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今日もニコニコ 5月31日

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テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック

日本最大のユーザークリエイションコミュニティ魔法のiらんどの秘密とは 『ケータイ小説家になる魔法の方法』

ケータイ小説家になる魔法の方法伊東おんせん


魔法のiらんどとは何か

100万タイトルを越えるケータイ小説が投稿されたコミュニティサイト「魔法のiらんど」のプロデューサー、伊東おんせん氏が書いたケータイ小説の今が一番わかる本である。ケータイ小説というと、携帯電話で読める小説をすべて含むが、以下の3種類に分けられる。
  • もともと携帯電話向けに書かれてない小説を携帯サイトに掲載したもの。
  • プロの作家が専用に書いたもの。月額会費など、コンテンツに料金が発生しているタイプや、サイトのアクセス数向上が主目的で無料で読めるタイプがある。
  • ユーザーが投稿したもの。その中で人気の高いものは書籍化されることがある。
このうち最も注目を集めているのが3番。今やケータイ小説=魔法のiらんどと言っても、決して過言ではない勢いがある。

10代の女性を中心に、おびただしい数の小説が日々投稿され、その中には1日数十万アクセスを稼ぐもの、書籍化され、数十万部を突破するものがある。魔法のiらんどで書籍化された小説の累計部数は今年1月の時点で300万部を突破しており、まさしくUGC(ユーザー・ジェネレーテッド・コンテンツ)を体現している。


日本最大級のコンテンツ投稿サイト

個人的な見解を述べるなら、今の日本で強力なUGCは「ニコニコ動画」と「魔法のiらんど」の2つだ。「ニコニコ動画」をPC文化、男の子向け、20代後半~30代前半多めとするなら、「魔法のiらんど」はその対極、ケータイ文化、女の子向け、10代多めのコミュニティである。

UGC、UGCと糞やかましいITベンチャ系ブロガーがキーワード念仏を唱えている間に、いつのまにか「魔法のiらんど」が広がっていたり、「ニコニコ動画」のような物がポッと出てくるあたり、世の中は面白い。プレゼンでスポンサーを説得するよりも、面白いサービスやモノでユーザーを説得するほうが、何百倍も世の中を変えられる。ブームの捏造感あふれるセカンドライフのような、プレゼン馬鹿が何百人も踊ってそうな場所から遠く離れたところで、世の中は変わる。

この本は、ケータイ小説が書籍化され、急速に注目を集めていった2005年~2006年の状況をまとめている。書籍化第一弾となる『天使がくれたもの』を出版するに至った経緯や、書籍化されたケータイ小説家たちの書き方、抱えている悩み、バッシングへの対応などが、愛情と熱意をもって書かれている。

魔法のiらんどのプロデューサーが書いた本であり、客観的に分析したビジネス書ではないが、盛り上がってきたケータイ小説の熱を感じるにはベストの1冊だろう。約150ページとページ数も少ないため、時間の無い人でも、ケータイ小説についての知識を得ることができる。


ライブ感そのもの

ケータイ小説で特徴的なのは、従来の小説との書き方の違いだ。ケータイで読みやすい、読んでいて気持ちいい文章を書くため、独特の文法を生みだしている。例えば
  • 改行が非常に多い。空行のスペースによって間を作っている。
  • 主人公が話す時は『』、それ以外の人物が話す時は「」。
  • セリフの後に”↓”のような下向きの矢印を入れることで、主人公の気持ちの落ち込みを表現。
Webでも紙媒体とは異なる文法が生まれてきたが、さらに極端な形で現れている。実話ベースの小説が多いのも特徴的で、「小説」を書くというより、自分の体験を何らかの形で表現しようとしたら、それがたまたま「小説」と言われるものに似ていただけ。そんな生っぽさがある。
伊東:版元のゴマブックスさんでは、「俺ボク論争」が勃発していた(笑)。俺、ボク……一人の登場人物なのに、表記が統一されていない。「どう統一したものか」と、ボク、担当編集者さん、編集長の間で論争が繰り広げられた!
(略)
伊東:いや、ボクはそれでOKと思っているんです。ケータイ小説は勢いも大事ですから。さっき凛さんが言ったように、”その時に思いついたことをとにかくバシバシ打って”というのは間違いじゃない。だからこそ、ライブ感やテンポのよさが出る。極端な言い方をすると、間違っていたら直せばいいんです。
凛:とにかく、アイディアが浮かんだら、どこでもいいからすぐに書く。調子のいい時には、更新する時間さえもったいないと思うこともあって、そんな時は保存して書きまくる。そして後で更新するという方法をとっていました。私は、財布を忘れてもケータイは忘れないですね。ケータイはカラダの一部になっているんです。
ブログ持ちの人は、このライブ感にシンパシーを感じるかもしれません。今の日本の娯楽の最先端は、まちがいなくここにある。

もう1つの先端、ニコニコ動画にしても恐ろしい。『アイマス』のゲームを毎日遊んでいる人と、ニコニコ動画で『アイマス』のMAD動画を楽しんでいる人、いったいどちらが多いのか? ゲーム機は娯楽のホットスポットから外れ、国内の据置ゲーム機市場を制しつつあるWiiでさえ、現状では家族や友人と週末に遊ぶために、たまに起動される機械でしかない。

ところで最近、魔法のiらんどで、ケータイ小説を書き始めている。当然DAKINIとは別の名前で、ほぼ毎日更新している。別人格を楽しんでいるので、知人にも場所を教えていないし、ここからリンクを張るような真似はしない。

始めたばかりのショボいサイトだが、感想をみると、中学生や高校生の女の子である。何とも奇妙な気恥ずかしさを覚える。自分の作ったゲームは数十万人に遊ばれて、当然中学生の女の子にだって遊ばれているわけだが、それとは明らかに異なる感触がある。この妙な面白さと、もう少しつき合ってみようと思う。

テーマ:オススメの本 - ジャンル:本・雑誌

女怖ぇ。クリエイティブな世界の男女にまとわりつく何かを描いた 『アニメがお仕事!』

アニメがお仕事! (石田 敦子

双子のアニメーター姉弟がアニメ業界で揉まれて、成長していく様子を描いた作品。弟が自意識とプライドと実力の葛藤に陥った後は、今度は姉が罠にハマる。もちろん男とは違う罠であることは言うまでもない。

「好き」を貫くのは難しい。
男性比率が圧倒的に高いプログラマーに比べれば、アニメーターは女性も多いが、男とは違うシンドサがあるのだろう。男である、女である、というのはクリエイティブの世界では本来関係ない。

はずだ。

だが「ない」と断言するのは欺瞞がつきまとう。関係ないはずなのに、時々、妙にまとわりついてくる事がある。それが何かはうまく言語化できない。しかし石田敦子はそれを漫画に落としている。自身の経験が反映しているにせよ、すさまじい執念である。

4巻の最後、194ページからはまさしく「女 怖ぇ」という他ない。この決断、この行動、あまりに潔すぎであり、カッコいい。そして男にはこれは真似できない。そう認める。女が怖いのか、福山イチ乃という女が怖いのか。

色々な女が登場するが、「好き」を貫いている女はみな、男以上の芯の強さを持っているし、自分の中にある「好き」と現実の両方を冷静に見ている。男のように熱狂して、夢見て、バカになって、燃え尽きるんじゃない。もっと鋭利にスッと通っていく決断と生き様がそこにある。
「私、おかしいんです、きっと。仕事のことしか考えられなくて。一生恋愛できないんじゃないかって思います。男の人をどうにかなるくらい好きになること、想像できません。
 堀内さんのこと好きです。でもそれが恋とは思えません。わからないんです、愛してるとかそういうの。仕事でうまくなる方が大切な気がします。おかしいんです、私」

