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エロゲーという娯楽の極点。嗜好性と物語のはざまで - アージュをめぐる話のついでに -

アージュをめぐる議論

エロゲー系ブログ界隈で、アージュについての議論が盛んなようです。うちの読者はこの辺の話を追いかけてなさそうなので、まずは簡単なまとめを。

発端は2chの「泣けるとされているエロゲランキング」。このランキングについてのkaien氏の感想から、徐々に広がっていったみたいです。
きみはエロゲで泣けるか? (Something Orange)
 『君が望む永遠』はアージュのヒット作。ぼくはこれ、あまり好きじゃないんだよなあ。ようするにただのベタなソープオペラですからね。
 序章が終わって本編が始まる場面を、いきなりセックスの描写から始めるいやらしさ、気持ち悪さは高く評価しますが、「泣ける」という評判はよくわからない。どこらへんで泣くものなんだろ。
泣けるか泣けないかは問題じゃない (敷居の先住民)
 ソープオペラってのがどういうものを指しているのかわからないけど、別に泣いてもおかしくないと思いますよ。冬ソナで泣ける人は君望でも泣けるでしょう。普通に主人公に感情移入してプレイすれば、泣けるように作られてるゲームだと思う。
(略)
 たしかに面白いことは面白いんだけどさ、結局「序章が終わって本編が始まる場面を、いきなりセックスの描写から始めるいやらしさ、気持ち悪さ」がアージュのシナリオの本質なんだもんなあ。底の浅い説教と、驚かせりゃ勝ちの一発芸の連続に慣れてくると、だんだん腹立ってくるんですよ。君ら、プレイヤー馬鹿だと思ってんだろと。プレイヤーにショックを与えたり感動させたりするには確かに有効な方法かもしれないけど、とにかく品がないんだよなあ、アージュの演出は。
何でそんなにアージュが嫌いなのか? (Something Orange)
 それは結局、パッケージとしての統一感のなさということに尽きると思うんです。例によってぼくは『君望』一作のことしか語れないわけですけれど、とにかくこの作品にはパッケージとしての「余剰」が多すぎる。

 具体的にいえば、茜と遥の二股で終わる結末や、愛美に監禁されて終わる結末はいったい何のためにあるのかということですね。

アージュは何でそんなに嫌われるのか? (物語三昧~できればより深く物語を楽しむために)

アージュが嫌われているわけと、アージュのいい所。 (アセティック・シルバー)
まぁ、ここらへんの「なんでも詰め込んじゃえ!」な辺りが非常にアージュらしいと言えば、それらしいですね。詰め込めばいいってもんじゃないと思う(笑)。「君が望む永遠」のファンディスクにしてもそう思う。もしもヒロインの涼宮遙が事故に逢わなかったら?というifストーリーが入っているのだけど、ここら辺の、消費者が望めば折れてしまう辺りはどうにかならないのか。セイバーシナリオのグッドエンディングは絶対作らないと言っている、TYPE-MOONの奈須きのことはまるで正反対(笑)。今夏発売されようとしているマブラヴオルタネイティヴのファンディスクも、ユーザーの要望によるものですし。
ただ、そういう気持ち悪さを肯定した故の美しさというような、アンビバレンツな物語にアージュはしようとしているんじゃないかなぁと、僕は思う。

age作品への最高の侮辱は「0点」よりも「50点」という評価 (あきっぽい)

