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リアルタイムで刊行される本につき合う面白さ 『ηなのに夢のよう』

ηなのに夢のよう(森博嗣)
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あの西之園萌絵と犀川創平の二人が帰ってきたという触れ込みで始まったGシリーズも6冊目。φ、θ、τ、ε、λ、そしてη。いつの間にこんなに出てたんだろう、という感じがしますね。

西之園萌絵はこの巻で、いよいよ両親を失った10年前の飛行機事故の真相と向き合います。当時の彼女ならとても受け止めきれなかったでしょう。しかし今の彼女なら。
「いつかは、受け止めなければならないものだ。そして、これを認めないかぎり、君は、本当に現実の世界には戻ってこられない」
「大丈夫です。戻れます」西之園は言う。「夢を見ていたかもしれませんけれど、でも、少しずつは強くなりましたし、傷は治りました。もう、受け入れることができます」
「その判断の根拠は?」
「自分でわかります。信じて下さい」
 犀川は三秒間ほど黙った。
「わかった。信じよう」
ここまで長大なシリーズになると、読者も主人公たちと一緒に年をとっていくわけです。主人公が加齢と共に、心を強くしていくのを、しなやかに伸びていくのを一緒に体験し、ときには読者自身の人生をふり返ることもあります。それがリアルタイムで刊行される本につき合う行為の面白い所です。後の時代になって、まとめて読んだのでは決して得られない共感があるんです。

西之園萌絵が事故を受け入れられるようになるための、格別な説得力が物語のなかで語られているかというと、ほとんどありません。まぁ無論、10年もたち、いろいろな経験をしていれば、それぐらい成長していても不思議はありませんが、「歳月を経る」という事の説得力は、じつは省略では得られないのです。

小説に限りませんが、架空の物語はいくらでも時間を飛ばせます。しかし10年飛ばしたからといって、10年という歳月を表現できるわけではありません。やはり相応の巻数、刊行されるまでの読者の側の時間というものがあって生まれる説得力があります

小説は架空の物語ですが、それを読む読者の感情の記憶、加齢は現実のものです。読むという行為は、仮想の世界に浸ることであると同時に、読者が生きている現実と結びつける行為です。読書人がどうして本を読み続けるかというと、共に時の流れを歩みたいと思うキャラクターが本の中に生きているからに他なりません。

ボクは人生において、ゲームを全然やらない期間が2度あったし、アニメを全然見ない期間もしょっちゅうあります。しかし小説を読んでいない期間というものは、小説に出会ってからこのかた、一度もありません。

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テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

タグ:森博嗣  

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