テーマ:感想 - ジャンル:アニメ・コミック

覚悟はOK? 準備はOK? 濃厚で、ハードで、サディスティック 『円環少女』

円環少女 1 バベル再臨長谷 敏司

「あたし、背の高い人がそうやってはいつくばるとこ見るの、大スキだわ。はぁっ、もう、そういう目はもっとスキ!」
 嗜虐的なよろこびに目をうるませる小学生の前で、脂汗をたらした男が、顔を床から引きはがそうと両手両足の筋力を振り絞る。しっかり接着されたようにホコリまみれの床にへばりついて離れない下唇が、びろんと長く伸びていた。
「う、あ、ぅ鴉木メイゼルの、嗜虐的変態性を名付け、『S』と定義する」
 ぼとぼととよだれの糸を垂らしながら、犬のように四つんばいにさせられた男が、メイゼルの性的嗜好を魔術でくくろうとする。サディストという定義は説得力満点だ。
 少女は、小さな手のひらをふくらんでない胸に当て、自信たっぷりに言いはなつ。
「変態呼ばわりしないで! あたしは、強い相手やきれいな子の泣き顔を見たい気持ちが、人よりちょっとはげしいだけなんだから!」

(強調は引用者による)
覚悟をもって読み始めていただきたい。
冒頭からそんなふうに書くと、腰が引けてしまう方もいるかもしれない。敷居はほんのちょっと高いが、間違いなく面白い小説である。

魔法についての設定が異常に濃密で、設定好きにはたまらない。次々と襲ってくる過酷な出来事。ハードな物語が好きな人間にはたまらない。ヒロインの少女、円環大系の魔術師メイゼルの性格は素敵にサディスティック。ひそやかなマゾヒズムを刺激されたい人間にはたまらない。

数千の魔法世界の中で最も忌み嫌われているのが人類の住む地球。地獄と呼ばれ、人類は悪鬼とののしられる。何故なら、数千の世界の中で唯一、この地球だけが神から見放された世界であり、人類だけが魔法現象を消滅させる力を持っているからだ。魔法の存在を感知することもなく、信じてもいない、無知な悪鬼どもの世界に堕とされる事は、魔法使いにとって屈辱であり、死よりも重い刑罰だった。

その地獄に、1人の少女が堕とされた。鴉木メイゼル。彼女が罪をあがなうには、悪鬼たる人間に行使され、地獄で敵対する魔導師100人を倒さなければならない。しかし魔法世界と地球の、数千年の歴史でただの1人も成し遂げた者はいない。刻印魔導師は便利な走狗として使い潰され、地獄の底で惨めな死を迎えるのだ。

こうした設定だけで十分ユニークだが、登場する魔法大系はどれも個性的で、濃厚な設定が用意されている。魔法使いどうしの戦いは激烈。そこにさらに人類=悪鬼の能力「魔法消去」が加わり、バトルはより複雑に、激しく、熱くなる。

魔導師公館の専任係官である悪鬼、武原仁は年端もいかない少女を死地に駆り出している良心の呵責に苦しみながら、彼女とパートナーを組んでいる。60年ぶりに復活した失われた魔法大系をめぐって、魔導師公館、神聖騎士団、染血公主ジェルヴェーヌの三者が激突するなか、仁とメイゼルはいつか来る明日に死ぬために、今日を生き残ることができるのか。

文章はお世辞にも読みやすいとは言えまい。新しい概念は本のいたる所にあふれ、それらを誠実に紡げば紡ぐほど、交錯する人々の気持ちを文章に乗せれば乗せるほど、文章は独特の角度をもって、幾度も折れ曲がるのだ。情念は必ずや言語化される、これはそういう言葉の織り成す、もう一つの世界なのだから。

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:長谷敏司  円環少女  

ぶほおおおぉぉぉぉぉぉ!アプコン、アプコン、アプコン

SCEJ、PS3システムソフトウェア バージョン1.80公開 PS/PS2のソフトがHD解像度でプレイ可能に
ぶほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……とブタのような感嘆の息をもらしつつ、急いでファームウェア1.8を落としました。

手持ちのPS2タイトルを遊んでみて、高品質化に満足、満足。
ノベルゲームにしても、恩恵はあり、特に文字が格段に読みやすい(ケーブル品質の差もあると思いますが)。ノベルゲームユーザーにとっても、うれしい機能追加ですな。

ようやく「発売時にあるべき姿のPS3」に近づいてきているのを感じますね。XBOX360も本体ソフトウェアのバージョンアップや、タイトルの充実で、洋ゲーマー以外のゲーマーからの評価が上がってきたのでした。

購入してから不遇の時代が長かったPS3ユーザーにも、ようやく「持っててよかったPS3」と思える時間が訪れるようとしているのかもしれませんね。ニコニコ。
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テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

テレビCMを凌駕しつつある口コミマーケット

DSとWiiの市場の最近の話題は「定番の旧作が強すぎる一方で、新作が売れない」ということです。DSでは『Newマリオ』などの常連タイトルが上位を占め続けるかわりに、新作がトップ10に入るのは難しくなっています。またWiiでも『Wiiスポーツ』が非常に強く、発売週をふくめて毎週『Wiiでやわらかあたま塾』よりも売れています。

今回は「定番の旧作が強い」件と「新作が売れない」件について、それぞれ掘り下げてみます。


新作ソフトが売れにくくなってる件について

タイトル数が少ないWiiはまだいいのですが、タイトル数が急増しているDSでは、新作タイトルへの注目が分散したり、棚の置き場所に困るという問題が起きています。

棚に置く際にパッケージが見えるように置くか、背表紙が見えるように置くかで、小売店での印象はだいぶ違いますが、スペースが減ってくると、そう置かざるを得ません。また売れる常連タイトルが棚の良い位置を占め続けると、新作ソフトとの兼ね合いを考えなければいけなくなります。

結果的に会社のブランド力、過去の実績、タイトルのインパクトなどで、売上が決まってしまい、名前の認知されていない会社のソフトは消費者に認知されないまま、消えていくことになりかねません。

こうした問題は、ロングラン市場が誕生したからこそ生まれたもので、良い解決策を模索していく必要があります。ゲーム各社のマーケティングは、さらに工夫が求められるでしょう。


口コミがテレビCMを凌駕しつつある

今となっては慣れっこになってしまいましたが、「旧作タイトルの週間売上が新作を上回る」という事態はよく考えると不思議な話です。というのは、通常ゲームソフトのテレビCMは、新作中心に流れるからです。

つまりテレビというマスマーケティングの初期段階である「認知」は、新作>>>旧作のはずで、発売から何十週間も経った時点では、旧作は新作より圧倒的に不利なはずなのです。ということは、テレビCM以外のもっと低コストな経路から、ソフトの認知が行われ、購買動機を掻き立てられ、購入している人たちが非常に多いのです。

すなわち口コミです。
口コミによる販売がテレビCMによる販売を凌駕している、というのがDSとWiiの市場で起きている現象です。マスプロモーションの崩壊については、去年かなり話題になりました。(参考:マスプロモーション衰退後の世界(前編)

初期段階では、テレビCMによって日本全国に大量の「情報」をばら撒く必要がありますが、ある程度の期間撒いたら、あとは口コミに乗るかどうかが重要になります。撒かれた「情報」がそのまま消えてしまうか、人々が口から口へ伝えていくかは、結局はゲームの内容によります。

したがってゲーム制作者がソフトの売れない理由をテレビCMのせいにするのは、まったくもって的外れです。プロモーション費用が多ければ、初期段階での「認知」は大規模に展開できますが、その後根づくかどうかはソフトの内容が大きいのです。

