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アバター感想

CG映画における『ジュラシックパーク』が1つのマイルストーンになったように、『アバター』も映画史における1つのマイルストーンになりました。そういう意味では、今この時に観ないと、体験価値が下がってしまう映画であるのは間違いありません。

CGで作り上げられたクリーチャーや植物は、その造形と質感において作り物(CG)であることを完全に忘れてはいません。意図的にアニメ映画風にデザインされています。にも関わらず、現実と作り物の境界はなめらかで、違和感をおぼえません。

そしてそれが目の前にあるのです。
「世界に飲まれる」という感覚。
なるほど、最初の数分間は意図的にアトラクションめいた演出を利かせています。


観客は3D映像に軽く驚きつつ、徐々にパンドラという未開の惑星の生態系に引き込まれていきます。アバターという着ぐるみは当初、拿捕されたエイリアンのような不気味な演出で登場し、そこに意識はありません。怪我によって歩けなくなった海兵隊である主人公にとって、アバターは手術代を稼ぐための、危険だが手っ取り早い手段にすぎません。

しかし初めてアバターを起動した途端、彼の世界は一変します。新しく、強靱な肉体を得た彼の昂奮と開放感は、パンドラという惑星の壮大な映像を通して、観客にも伝わってきます。

そしていよいよ不気味な「青い猿」である原住民ナヴィとのファーストコンタクトを果たします。アバターとナヴィ、外見はそっくりであるにも関わらず、その違いにまったく驚かされます。表情が明らかに違うのです。いえ、真に驚くべきは、ただのエイリアンだったはずなのに、いつのまにか表情で両者の違いが区別できていること、その程度にこの外見に「慣れ」させられていることでしょう。

地球人類→不気味なエイリアン(水槽の中の意識のないアバター)→アバター(外見はナヴィだが、表情は地球人)→ナヴィという順番で登場するにつれて、演出が少しずつ変わっています。未知なる物が少しずつ既知なるものへと変わっていく過程を、じつに丁寧に描いています。

それはすなわち、監督がナヴィ族の不気味な印象を注意深くコントロールしているという事です。不気味な何かがよく知った何かになり、そして親しい隣人に変わっていくプロセスを物語として語るのではなく、視覚体験として観客に体験させようというのが、この映画の狙いなのでしょう。


やや大げさに評すれば、3D映画とは「体験する映画」の復活のチャンスであり、キャメロン監督は正確にその特性を突いてきたのです。ストーリーは普通に良くできていますが、王道であり、ベタです。その部分では高い評価を得られないでしょう。

不自由な人類の肉体と自由なアバターの肉体の対比と葛藤は映画の随所に見られ、おそらく当初の脚本段階では存在したであろう、奥深い設定の残り香を感じさせますが、完成した映画においては、決して前面に出すぎることはありません。

未知の不気味な存在が既知の隣人に変わっていくプロセスや、異種族間の恋愛といった表のテーマに比べれば、フレーバー以上の物ではありません。後半は娯楽映画としてわかりやすく盛り上げてくれます。その割り切りこそが娯楽映画監督としてのキャメロン監督のバランス感覚なのでしょう。


映画の体験性という点で、この映画はどこで観るか、どの劇場でどこの席で観るかが重要であり、それを調べるプロセスさえも楽しさの1つです。ネットでも情報がまとめられています。
『アバター』3D全方式完全制覇レビュー 

僕は手近な所で一番良さそうなXpanD方式で観ました。そこでも素晴らしい体験をしてきましたが、やはりもう一度時間を取って、IMAXで観たいなと思っています。


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2010-01

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