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美少女ゲームにおける擬似家族と本物の家族の対立。そして『レジンキャストミルク』

レジンキャストミルク 6藤原 祐

クライマックスに近づいていく物語

あり得たはずの可能性の世界=虚軸(キャスト)。虚軸を現実世界=実軸(ランチ)に具現化させた人間は、滅んだ可能性に関する、特殊能力を用いることができるが、引き換えに何かを失う。痛み、子どもの頃の記憶、特定の感情、他人を認識する能力、……。

4年前、城島晶の日常は砕かれて、家族は奪い去られた。残った自分の日常を守るため、城島晶は妹の姿を取っている虚軸・硝子といっしょに、他の虚軸と戦っていた。成長した彼らの前に、家族を奪い去った敵【無限回廊】(エターナル・アイドル)が再び姿を現した。新たな虚軸を生み落とす力をもつ【無限回廊】が差し向ける敵と戦ううちに、晶と硝子は急速に力をつけ、お互いの絆を深めていく。

しかし皮肉にも、それこそが敵の狙いだった。晶が日常よりも硝子を選択したとき、本当の敵が実軸に出現した。というのが前巻までの物語である。

現代学園異能の代表作の1つ『レジンキャストミルク』。この巻ではいよいよ主人公・城島晶の秘密や、敵の目論見が明らかになる。が、晶は終始、翻弄されっぱなしである。一方的に弄ばれている。酷い状況に陥っても、冷静さを失わない(?)のが売りの主人公ではあるのだけど、相手の狙いが不明なうえ、自分が知らない事実が次々と明かされれば、後手後手に回るのも仕方ないかもしれない。

でも、叩かれてへこんだときに助けてくれるのが仲間であり、逆境から立ち直ってこそ成長というもの。仲間を利用するんじゃない、信頼する。彼らに頼る勇気も覚悟も必要。腹をくくってこそ、前へ進める。

次巻からは、やられっぱなしだった晶たちの反撃がいよいよ開始されるはず。クライマックスに向かって物語は加速していく。


美少女ゲームにおける、擬似家族と本物の家族の対立

しかしこの物語、まさしく偽者対本物の戦いなのだな。主人公の晶は実より虚を選び、擬似家族と共に本物に抗うことを決意する。硝子も晶を全肯定する。
「イエス、マスター」
 彼女は応える。
「罠を張って待ち伏せ、策に嵌めて陥れましょう。罠を張られても笑ってかわし、策に嵌められても足掻いて抜け出しましょう。たとえ向こうが真でこちらが偽でも、そんなことはわたしたちの現実には関係ありません。私と貴方と偽の世界たちは現実なんかには負けません」
現代学園異能は主人公が美少女たちと日々の生活を送る「ギャルゲー的な日常空間」と、異能の力で敵と戦い、頭脳をつかって勝利する「少年マンガ的異能バトル」を組み合わせたジャンルだが、ほとんどの美少女ゲームは主人公の両親が登場しないという特質を備えている。

主人公の父親、母親は死んでいたり、海外を駆け回っていたり、転勤して遠くにいるのが通常である。主人公の家には彼の他に誰もいないか、血がつながっていない姉妹が生活している。あるいは、主人公は幼なじみの家に居候している。

ジャンル的な要請もある。主人公の自宅に親がいては、おちおち自室でセックスできない。まあ出来ないことはないが、色々と不便である。また、親がいないからこそ、幼なじみや級友が主人公の夕飯を作りにやってきたり、朝起こしにやってくる理由が生まれる。

もう1つの理由は、主人公と父親がライバル関係にあるからだ。美少女ゲームの出自はもともと、エロゲーである。古典的なエロゲーにおいては、主人公と父親はどちらが優れた種馬かを競うライバル関係にある。主人公は父親が築いた楽園から離脱し、自分の楽園を築く。エロゲーにおける正しい世代継承とはそういうものだ。しばしば攻略対象として、未亡人の母(血はつながってない)が含まれているのも、父親の楽園から王妃を簒奪し、正統な継承を果たしたという権威づけの意味があるわけだ。(注釈

楽園というのは、まあエロゲー的にはハーレムなのだが、それをやや現実寄りに帰着させるなら、家族の形成が必要になる。美少女ゲームにおいても、主人公は次代の楽園=家族を築くという暗黙の目的を背負う。それは必ずしも現実の家族である必要は無く、一時的なものとして、擬似家族を形成することもある。『家族計画』のように、擬似家族モノと美少女ゲームは親和性が高い。

多くの美少女ゲームでは、両親の不在という形で、暗黙に世代=家族の継承をおこなう。わざわざ旧世代との対決は行わない。プレイヤーが自分の楽園に埋没するうえで、無粋な対立は不要だからだ。

けれども小説という形態を主軸にする、現代学園異能においては、話は変わる。現代学園異能の先頭集団に属する『レジンキャストミルク』において、再びそのテーマが掘り起こされている点は非常に興味深い。

関連
ノベルゲームの持つ原罪を小説はどう処理したか? そして『ひぐらしのなく頃に 賽殺し編』

注釈
90年代中盤までは、その種馬競争的なニュアンスが色濃く残っていた。そのため、より年若い少年向けに、あえて濃厚な部分やエロを排除した「ギャルゲー」(コンシューマーの美少女ゲームをそう呼んでいた時代がある)が発売される意味があった。
しかし90年代後半に至り、LeafやKeyの作品が人気を集め、エロゲーにおいて「純愛」物が流行るようになると、種馬競争的な濃厚さは隅に追いやられる。結果としてギャルゲーはアイデンティティを失い、市場を縮小させていく。

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テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:レジンキャストミルク  藤原祐  

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