内容をもう少し細かく見ていくと、「クオリティ」と「話題性」と「大衆性」の3つがポイントです。ネット上でよく、出来が良いのに売れないと言われるソフトがありますが、それは「クオリティ」が高く、「話題性」と「大衆性」が低い場合が多いです。

「大衆性」というのは小説や漫画の世界では普通に用いられますが、ゲームではあまり用いられない言葉です。しかしボクはこれがかなり重要だと思っています。出来がいいのに売れないというソフトには、大抵「大衆性」が欠けていると感じています。しかし今回は深掘りするのはやめて、また今度ふれましょう。


ハード販売の増加とソフトの売れ方

データ不足なので仮説になると最初にお断りしておきます。
DSはハード販売が非常に好調です。ゴールデンウィークでは週間20万台を越える売上でした。ところでハードを新しく購入している人は、いっしょにどのソフトを買っているのでしょうか? おそらくランキング上位常連の旧作タイトルだと思います。

  旧作タイトル: ハードの新規購入者が多い。
  新作タイトル: ハードをすでに所有している人が多い。

Wiiも、DS程ではないにせよ、なかなか堅調な売上ですから、同じような傾向がある、と思われます。今Wiiを買っている人は、おそらく『Wiiスポーツ』を知り合いの所有者と一緒に遊んだか、知り合いから薦められたのだと思います。そんなふうにテレビCMではなく、口コミがきっかけでWiiを購入しているのなら、Wii本体とあわせて『Wiiスポーツ』を買っていくのは自然です。

旧作タイトルを遊んだユーザーが別のユーザーを誘うため、ゲーム機本体と共に、旧作タイトルが売れていきます。その場合は、信頼感の積みあがっている旧作のほうが新作よりも優位にあるといえます。信頼感は累計効果が働くのもポイントです。

そうやって売れていくタイトルは限りがあります。常連タイトルはある程度までは単調増加しますが、一定を超えると口コミ効果が分散してしまうからです。古い常連タイトルのかわりに、新しい常連タイトルが加わります。

ゲーム各社にとっては、自社のタイトルを常連タイトルの枠の中に押し込むことが重要な販売戦略になります。例えば『レイトン教授』はうまく入り込んだのかもしれませんね。


ハード販売が飽和した時に何が起きるか?

さて上記の仮説にしたがえば、次の大きな変化はゲーム機の販売が飽和した頃に起きるはずです。今は毎週10万台のDSが売れていて、単純計算で毎週10万本の新規需要が発生している計算になります。

しかしDSも1600万台を越えて、年内には2000万台を突破する可能性があります。普及がさらに進むと、さすがに販売カーブが落ちてくるのでは、という見解もあります。『ドラクエ9』もあるので、ハード販売が落ち着くのは来年でしょうか。その時には市場の様相がまた大きく変わるはずです。

テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

今日もニコニコ 5月25日

『らき☆すた』第7話のかがみの可愛らしさは異常!!
原作だと、キャラがどんどん増えていくんですが、アニメはこのまま4人娘だけでもいいような気がしてきた(笑

女の子同士のおしゃべり自体がキラーコンテンツ化してるなあ……。
低強度のくせに、変な中毒性があるというか。
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増えるセカンドライフ終わった論

少し前にセカンドライフって、実際はだれが遊んでるの? 金もうけの話ばっかり先行してるよね? と書きましたが、終わったという認識が広がってきているみたいですね。
(参考:ゲーマーが遊んでいないセカンドライフ

仮想世界の土地を買い占めた広告代理店が仕掛けたようなブームは、所詮こんなもんでしょう。次のブームがほしい気持ちはわかるけど、力技で捏造できると考えてるあたり、ユーザーを舐めすぎ。
「SCE版セカンドライフ」といわれたhomeの結末も、正式リリース前に見えちゃったかな。まぁ今のSCEらしいといえば、「らしい」結果。主導したのはたぶん、SCEAなんだろうけど、SCEAのセンスの衰えも如実に感じますね。PSPが米国でつまずいた時点で、露呈したことではあるのですが。リィィィィィッジレィサァァァ氏の器も見えちゃったかな?

一方、Twitterに関しては、割といけそうな雰囲気。適度な軽さだと思います。kanose氏の意見に同意。
SecondlifeとTwitterの流行り方の違い/ついでにTwitterを使ってみての感想


おまけ:グダグダと……

それにしても、セカンドライフに飛びついている一部のゲーム系ライターの筋の悪さは、呆れるものがあるなあ……。重さや軽さについての感覚の差?

そういえば、Wiiで顕著なのは、世界観みたいなものを持っているものが売れてないということ。『Wiiスポーツ』『はじめてのWii』と、世界観もクソも無いソフトが最も売れているというのは面白い。ツール系というわけではないし。

世界観やキャラクターというものがすでに重いという感覚。作品を重ねるごとにデモに凝りだしている『メイドインワリオ』や、脳トレ系の中では比較的世界観の強い『あたま塾』が重く感じるという感覚。

一方DS市場は、「消臭剤」の臭いが逆にキツくなっちゃってる印象。DSとWii、両市場の似ている部分と違う部分を比較してみると、面白いかもしれませんね。

テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

「もってけ!セーラーふく」滑り出し好調

The Natsu Style:らき☆すたOP「もってけ!セーラーふく」、初日デイリー驚愕の3位発進!
ニコニコ動画を連日賑わせている『らき☆すた』。
そのオープニング「もってけ!セーラーふく」が発売初日に、オリコンデイリーチャートで3位を記録!!

『涼宮ハルヒ』のエンディング「ハレ晴レユカイ」の初日15位、「涼宮ハルヒの詰合」の初日9位を上回る勢い。去年のYouTube効果に引き続いて、今年はニコニコ効果でアニメのCD販売が盛り上がった、と言えそうです。


らき☆すたOP「もってけ!セーラーふく」


『らき☆すた』はゲーム『真・らき☆すた 萌えドリル~旅立ち~』の予約も好調で、特にAmazonではDXパック、通常版ともに予約完売の状態。

テーマ:らき☆すた - ジャンル:アニメ・コミック

タグ:らき☆すた  もってけ!セーラーふく  

作ることを仕事にする地獄 『アニメがお仕事!』

この物語はフィクションです。
アニメーションのHow-to漫画では決してありません。
この注意書きの「決して」がとても重い。この漫画は商業作品を作る上での葛藤を、真っ正直に描いている。真っ正直にというのは、酸いも甘いも両方しっかり冷静に描くという事だ。

やわらかい絵柄とは対照的に、シリアスな現実を暴き出しているが、かといって業界暴露話にありがちな、愚痴的な視点・冷めた視点には陥っていない。作り上げることの達成感も丹念に描いている。丹念? 冷静であり、執拗である。鬼気迫る執念さえ感じることがある。ビビる。4巻最後の志村の台詞「女 怖ぇ」は読者の呟きでもあるのだ。

好きな物を仕事にするな、とよく言われる。好きなもので食っていくには、嫌な一面も突きつけられる。とりわけ集団で作品を作っていれば、思い通りにいかない事が99%だったりもする。アニメでもゲームでも変わりはない。

しかもそれで飯を食う以上、どこにも逃げ場は無い。消費する側なら、嫌なものから目を逸らす事もできるし、ネットで適当に叩く事もできる。だがプロであれば、逃げれば、ただのニートである。

しかしユーザーからの批判などは可愛いものだ。
本当に恐ろしいのは、自意識とプライドと実力の葛藤である。働いて2、3年もすれば、なっていたはずの自分と現在の自分の隔たりをイヤでも感じ始める。業界で生き残ってるかどうかは、折り合いをつけられるかどうかに掛かっていると言ってもいい。

現実はフィクションではないから、きれいに折り合いをつけられない。折り目はどこかしら歪むし、視界は偏るし、妙なプライドも出てくるものだ。「ゲームへの愛」という鎧で心を守ることもあるし、家族を食わせなければならないという義務感に支えられることもある。

