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評判のきわめて高い、良質のジュブナイル 『ジョン平とぼくと』
ジョン平とぼくと(大西科学)
amazon bk1
少年少女向けの良質な成長物語として、各方面でやたらと評判が高いと聞く『ジョン平とぼくと』。派手さには欠けるものの、たぶんハリーポッターの読者なら、この本も楽しめるんじゃないでしょうか。
科学のかわりに魔法が発展した社会で、どういうわけか魔法が不得意な少年、「ぼく」こと北見重。彼の使い魔はジョン平という呑気な犬。落ちこぼれ少年とゆる〜い犬のコンビは、誰もが魔法を使える社会で、あんまり目立たないように、居心地が悪そうに、自分たちのペースで毎日を過ごしています。
■魔法が不得意な少年だから持てるユニークさ
魔法が不得意で、真面目に取り組む気もとぼしい「ぼく」が科学に傾倒するのは自然な流れでしょう。放課後になるといつも化学室にこもって、ジョン平と一緒に実験を続けています。科学の専門家ではありませんが、学校という限られた世界では、もっとも科学的な視点で物を見られる人間です。
「ぼく」の周辺では、クラスメートの使い魔が突然暴走したり、行方不明になる事件が立て続けに起こります。それらは魔法に関係する事件でありながら、解決に科学的視点を要するという点が面白いです。科学に傾倒しているがゆえに持てる、「ぼく」のちょっとユニークな視点がここで活きてきます。
■「ちょっと」が身近なリアリティを生む
良質なジュブナイルにおいて、大切なことの1つがその「ちょっと」です。ちょっとした知恵、ちょっとした勇気、ちょっとした喜び。現に、世界はそういう物で構成されています。
ライトノベルにおいては、少年とその周辺のトラブルが世界そのものの危機に直結しているような展開がありがちで、それは思春期の自意識の肥大化を具現化しています。ライトノベルは娯楽性を追求した結果、そのエスカレーション性を選択したわけですが、一方である種の一般性を失いがちです。少年はヒーローたり得ないからこそ少年なのです。
■親が不在の成長物語
この成長物語で特徴的なのは「親」の不在です。「ぼく」の父親は確実に死んでいて、かわりに父の使い魔のエンダー(なんとパンダですよ!)が家事をこなしながら、父親然として振舞っています。
世の中の多くの「少年の成長物語」では、父親の生死が不明な場合、少年は父の背中を追いかける宿命や使命感を抱いていて、やがて「実は生きていた」父親に再会するというオチがつきます。しかしこの作品ではそういう典型的なパターンを最初から封じているのですね。
大人になるとは、大人の教えを身につけることではないですし、大人と同じような立ち居振る舞いや、考えができることでもありません。そもそも大人からして、ずいぶんと不確かな生き方をしているわけですよ。基本的に大人は「ぼく」を導きません。それでも子どもは勝手に育っていくわけです。この小説に書かれているのは、そういうちょっとしたたくましさなのです。
amazon bk1少年少女向けの良質な成長物語として、各方面でやたらと評判が高いと聞く『ジョン平とぼくと』。派手さには欠けるものの、たぶんハリーポッターの読者なら、この本も楽しめるんじゃないでしょうか。
科学のかわりに魔法が発展した社会で、どういうわけか魔法が不得意な少年、「ぼく」こと北見重。彼の使い魔はジョン平という呑気な犬。落ちこぼれ少年とゆる〜い犬のコンビは、誰もが魔法を使える社会で、あんまり目立たないように、居心地が悪そうに、自分たちのペースで毎日を過ごしています。
■魔法が不得意な少年だから持てるユニークさ
魔法が不得意で、真面目に取り組む気もとぼしい「ぼく」が科学に傾倒するのは自然な流れでしょう。放課後になるといつも化学室にこもって、ジョン平と一緒に実験を続けています。科学の専門家ではありませんが、学校という限られた世界では、もっとも科学的な視点で物を見られる人間です。
「ぼく」の周辺では、クラスメートの使い魔が突然暴走したり、行方不明になる事件が立て続けに起こります。それらは魔法に関係する事件でありながら、解決に科学的視点を要するという点が面白いです。科学に傾倒しているがゆえに持てる、「ぼく」のちょっとユニークな視点がここで活きてきます。
■「ちょっと」が身近なリアリティを生む
良質なジュブナイルにおいて、大切なことの1つがその「ちょっと」です。ちょっとした知恵、ちょっとした勇気、ちょっとした喜び。現に、世界はそういう物で構成されています。
ライトノベルにおいては、少年とその周辺のトラブルが世界そのものの危機に直結しているような展開がありがちで、それは思春期の自意識の肥大化を具現化しています。ライトノベルは娯楽性を追求した結果、そのエスカレーション性を選択したわけですが、一方である種の一般性を失いがちです。少年はヒーローたり得ないからこそ少年なのです。
■親が不在の成長物語
この成長物語で特徴的なのは「親」の不在です。「ぼく」の父親は確実に死んでいて、かわりに父の使い魔のエンダー(なんとパンダですよ!)が家事をこなしながら、父親然として振舞っています。
世の中の多くの「少年の成長物語」では、父親の生死が不明な場合、少年は父の背中を追いかける宿命や使命感を抱いていて、やがて「実は生きていた」父親に再会するというオチがつきます。しかしこの作品ではそういう典型的なパターンを最初から封じているのですね。
大人になるとは、大人の教えを身につけることではないですし、大人と同じような立ち居振る舞いや、考えができることでもありません。そもそも大人からして、ずいぶんと不確かな生き方をしているわけですよ。基本的に大人は「ぼく」を導きません。それでも子どもは勝手に育っていくわけです。この小説に書かれているのは、そういうちょっとしたたくましさなのです。
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