アージュ嫌いを許してくれ (敷居の先住民)
 色々考えた末の結論としては、結局、個人の許容範囲の違いとしか言いようがないですね。上記のエントリで書かれている「気持ち悪さを肯定した故の美しさというような、アンビバレンツな物語にアージュはしようとしている」の、その「気持ち悪さ」の部分に耐えられなくなった人から脱落していくのがアージュのゲーム。
なぜ物語中毒者はageを嫌うのか (bmp_69)
物語愛好者にとっては、「本筋」を入れ物として扱うようなageのというか『君のぞ』の作風が我慢ができない。まあ、「その可能性をすべて描いてしまう」品のなさが小説的というか百科全書的というかそういう欲望というか快楽なんだと私なんかは思うわけですね。それは別にageが単に節操がないとかそういう話ではなくて、ペトロニウス氏風に言うと、ageの「思想」は一貫性というよりもバフチン的な多声性というか、雑多な物語を生成する場所を提示するというところにあるのです。さらにアレな話をすれば、そのような猥雑さの快楽というのは、最近のエロゲ界隈においては凌辱ゲー以外にはageぐらいにしか存在しないという摩訶不思議な状況が「気持ち悪い」というか勘弁してほしいというのが私の正直なところ。むしろ、そのようなエロゲ界隈の状況の偏りというか傾向がageの作品を「気持ち悪」くしているのではないかと。
アージュがらみで、ゲームシナリオの話 (ハーたん観察日記)
・なんで今さらアージュ叩きか
 叩きやすいから。新タイトルを出さないから。抵抗しない死体を苛めるのは楽しいから。
(略)
 そんなん、コンシューマーでとっくに終わった「シェンムー」の夢を追いかけちゃう勘違いなセンスに決まってんじゃないですか。小粒な作品のマルチシナリオの雑多な分岐展開と、長大な本筋に依存する一本道主義とを混ぜて議論したらダメでしょう。


「浮気性」はポルノの本質

ひとまず、以上。
すげー長さになったなあ(笑
アージュという会社の人気の高さがうかがえます。じつはみんなツンデレなんですよ、ええ。ホントは大好き。

というのは冗談ですが、ざっと見て、アージュの節操の無さ、下品さ、プレイヤーを驚かせれば勝ちというあざとさ、作品の裏に感じられる悪意に引っかかっている人が非常に多いご様子です。

ボク自身はそういう悪意(ほんとにあるの?)は全然気になりません。
個人的な体験を語れば、『君が望む永遠』の遥エンドでは泣きました。セカチューでは泣かなかったけど(笑 まぁボクがベタな話が好きだというのはある。一方『Kanon』や『Air』ではまったく泣けませんでした。いかにも「泣かせるような話」で泣く人がいるのは、不思議なことではないですよね。

ふと知りたくなったのは、上記の人たちが他にどんなエロゲーを遊んでいるかですね。特に陵辱系をどれだけ遊んでいるかは興味があります。bmp_69さんの指摘がボクは割りと腑に落ちていて、本来のエロゲーつかポルノはアージュや陵辱系のような物を指すんだと思うんですよ。

最愛の人との純愛を肉欲的に心いくまで楽しみながら、同時に彼女の妹と浮気するという可能性も楽しみたい。ポルノには本質的に「浮気性」がつきまといます。性産業自体が代理、代償、浮気といったものから生まれたようなものです。遥と茜の二股は当然の欲望だろうし、水月と遥と茜のハーレムエンドだって、あっても良かったぐらいなわけです。

もちろんそういうルートは「泣ける作品」としては余剰にすぎないんですが、アージュは「ただの泣ける作品」なんて作ろうとしてなかったと思うし。『螺旋回廊』みたいな路線では食い続けられないと判断して、ああいう皮をかぶろうと思っただけでしょう。当時colorful pure girlのインタビューでそんなこと言ってなかったっけか。

「セイバーシナリオのグッドエンディングは絶対作らない」という奈須きのこの態度のほうが、よっぽどポルノ作家らしくない。いや、まあ、TYPE-MOONはたまたまエロゲー市場で商売してるだけの会社で、ポルノゲーム会社じゃないんだけどさ。

お前、遥エンドで泣いたっていったくせに、遥と茜の二股とか許せるわけ? 蛇足でしょ? と問われれば、確かに感動作品としては余計ですが、複数のルートで違う味がするのはちっとも悪いことじゃない、と思うんですよ。美しい光景に感動しつつ、同時にその光景を無残にぶち壊したいのも人間の心でしょう。