この作品では、主人公もその罠にかかる。
人間的に気に入らない人間が自分より実力が高い、なんて事はザラにある。下積みをしていると、今やってることが将来の目標につながっているとも思えない。焦る。焦れば、さらに焦る。焦ってドツボにハマって動けなくなる。描かなければ、でも描けない。何も描けない自分にウンザリする。でも描こうとする。けど描けない。1度ハマれば、その堂々巡りは無間地獄にも似ている。

「好き」という気持ちがあればあるほど、より深い地獄に突き落とされる。奈落の底で苦しみぬいた末(アニメータを辞めて)解脱する人は多いだろう。這い上がる人にしても、きっかけは人それぞれだ。

しかし這い上がっても、また別の地獄が待っている。
ではどうして、作ることで飯を食っていこうとするのか? 情熱ぅ? アニメへの愛? ゲームへの愛? ブログなどを見ると、たまにそうした事が書かれていることもある。しかし所詮、虚構にすぎない。自分のプライドと心を守るための「鎧」にすぎないのだ。

石田敦子は間違いなく、そんな男のみっともない鎧に完璧に気づいている。その冷静な視線が怖い。女って怖ぇ。ただ、それを引っぺがしに掛かるほど残酷ではない。優しさ……なのか? けれどもその鎧さえ脱がしてしまえば、さすがに読者が付いてこられないだろう。娯楽性は喪失し、カタルシスも何もない。そのしたたかな計算があるのではないか。女って怖ぇ。

アニメがお仕事! 石田 敦子

テーマ:マンガ - ジャンル:アニメ・コミック

タグ:石田敦子  アニメがお仕事!  

4ヶ月間の恥ずかしさ炸裂 『刀語カタナガタリ 第5話 賊刀・鎧』

刀語カタナガタリ 第5話 賊刀・鎧西尾維新

「おれの女に、手を出すな」

無刀の剣士である鑢七花(やすり・しちか)と、頭がいいというより度胸がいいだけの幕府の奇策士・とがめのバカップル道中記も、いよいよ中盤4冊に突入!

最初の舞台は九州。
九州といえば活火山、どこを掘っても温泉がわく土地。となれば、今回のハイライトは温泉宿での七花ととがめの混浴シーン。時代劇の華といえば、やっぱり入浴シーンですよ!

しかし最大のハイライトは、2巻で予告されたイベント。
とがめが、気合いを入れる掛け声は『ちぇりお』ではなく『ちぇすと』なのだと、知ってしまう場面。これまで4ヶ月にわたって、いったい何回、七花のことを『ちぇりお』と殴ってきたことか。
「『ちぇりお』ってなんだ」
「ん? ああ」
「あれはわたしの口癖だ」
「ふうん。どういう意味なんだ? あんまり日本語っぽくないけど」
「やれやれ、島育ちは本当にものを知らぬなあ。れっきとした日本語だぞ? 『ちぇりお』というのは、九州のな、薩摩藩辺りで流行している、気合を入れるための掛け声だ。これは方言と言うより、むしろ文化かな。別にわたしは九州とゆかりがあるというわけではないのだけれど、『ちぇりお』なんて、気合を入れる掛け声の割になんだか発音が可愛いであろう。そう言えばそなたの前で言うのは初めてだったかもしれぬが、まあ、だから割と多用しておるのだ」
「なるほど。薩摩藩でねえ」
「そうだ。わたしの個性がよく出ている」
予告どおり、「原稿用紙換算十枚以上に及ぶ照れ照れでいやーんな反応」が炸裂する。

数え切れない恥!
無数の無数の恥!
恥の上塗りの上塗り!

恥ずかしがって身もだえする彼女の醜態にぞんぶんに萌えていただきたい。今回はそれだけの話。
真庭忍軍の頭領?
尾張の否定姫?
新キャラ続々?
そんなもの知らんのですよ。


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タグ:刀語  西尾維新  

Amazonが在庫一掃大セール。オススメゲームはこれ!

Amazonが在庫一掃大セールを実施中。
在庫セールというと、大して面白くないソフトと思いがちですが、過剰出荷や宣伝不足など、クオリティ以外の要因もあります。独断と偏見で、埋もれた良作を紹介します。


うたわれるもの デスクトップキャラクターズ 初回限定版

62%オフと絶安!!
ファンで買ってないなら、この機に購入するのが良いのでは。
どちらかというと、「うわわれるもの」のファン向けというより、「うたわれるものラジオ」の出張版がメインと考えたほうがよく、その点だけは注意。

うたわれるものラジオは本来、ゲームの宣伝をするためのラジオ番組でしたが、いつのまにかラジオ→ゲームの流れが生まれている人気番組。うたわれるものらじお人物相関図なんてものまで作られる始末。
(参考:うたわれるものらじお まとめWiki


チョコボと魔法の絵本

スクウェアエニックスの「RPG以外の作品」は、まずは地雷と疑ってかかるのが世慣れたゲーオタというものです(失礼)が、遊んでみたところ、かなりのウェルメイド。DS初心者には薦められる内容です。これがDSの初期に出ていれば、ずいぶん売れただろうに……。

惜しむらくは、過去の駄作の積み重ねによって「チョコボ=クソゲー」というイメージが根強いこと。挽回が絶望的になってきた『聖剣伝説』シリーズと違い、まだ何とかなるんじゃないかな……と思うのですが、どうでしょうか。


ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー

30%オフとなかなかの価格。もう一声ほしい。
『ドラクエ9』前にDSのドラクエワールドを体験したい人向け。夏前に『モンスターズジョーカー』、夏に『ドラクエソード』、年末に『ドラクエ9』とドラクエ漬けの1年を送りたい真のドラクエファンに。


ロストプラネット ~エクストリーム コンディション~

XBOX360ユーザーなら買って損は無いソフト。
全世界でミリオン突破し、次世代機におけるカプコンの存在感を高めたタイトルです。


夜明け前より瑠璃色な

(このエントリーの下書きを書いた時は安かったんですが、在庫がさばけたのか、普通の値段ですね)
PC版の人気が高かったものの、PS2版が思わぬ苦戦をしました。アニメが不評だったせいで、イマイチ盛り上がりに欠けたのは事実。PC人気作をPS2でも成功させているアクアプラスとは明暗が分かれました。『うたわれるもの』はうたわれるラジオの人気が非常に高かったですね。

内容は大満足の出来なので、ぜひ。気になる方は過去のレビューもご一読を。
PC版を遊んだ人にもオススメできる完成度 『夜明け前より瑠璃色な』

テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

今こそ本当の「戦略」を

世界的なアウトソーシングの増加がもたらす、米国の利益

米国サービス分野はなぜ強いのか
なかなか興味深い記事ですね。アウトソーシングを進めながらも、米国がサービス業務のグローバル化の恩恵を満喫しているという話。
 もっとも米国企業のアウトソーシング活用に関して言うと、一般にはインドにおけるコールセンター運営やソフトウエア開発など、海外へのアウトソーシング(オフショアリング)が話題になることが多いが、実のところ米企業のアウトソーシング全体に占めるオフショアリングの割合はごくわずかなものに過ぎない。

 全米行政アカデミーの調査報告によると、米企業によるサービス業務のアウトソーシングの大半は米国内にある他の企業へのものであり、オフショアリングは国内アウトソーシングの20分の1程度に過ぎないとされている。例えばコールセンターで言えば、インドよりもむしろユタ州など国内の低コスト地域へのアウトソーシングの方が規模的にははるかに大きい。
海外へのアウトソーシングの話題はゲーム業界でもよく出ますが、インドや中国といった事例ばかりが目立ち、「このままだと、人件費の安い地域に仕事が琉出して、日本のゲーム開発スタジオはお払い箱になっちやうよ!」といったセンセーショナルな分析モドキが横行しています。そのくせ「日本も海外の開発スタジオを使って低コストで作れる体制にならないと!」と、欧米琉の開発手法ばかりを持ち上げる人たちがいらっしゃる。


