れないという話がよく出ます。何故かというと、そんな時間も無いし、お金も無いという言い訳が出てきます。しかしそういう人たちの全員ではありませんけど、少なくとも何割かの人を、ボクは嘘つきだと思います。
どうして時間がかかるかというと、水平分業の作り方でやっているからですね。仕様書を書いて、社内あるいは外部の会社に渡して、できあがるのを待っているというやり方なんです。そりゃ、そんなに長いサイクルを何度も回すなんてできません。当たり前のことです。
サイクルを何度も回すには、サイクルを小さく短くしなければいけません。10人が4人に、5人が3人に、3人が2人に、そして1人になれば、サイクルは小さく短くなっていきます。究極的には1人でやれば早いですよね。タイミングをいじったり、レイアウトをいじるのも、自分の中で完結するから、2時間、3時間で画面の動きをいじれるでしょう。それが2人になると、半日、1日みたいな時間になるでしょう。3人とか4人になると、2日とか3日になるでしょうね。
例えば、デジタルのツールで絵を描くときに、線を描いては消してということをしますし、文章を書くときにも書いては消してをくり返しながら書き上げます。その「作って壊して」のサイクルは非常に短いし、コストがやたらとかかるわけでもありません。ですから「作って壊して」が時間も費用もかかるというのはまったくの嘘なんです。問題はフィードバックまでのサイクルの長さです。
要は、作り方の問題なんてすね。
『脳トレ』を始めとする実用ソフトやカジュアルゲームが世の中を席巻したとき、超短期開発の案件がゲーム業界に増えました。3ヶ月とか1ヶ月で作れと言われたとき、現場の制作者の中には「殺す気かよ!」と叫ぶ方もいらっしゃいました。「偉い人は何もわかっちゃいない」という話も出ました。
しかしそれは、水平分業に慣れきっているからなんですね。実は一番わかってないのは現場かもしれないわけです。物作りをする人は苦労すればするほど、のめり込めばのめり込むほど、現場は正しいと信じ込み、上層部を批判しがちです。
確かに作っていない人間より、実際に作っている人間の方がよくわかっているケースは多いでしょう。けれども、一方で現場が伝統的なやり方に固執し、無意識に変化を嫌っているケースもあります。現場が一番頑迷というのは、割とありかちな話です。有能というのは、多くの場合、方法への最適化とイコールですから、方法そのものが聖域化してしまいがちです。
DSやWiiの路線が成功をおさめて、ライトゲーム、カジュアルゲームが持てはやされた時、「そういう軽いソフトは中国や韓国でも作れるから、そういうゲームばかり作っていても、日本のゲーム制作者に未来は無い」というような事を言う人がいらっしゃいました。
大規模プロジェクトを効率よくこなす北米と、人件費の安いアジアに挟まれて、日本のゲーム制作には未来が無い、という主張もありました。けれども、ボクにはそうは思えません。
率直にいって、そういう考え方の人は、ゲームを舐めてるんじゃないか、と感じます。ちょっとキツい書き方だったかもしれませんね。言い換えると、頭の中が水平分業に捕らわれていて、より複雑な、より大規模な水平分業をこなすことに価値があると思い込んでおられる。
大規模なソフトにおいて、あるパートをアジアに投げて、開発費が下がりました、という話は聞くようになりました。水平分業の行き着き先はそういう未来です。しかし小規模で、快適に使えて、時流に沿った鮮度の良い、たいへん質の高いソフトをアジアに投げて作れるでしょうか? ゲームを舐めている人が認めるクオリティのソフトは作れているかもしれませんが、ボクは1つも作れていないと思います。
製造業の世界は、目先のコストダウンに追われて、ある時期、水平分業に大きく傾きました。その結果、アジアに技術が流出して、国際競争で不利になっていったのは皆さんご存知だと思います。そして最近では、多品種少量開発ということで、国内に製造拠点を作っているメーカーが多いわけです。またコアの技術をよそに出さないように、垂直統合型のビジネスをよしとする考え方が強まりました。
(参考:やはり生産の空洞化はアホのやることでしょ。[会社活動])
アップルのiPodも、ハードからソフト、サービスに至るまでの新しい垂直統合型ビジネスとして、注目されました。デジタル家電の話と、ゲームソフトの話を同じ扱いで語ることはできませんが、時代の変化と共に、成功モデルが変わっていくという点は同じです。
欧米の大作ソフトでもアジャイル的な開発手法への注目が高まっています。先日のGDCも話題になりました。
ゲーム機の世代交代の時期には、以前の開発手法への見直しが行われます。最初は前世代の方法論をそのまま拡張してやってみますが、1回作ってみると、問題点がわかってきて、次の手法が生まれてきます。
以前、日本のゲーム産業が欧米に追いつけなくてまずい……という妄想を語っておられる方々がいました。けれども、その理論的な根拠は結局、古い開発モデルにあるんですね。開発モデルそのものが変化しつつある現状で、そんな数年前の妄想は本当にただの妄想になりつつあります。
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意識統一の問題
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私は別の点で水平作業には疑問を持っていました。
「木を見て森を見ず」というお話がありましたが、水平分業の問題点は、作業の意識に齟齬が生じやすいという事もあると思います。
仕様書というのは、その裏に意図があるのですが、水平分業の場合はその意図まで汲み取る事は(特に末端は)難しいです。
その為に生じるロス・・・例えば、意図が汲み取れていれば「それならばこうした方が良いのでは?」と末端からアイディアが出る事もありますが、それは期待できませんし、意図を汲み取れない為に生じるミスというのも多少なりあります。
クオリティの面でも意図が分かって作っているモノと理解せずに作っているモノでは差が出ると考えられます。
また、これは人にもよると思いますが、特にモノ造りが好きな人ならば、より理解して作っている方が「やる気」に通じるトコロがあるとも思います。