アージュは「下品」と言われれば、それはまあそうなんです。でもプレイするエロゲーの比率が陵辱ゲームとそれ以外でほぼ半々のボクにしてみると、あの程度で嫌う理由は理解できない。そういう人は陵辱ゲームもほとんど遊ばない人なんだろうな、と思います。

アージュにしても、譲らない一線はあるのかなと思うわけで、優柔不断が過ぎたり、二股かけたりした場合は悲惨な終わり方ですね。ますますドツボる。ホントに下品なら、幸せなハーレムエンドの1つも作るでしょう。感動作品としては余計な選択はさせてあげるけど、ふさわしい不幸は味わっていただきますよ、という意思を感じます。


嗜好性と物語のはざまで

陵辱系というのは、猥雑な可能性と浮気性のごった煮みたいなもんで、最愛の人間と肉欲に溺れるエンドがあれば、最愛の人間を裏切り、傷つけて喜ぶエンドもあれば、寝取られるエンドもあれば、最愛の人間に刺し殺されるエンドもあれば……と、実に多様な可能性を下品なまでに展開してみせる。

エロゲーを娯楽産業の極点とするなら、陵辱系はその極点の中の極点。そこにあるのは、物語でも意味でもなく、嗜好性のみ。実際2chのエロゲー板に行って見てみるといい。「触手・化物に犯されちゃう系」「戦う変身ヒロインがやられちゃう系」「彼女または片想いの娘がやられちゃう系」「催眠術、媚薬、人格改造、マインドコントロール系」などなど、実にさまざまな嗜好によって、性欲が分類され整理されています。しかも1つのスレッドの中でも、さらに分派があります。

例えば、変身ヒロインがやられちゃう時には、コスチュームを脱がす、すべて破くのはタブーです。タブーを犯したゲームは地雷ゲー扱いされ、最下層に落とされるのですが、ほとんどの人には理解不能でしょう。さらに少し破くのはOK派、最後にエネルギーを吸引されて変身解除ならOK派、まったくダメ派、などと派閥が分かれるに至っては、もはや。

すべての嗜好を理解できる者などいない。
例えばボクは人体改造の類は好きではない。「ふたなり」なら許容範囲だが、それ以上になると「ただの変態じゃね?」と思います。無論、他のエロゲーマーからすれば、ボクも「ただの変態じゃね?」でしょう。変態が作り、変態が買う市場。しかしそもそも変態とは何か。それを欲望や嗜好の偏差だというのなら、そもそも「平均の人間」があり得ないように、人間はすべて変態なのですよ。

個々人によって異なる「嗜好」に応えることは現実には不可能ですが、ポルノ産業はできる限り最適な形で応えようとします。ジャンルを細分化し、作品を細分化することで、細分化していく嗜好にマッチングする。陵辱系ゲームが徐々にダウンロード販売に形態を移しつつあるのは、まったくもって正しい。嗜好のマッチングこそが究極なのだから、在庫を極小化するのは理にかなっています。

作り手のコストを最小化し、より小さい規模でバリエーションを多様化することで、嗜好のマッチングをおこなう。しかし現実にはリソースは有限なため、数千本か、数百本か、どこかで均衡します。究極的には1対1を理想としながら、市場原理によって適正規模に収束し、動的なマッチングの結果としてブームが発生します。その実装がエロゲー市場と呼ばれているものです。

極限までいってしまえば、「物語」は不要になります。なぜなら「物語」は複数の人間に共体験を生み出すために生み出されたものだからです。「物語」はベクトルとしては、共通、万人向けを志向し、「嗜好性」は分裂し、1個人専用を志向します。2つの極点の間に娯楽は存在するのです。

もう少し扇情的な表現をすれば、ポルノ的なるものは人間(の欲望や嗜好性)を全肯定しようとする究極の人間賛歌なのですよ。


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テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

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