日本のゲーム産業がなぜ世界的に成功したのか

しかし欧米のゲーム会社が得意な手法を持ち込んで、本当に日本のゲーム産業の競争力が増大するのでしょうか? 誰が本当に得をするのでしょうか? グローバルなアウトソーシングが結局は米国に巨大な恩恵をもたらしているように、欧米琉の開発手法が無批判に世界各地で浸透すれば、結局得をするのは欧米のゲーム産業なのではないでしょうか。とりわけ米国は「合理的な手法を世界各地で広める→実は米国がウマー」という構造を作るのが非常に巧みです。

数あるコンテンツ産業の中で、輸出面で成功しているのがゲームです。それは何故かと言えば、日本が有利なビジネスモデルを世界各地に浸透させてきたからです。ゲーム機のロイヤリティー制度は、ソフトメーカーからお金がプラットフォームホルダーに流れ込む仕組みです。欧米のソフトメーカーが売れるゲームを作れば作るほど、日本企業にお金が入る構造です。

またPCの浸透度が低かった日本では、ゲームプラットフォームの中心がゲーム機のほうが都合がよかった。日本人の長所である「作りこみ」体質も、ハード性能が5年は固定されるゲーム機に向いています。PCの性能が不十分な時代には、日本の作りこまれたゲームは全世界を席巻していました。


誤った技術格差論

ここ最近、欧米の方が技術力が高いという主張を見かけることがあります。しかし欧米企業は半年、1年で性能が上がっていくPC向けにゲームを作っているから、現世代機から次世代機へのジャンプが短くて済んでいるだけなのです。別段彼らの能力が高いというわけではありません。日本のゲーム会社は5年に1回技術的にジャンプする必要があり、多少タイムラグが生じるというだけの事です。

でもそれって、昔からなんですよ。
にもかかわらず、どうして最近そういう事が言われるようになったのか? 理由は各地域でのゲーム機の発売タイミングが近づいたためです。昔はゲーム機の発売タイミングは、日本、米国、欧州で大きくずれていました。日本で発売された次の年に米国、その次の年に欧州。なんてことが当たり前でした。

ソフト開発はハード発売に合わせますから、自然と日本のゲーム会社の方が早いスタートを切ります。そのため5年分のジャンプをする時開があったわけです。ところがゲーム機各社の競争が激しくなるにつれて、複数の地域で同時に発売されるようになり、日本企業の時間的な優位性が無くなってしまったのです。XBOX360やPS3の立ち上げにおいて、日米の技術力格差が話題になったのはそのためです。

XBOX360でも、発売から1年もすればカプコンの『デッドライジング』『ロストプラネット』、バンダイナムコの『アイドルマスター』など、こなれたタイトルが登場し、日米の技術格差など微塵も感じません。


アーケードゲームの衰退

さて、実はもう1つ要因があって、それはアーケードの衰退です。日本ではPCよりもむしろアーケードゲームが技術開発を促進してきました。アーケードゲームメーカーは、家庭用ゲーム機よりも優れた性能をもつ自社開発の基盤を用いて、先行して最新技術に取り組んできました。

それはPS1時代の前半までは有効に機能していました。しかしアーケードが衰退していくにつれて、基板の自社開発を中止して、家庭用ゲーム機の互換基板に切り替えるメーカーが増えてきました。その結果、アーケードゲームは「家庭用ゲーム機の先行技術研究」という役割を失ったのです。

グラフィック性能という軸で考えればそうなるのですが、インターフェイス性能という軸では、また違った様相が見えてきます。アーケードヘのタッチパネルの導入はDSの登場前からですし、カードゲームや体験型ゲームが活発に開発されています。

DS が大成功し、Wiiが堅調に立ち上がってきたことで、国内のアーケードゲームメーカーは自社の先行技術を活かすチャンスを再びつかんだのです。インターフェイスを活かしたゲーム開発、玩具的なゲーム作りは日本が伝統的に得意で、DSとWiiが全世界に広がれば広がるほど、日本のゲーム会社に有利な土壌、文化が世界に普及していきます。


本当の「戦略」を考える時期

事実、UbiSoftやEAといった欧米の強力なパブリッシャーはDSやWii向けのラインナップを増強しています。欧米企業は、次世代機競争が当初思い描いた通りに推移していないことを認めつつあります。

勘違いしていただきたくないのですが、別段ボクは「グラフィック性能路線は米国企業を利するだけのグローバル戦略。インターフェイス性能路線が日本企業を有利にするグローバル戦略」と主張する気はありません。

けれども産業論の見地からいえば、将来自国が有利になるような状況を作り出すために努力すべきで、他国を有利にする状況のために努力しても不毛でしょう。それでは頑張れば頑張るほど、ますます相対的に自分が苦労するだけなのです。

ある時期は溺れないように必死にバタ足を続けなければならないとしても、その努力はもっと泳ぎやすい状況を生み出すために最適化されるべきです。会社が有利な状況を生み出すのが経営者の仕事です。プロジェクトやプロダクトが有利な状況を生み出すのがプロデューサーやディレクターの仕事です。

もちろん国という単位にこだわる必要はありません。
ゲーム機ビジネスはプラットフォームホルダーに利益が集中しやすい構造ですから、ソフトメーカー各社はゲーム機ビジネスから脱して、自社に有利な構造を作ることを常に意識すべきです。強い企業は常に勝ち続けているわけでも、常に強いわけでもありませんが、自社が有利になる状況を生み出すために常に努力しています。戦う前から自分が有利な状況を作る、そのために努力する。それを「戦略」と言うのです。

テーマ:▼ゲームの話 - ジャンル:ゲーム

ちょっとした奇跡の物語 『さよなら、いもうと。』

さよなら、いもうと。新井 輝

名前のとおり妹をメインに据えた小説。
妹といえば、メイドと並んで萌えの最大テーマだが、狙いすぎてて逆に難しい。でも新井輝の手にかかると、こんなに奇妙な小説に化けるのだから、さすがと言うか、呆れると言うか、新井輝フリークにはたまらない味です。

妹のトコが三日前に交通事故であっけなく死んでしまった。妹の部屋に残された日記を読んで、意外な事実を知った。妹はずっと、自分と結婚したいと願っていたらしいのだ。叶うはずの願いを書き綴る妹の必死さをようやく実感する兄。
「……でも、もう途切れてしまったんだよな」

親しい人を失っても、すぐには実感が湧いてこない。ふっと、ふり返ったら、元気な顔でひょっこり現れるんじゃないか、なんて思いもする。数日経ってじわじわと喪失感が襲ってくる事もあるし、何ヶ月も、何年もかかって、本当に心の整理がつく事もある。

手短にまとめれば、高校生の主人公が妹の死を受け入れるまでの話なんだけど、ライトノベルらしく、少しだけ不思議な要素が絡んでくる。

肉親同士のいけない関係というと、『Room No.1301』が思い浮かぶ人も多いだろうけど、それとはまた違った味わい。あらためて考えると、あちらは妹ではなくて、姉小説なんだな。

新井輝作品らしく、登場人物の会話が相変わらず楽しい。彼らの微妙な距離感が会話に現れている。とりわけ、主人公と幼なじみのミノリンと悪友のテツマルの3人の会話が面白い。そこだけを何回読み返したことか。ぶっちゃけ、妹を食っちゃってる気がする。その妙なキャラクターの生々しい存在感も、新井輝作品っぽい要素なんだよね。
「だって、あの水着はミノリンらしいにも程があるよっ」
「……いや、ミノリが着るんだろ? ミノリらしいならいいじゃないか」
「何言ってるんだよ。それならわざわざ買いに来る必要ないじゃないか」
「いや、学校指定のだと格好悪いから買いに来ただけ……じゃないのか?」
「そうだよ。何を期待してるの?」
「僕は何も期待してないよ。ミノリンはミノリンだし」
「だったらいいじゃない、これで」
「でも、それはミノリンらしいにも程がある」
「……だったらどういうのにすればいいの?」
「せめて上下分かれてるやつにしようとか思わないの?」
「……思わないよ」
「ちょっとおへそ見せちゃおうかなとか思わないの?」
「思わない」
「ミノリンは元気のないヒロポンのために、少しくらいサービスしようって気はないの?」
「それはあるけど……それがおへそ見せることなの」
「いやまあ、別にミノリンのへそなんか見たくないけど」
「だったら言うなっ」

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:新井輝  さよなら、いもうと。  

笑えて、泣ける、いい話。 『空とタマ』

空とタマ鈴木 大輔

7回目の家出を実行した空は、以前から目をつけていた無人の廃倉庫に足を踏み入れた。しかし倉庫には、すでに謎の先客がいた。ふざけたことに人気アーティストの名前を騙り、空の煙草にも文句をつけてきた。ちょっとした意地の張り合いがエスカレートして、2階に陣取るそいつとの間で、居場所を取り合う攻防戦が始まった!

去年出た本だけど、2006年の「いい話ナンバーワン」だったかもしれない。泣ける。最初はコメディのような攻防戦が続く。力押しでは敵わないと悟った空は、知恵を絞ってあの手この手で罠にかけようとするが、タマは手ごわい相手で、そのたびに1枚上を行かれてしまう……。やんちゃな攻防戦が楽しいうえ、だんだん相手の正体がわかってくる面白さもある。しかしそれだけでは終わらない。
「……だったら、」体育座り、顔ヒザはさみのまま、タマがぼそぼそと言う。「あんたがあたしよりツイてないなら、言うこと聞いてあげる」
「はあ? んだそりゃ」
 わけわからん。ていうか聞いてあげるって、なんでそんなエラソーなんだよ。
「そりゃなんだ? どういう意味?」
「だからッ! あんたがあたしより不幸なら言うこと聞いてあげる、って言ったの! わかれバカ」
 わかんねえって。どこがどうなったらそんな理屈になるんだ?
 ったくよー。これだから女ってのはよー。なんでこいつら、開き直るとこんなムチャクチャ言い出すんだ。
攻防戦がひと段落する後半から、物語はもう1つの顔を見せ始める。空とタマの家出してきた事情が明らかになっていく。とんでもなく不幸な目に遭った人間は、世界で一番不幸になったと思い込むもの。こんなに不幸なんだから、好きにしたっていいじゃないか、とムシャクシャした気分になるのも仕方ない。

世の中を恨みたくなるのも無理はない。不幸自慢は不毛だって? んなことわかってても、止まらない時はある。けれども怒りにまかせて突付いてみたら、意外な話が飛び出てくるから、人の巡り合わせはわからない。

泣かすはずの相手に泣かされていたり、八つ当たりしていた相手を励ましていることもある。作中の人物だけじゃない。読者も引き込まれて、いつのまにか泣いている、なんて事がある。コメディと思って読んでいたら、笑って、泣ける、いい話だったんだな、と。

この作者、『ご愁傷さま二ノ宮くん』という『まぶらほ』のクローンみたいな萌え小説を書いているのだけど、こういう物も書けるんだなあとビックリ。『二ノ宮くん』でも感じたけど、短い文をリズム良くつないで、登場人物の頭の中で激しく思考が流れていく部分を書くのが上手い。『二ノ宮くん』が売れている間は仕方ないと思うけど、たまにはこういう良質な青春小説を書いてほしい、と思える作家ですね。

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:空とタマ  鈴木大輔  

華のあるバイオレンス小説。少女が銃を欲するまで 『黄色い花の紅』

黄色い花の紅アサウラ

 私に言い返せる言葉はない。言う通りだ。
 泣きそうだ。でも、泣きたくない。この人、この男の前で泣きたくない。
「……そうだろ、お嬢?」
 今、あなたはなんて眼で私を見ているんだ。なんだその見下す眼は!? 心の中ではいつもそうやって私を見てきたというのか。笑顔の仮面の裏に隠したそんな眼で私を見てきたのか。
 ちくしょう! ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう! 悔しい、悔しいよ……死ぬほど悔しいよ。何なんですか、あなたは。何なんですか、私は。
 迷惑だったら言ってよ。邪魔だったら殴ってよ。好きなようにすればよかったじゃない。何で、何で今の今まで黙っていたの。言えばわかるよ、何で我慢するの、あなたは。
 私の知らないところで勝手に何もかも決めて、事が起こって、終わってからその次第を聞かされても私はいったいどうしたらいいの。原因が私だったら、それで私はいったいどうしていたらよかったの? 今、私はどうすればいいの?
 わからないよ、もうわけがわからないよ。いったい、どうして……。

スーパーダッシュ文庫小説新人賞の大賞受賞作。
『バニラ』の紹介で書いたとおり、この小説は若干、荒削りな所がある。銃器のうんちくが多すぎるのだ。作者の銃器への過剰な愛情が全編にわたってあふれている。これでも受賞原稿から銃関係の記述を削除しているらしいから、最初はどれだけ多かったのか。まさに銃器ラブである。

しかしそれでも、この小説が面白いのは確かだ。
銃器マニアには問答無用で買えと言いたいが、そうでない人にも強くお薦めしたい。なぜなら銃とは力だからだ。非力な人間にも、引き金を引くだけで人を殺す力を与える暴力装置、それが銃だ。

第2作『バニラ』が、主人公の2人の少女が暴力を手にした後の物語であるのに対し、デビュー作『黄色い花の紅』は1人の少女が暴力を欲し、暴力を手にし、暴力を行使するまでの物語である。

主人公は紅花だが、この小説は二部構成を取っている。
第一部は組長の娘を護衛する仕事を請け負った白石奈美恵の視点で進み、第二部は守られる側の紅花の視点で進む。視点のバトンタッチには必然がある。

奈美恵はかつて裏社会とはまったく無縁の世界に生きていた。しかしある時、理不尽な暴力に巻き込まれ、拳銃を手にし、自ら理不尽へ反撃した過去をもつ。そして今、奈美恵に守られた紅花は同じように、暴力を欲し、暴力を手にし、暴力を行使する。彼女たち二人が暴力を欲した理由は似ているのだ。

バイオレンス小説は読者を選ぶジャンルだが、女性視点で進行することもあり、あまり読んだことの無い人にこそ、ぜひ読んでほしい。不謹慎かもしれないが、「銃と少女」はやはりミスマッチの美しさを感じる。

何より魅力的なのは、激しい感情の高ぶりだ。この小説を貫く、理不尽と戦う意思は、鮮烈に、美しく描き出され、読者を強く引き込んでいくはずだ。

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

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『らき☆すた』関連商品、Amazonで続々品切れに

『らき☆すた』のゲームとコミックがどちらも在庫切れになってますね。世間様一般でどの程度売れているのかは知りませんが、少なくともAmazonの需要予測ははるかに越えていたようです。アニメのDVD第1巻はまだ予約可能みたいですね。

ちなみに第6話の「らっきー☆ちゃんねる」のあきら様の黒コメント激しすぎ(笑 あきら様、こわいよー。本音ぶっちゃけすぎー! 危険域、危険域っ! 谷口人気とあいまって、すでにこちらが本編かも!?

あと、普通にアニメ観るより、ニコニコ動画のコメント付きの方が面白いというか、DVDにはニコニコ版を収録してほしいもんですな、もはや。どうせ1枚あたり50分(2話)しか入れないんだったら、容量余ってるだろうし。

テーマ:らき☆すた - ジャンル:アニメ・コミック

百合と拳銃の作家が送る最新作 『バニラ A sweet partner』

バニラ A sweet partnerアサウラ

『黄色い花の紅』で話題を集めた作家の最新作がついに登場。7ヶ月は思いのほか長かった。
デビュー作は、バイオレンスのあふれる世界に百合的な要素をほのかに匂わせた、美しく苛烈な小説だった。特に主人公の激しい感情表現は素晴らしかった。少女が無力さを痛感する場面、自分の境遇に対して怒りを覚える場面、激情を力に変える術を学んで戦う場面は、美しい激情がみなぎっていた。

唯一、欠点と言えるのが、作者の拳銃への過剰な愛情。小説を書きたいのか、銃について語りたいのか、どちらかわからないぐらいウンチクがあふれていたのだ。しかしその欠点は、最新作『バニラ』で完全に超克された。銃のウンチクが大幅に抑制され、小説としての完成度と面白さがぐぐっと増している。

後書きによると、丸々一本ボツを喰らっているそうだけど、その難産の末、これだけ洗練されたのなら、読者としては喜ばしい。確実に小説家としてのレベルは一段以上、上がっていると思う。

継母となじめずに家を追い出された少女と、ある出来事で男性恐怖症になった少女が、拳銃の力で未来を切り拓いていく。自分たちに不利なルールを押しつける世の中への反撃。理不尽へのカウンター。そして繰り返される狙撃事件。

他に手段は無かったのか。あったかもしれない。でも選ぶことはできなかった。追い詰めた状況が悪いのか、手にした力が凶暴なのか。いずれにしても暴力は決して無力ではない。力を行使した責任を求め、贖わせるのが社会というものだ。警察が徐々に彼女たちの正体に迫っていく。追いつめられた二人は、銃撃戦の果てにどういう結論を下すのか。

この結論に納得する人もいれば、ちょっと納得できない人もいるかもしれない。それは実際に読んで、自分の目で確かめてほしい。警察機構もマスコミも、大の大人たちを巻き込んだ大騒ぎ。最初から最後まで中心にいたのはこの二人だった。それを「痛快」と思うのは不謹慎が過ぎるか? 「バニラの房を口にする猿」になった大人でも、いやだからこそ、そう思うのだ。
「無理じゃない! 無理なんかじゃない! 絶対に当てる! 場所は……わかってる。だから、だから……当たるの!」
 そう言って再び構え直すナオ。でも間もなく閉じた瞼からは涙がこぼれ、焦りで、はっはっはと呼吸すらままならない状態になってしまう。銃口の先は落ち着きなく上下していた。
「もう無理だよ、ナオ。万全の時だってこの状況は難しい。それなのにそんな状態じゃ……」
「だって、ケイ……やられたままじゃ、いやだよ。それもケイがやられたのに、何もできないなんて。わたしは、やだ!」
 今やナオはライフルを構えたまま肩を震わせ、涙と鼻水を垂らしながら、それでもなおスコープを覗いていた。さっきまでのカッコ良さはもはやない。
「約束したじゃん、ケイにヒドイことした奴はわたしが倒すって」
 そしてナオにヒドイことした奴はあたしが倒す、と約束した。そう、約束したのだ。

お互いの心の欠落を埋め合わせるように繋がる二人。
百合的な描写はデビュー作より増えているが、必然性はあるし、助け合う二人は美しい。まあ、この大騒動の犯人が少年二人なら、世間も読者も許しはしないだろうけど(笑

思春期の少女二人が追いつめられていく状況を書くという点では、桜庭一樹の『推定少女『少女には向かない職業』に近いという意見もネットで見かけるが、僕はかなり違うと思う。桜庭作品が追いつめられていく心理状態を重点的に書いているのに比べて、この小説はそこまで力点を置いていない。

またこの小説では「殺人」という一線を簡単に越えていて、扱っている題材の割りに「軽い」。だからあくまで娯楽小説として、一気に読める。無論、それは失敗ではなく、作者の明らかな意図によるものだ。例えば、粗暴なナンパ野郎を狙撃するシーンの描写にも現れている。
 スコープ越しのこの距離ではかろうじてそいつが鼻血野郎であることがわかる程度。表情まではよくわからない。人を殺すというその感覚が薄くて良い。きっとハンドガンだけだったらこんなに頻繁に撃つことはなかっただろう。
こうした描写により、「軽さ」はフォローされ、リアリティが保たれる。

ともすると、現実感の希薄な少女たちがゲーム感覚で人を殺しているかのように受け取られないかねない危険性をはらんでいる。だが警察側の視点(大人の側)を導入した上で、警察側の人間が彼女たちの心情を追いかけていく過程をしっかり描き上げたことで、少女たちの世界と大人の世界は一瞬の接続を果たす。振り回された大人たちの役どころは「刺身のツマかアイスのコーン」に過ぎなかったかもしれないが、その時確かに、この作品はきちんと地に足ついたのである。総じて完成度があがった、デビュー第2作だと思う。

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

『らき☆すた』本編よりMAD版の方が面白い

『らき☆すた』のMADアニメ「うざいこなた」シリーズが本編よりも面白い。うざかわいいって、タグに笑った。新しい萌え要素ですか。

ニコニコのコメントでよく見る「自重」もすでにネタ化。
ひぐらしのなく頃に 誰も自重しない


らき☆すた1美水かがみ
らき☆すた2
らき☆すた3
らき☆すた4

テーマ:らき☆すた - ジャンル:アニメ・コミック

ゲーマー必読の名著。ゲームが上手くなる過程を小説化した 『連射王』

連射王 上川上 稔
連射王 下

世界最高に熱いゲーム小説である。
ファミコンブームの頃にゲーム漫画はいくつもあった。しかしどれもこれも、いい加減で、デタラメなものばかり。なにしろ、小学生がゲームを上手くなるために、筋トレをしたり、滝に打たれたり、瞑想したり、養成ギプスをはめるのだ。

ああいう漫画を読んで、ゲームが上手くなった小学生は全国に1人もいないはずだ。何故なら、ああいう漫画は題材がミニ四駆でも、ベイブレードでも成り立つような内容だからだ。ゲームを題材にしているくせに、じつはゲームに無関係な事ばかりを描いていた。

しかしこの本を読んだら、シューティングゲームが上手くなるかもしれない。作者の川上稔は、ゲームが上手くなるとはどういうことかをしっかり掴んでいる。多くのゲーマーが身を持って知っているように、ゲームの上達の早道はゲームのプログラム(仕様)を理解することにある

野球部のエースであるにも関わらず、野球に本気で打ち込めない高村コウは、ある時、『大連射』というシューティングゲームに出会う。高村はそれまでシューティングをほとんど遊んだ事がない。ただの素人。その彼が『大連射』というゲームに挑み、上手くなっていく。この小説は、それだけを書いている。彼の所属する野球部や、幼なじみのラーメン屋の一人娘といったギミックも存在するが、そんな物は飾りである。青春小説っぽい見せかけを被るための要素にすぎない。

コウは悩む。ゲームで真剣に悩む。
シューティングは、弾に当たらないように自機を動かし続ければ、死ぬことはない。しかし気がついたら、被弾して死ぬ。なぜ死ぬのか、なぜ避けられないのかが理解できない。彼はそんな所から出発する。
 慎重に考えよう、と高村は思った。何故ならば、シューティングゲームというものと自分が、ここから先を付き合っていけるか否か、そういう問題が関わっているように感じたからだ。これが解れば、シューティングゲームを上手くなれるのではないか、と。
それを越えても、次の壁が待っている。3ウェイの弾幕で殺される。悩んだ末、どう避けるのが効率的かを理解する。すると今度は、敵弾に当たっているのに当たらない現象にぶち当たる。絵を動かしてるんじゃなく、「当たり判定」を動かしてるのだと知る。

その次にボスという物が何かを知る。スティックには、格ゲー向きの握り方とシューティングゲーム向きの握り方があるのを知る。知る。知る。知る。彼は壁にぶち当たり、悩み、考え、達人に教えを請ううちに、徐々にゲームを知っていく。プログラムを、仕様を理解していく。
「ゲームの王道はRPGにあります。ゲームの知略はパズルゲームに、ゲームの俊敏は格闘ゲームに、ゲームの速度はレースゲームに有ります」
 だが、
「ゲームの本質はシューティングゲームに有ります」
上巻において、彼はついに『大連射』をクリアしてみせる。ではそこでゲームは終わりなのだろうか。否。断じて否である。そこは新しい出発点に他ならない。ゲーマーのみんなはよく承知しているはずだ。クリアなど、通過点に過ぎないことを。

コウは次の高みを上り始める。下巻において彼が目指す高みは、あまりに高い。まさしく恐るべき挑戦である。しかし彼は本気で特訓を始める。本気で作戦を練り、自分の弱点を鍛え、意図的に過酷なシチュエーションを準備してそこから抜ける方法を練習する。
その果てに、コウとある1本のゲームの本気の戦いが幕を明ける。結末は読者みずから見届けていただきたい。
「そのためにも、最高のプレイが出来る人間でありたいと僕は思います。ゲームの本質であるシューティングゲームが教えてくれた僕の感情と本気に対し、いつかきっと現れる決着の時のために、最高の自分をぶつけるために」
 一息。
「シューティングゲームのプレイヤーは、いつか来る己の決着のために、ずっとずっと本気で戦い続けねばならない」

ゲームに本気になる。高校野球よりも格好の悪いことかもしれない。しかしそれがどうした! 本気になれる何かを見つけた。それがたまたまゲームであったとして、誰にはばかることがある。

例えば今、空前のDSブームで市場が盛り上がっている。日本はゲーム離れ現象から脱却した。多くの人々が参加し、ゲームを笑顔で楽しんでいる。実用ゲーム万歳! 軽いゲーム万歳! 生活を邪魔しないゲーム万歳! ゲーム人口拡大万歳! 万歳! 万歳! 万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳万歳!

だが、うざったい話である。
ネットを見ていると、そう思っている人もいらっしゃるようだ。
一昨年、去年とあれだけライトユーザー市場万歳と唱えたボクが言うのもなんだが、「万歳、万歳」うるさい万歳バカに水でも砂でもぶっかけてやりたいと思っている人もいるのではないか。

「生活を邪魔しないゲーム? そんなもんゲームじゃねえよ、バカ野郎」と思っている人もいるのではないか。暴力ゲーム上等、ゲーム脳上等、ゲームバッシング上等、上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等上等。

自分が本気になれる何かを見つけた人間にとって、それが何人から支持されているかは、実にどうでもいい話である。100万本売れているゲームだから本気になるのか、10万本や1万本では本気になれないのか。そんな馬鹿げた話はどこにも無い。本気のゲーマーにとって、ゲーム人口なんぞ、気に止める話ではないのだ。

流行っている人気の職業に就く人がいる。堅実で安定した職業に就く人がいる。あるいは伝統工芸のような人数の限られた世界に進む人もいる。進むべき業種ごとに、それぞれ就業人口の多寡はある。でもそのいずれにも、貴賎は無いし、上下も無い。人間の「本気」に上下は無いのだ。

100万人が笑顔になったゲームであれ、ただあなた1人が遊ぶゲームであれ、上下は無い。本気になったあなたとゲームをつなぐ「本気」の線上には、何物も入り込めないのだから。

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タグ:連射王  川上稔  

2巻から読めと薦められる 『学校を出よう!』

『涼宮ハルヒの分裂』が出てからというもの、『分裂』が面白かった人は『学校を出よう!』も読んでみよう! という文章をネットのあちこちで見かける。完全に同意。

谷川流はSF好きで、本当はもっと濃いものを書きたいのだなあと思う。『ハルヒ』は濃厚なSF成分を意識的に抑えている作品で、『学校を出よう!』は比較的好きに書いたもの。しかもこの2作、スニーカー文庫と電撃文庫で同日に発売された。谷川流は2冊同時刊行デビューを成し遂げた稀有な作家である。

しかしその結果はあまりに対照的。売上は圧倒的に『ハルヒ』が上。だけど、ぜひ作家の本質を味わってほしい。萌え小説書いてるだけの人ではないんだよ、マジで!!!
学校を出よう!
Escape from The School

谷川流
学校を出よう! 2
I‐My‐Me


……………………………………。
……………………………………。
……………………………………。
しかしそう訴えたところで、表紙がこれでは正直いって説得力を欠く。『ハルヒ』よりも、よっぽどパープーな萌え小説に見えますが何か? と突っ込まれそう。ま、まあ、そのあたりは電撃の編集に問題があるような気がする。

『学校を出よう!』シリーズがヒットしなかった要因はいくつかあるが、その1つが1巻があまり面白くないことだ。個人的には『ハルヒ』とは違うあの雰囲気が好きなのだが、エンターテインメントという観点ではやや厳しい。

ネットでは2巻から読み始めることをお薦めしている意見も見かける。2巻は1巻と主人公が異なっているし、メインの登場人物も違う。1巻を読んでいなくても問題なく読める。

そしてSF小説という点では、圧倒的に2巻のほうが面白い。
突然、物語は始まる。雨の路上に立っていることに気づいた神田健一郎。彼の手には血まみれの果物ナイフが握られていた。愕然とした彼は、何が起こったのか、思い出せないことにさらに愕然とする。とにかく自分の家に逃げ帰った神田健一郎を待っていたのはもう1人の自分だった。

1人は『三日後の世界』から来た神田A、もう1人は『三日前の世界』から来た神田B。『現在』の世界で出会った彼らは、相談できる相手を求めて、変わり者の同級生、超常現象研究会の星名サナエの家を訪ねる。事態を面白がった彼女は2人を受け入れてくれる。かくして行き場所の無い2人の神田と、好奇心旺盛な星名の、数日間の奇妙な生活が幕を開ける。
「とても面白い現象です。わたしは面白い現象が大好きなのです。それに、あなたはこんな迂闊な手を使ってまで、受けない冗談をする人ではないでしょうし、わたしはあなたがたの存在をマジなものとして認識します」
「それはよかった……。でも本当に解っているのか?」と神田A。
「はい、ありがとうございます。わたしを面白そうな出来事に巻き込んでいただけて」
「いや……だからさ、」と、神田二人。
「自分で言っていれば世話はありませんが、わたしの現実認識能力は一般平均よりは高い数値を叩き出していると自認する次第です」
血塗れの果物ナイフは何だったのか? 年表干渉者(インターセプタ)とは何者なのか? 幼なじみのユウキの妹、ミツキが泣いている理由は? 2人の神田を襲った現象の原因は? はたして元いた時間に戻れるのか? あらゆる謎が1つの時間に収束していく。解答がもたらされた後には、神田健一郎と同じく、読者にも一抹の寂しさが残るはずだ。

このシリーズ、巻を追うごとにSF成分は増大していく。現在6巻まで出ており、とりわけ5巻と6巻は『分裂』を思わせる構成になってます。並行世界ネタは谷川流の得意とするところ。真骨頂をとくとお楽しみあれ。できれば、6月1日発売の『涼宮ハルヒの驚愕』を読む前に。

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