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ゲーム開発の「水平分業」と「垂直統合」
最近よく話題に出るのはDS、特に『脳トレ』以降、ゲームの作り方がファミコンの頃に戻ってきたね、ということです。開発期間の圧倒的な短さや人数の少なさは、まさにファミコン時代並みですし、ネタから商品になるまでの鮮度(サイクルの短さ)も良くなっています。
「垂直統合」から「水平分業」への歴史
ゲーム制作って、最初は垂直統合型でした。プログラマー自分で仕様を決めて、自分で絵を描いて、動きをプログラムで制御していました。プログラマー=ゲームデザイナーという時代です。それから少しして、絵を描く人とプログラムを組む人と音楽を作る人の3人ぐらいに分かれて、ゲームデザインはその中の1人がやるようになりました。
徐々にゲームデザイナーという言葉が死語になっていきました。ディレクターという肩書きの人が現れて、企画は自分では絵を描かないし、プログラムも組まなくなります。規模が拡大するにつれて、それぞれのパートの人数が増えていって、プランナー、デザイナー、プログラマーの上に3Dとか2Dとかエフェクトといった冠がつくようになりました。水平分業の時代です。
その方が1人1人が早く専門家に育ちますし、組織の効率も良くなります。しかしデータを量産するのは開発中盤以降ですから、序盤は少人数で、中盤以降に人を増やしてガッと作ることになり、忙しい時期を連続して経験するスタッフが増えていきました。
すると人が疲弊するのが早くなるし、自分のパート以外に目が向かない、「木を見て森を見ず」の人が多くなります。スタッフがじっくりゲームを遊んだのがデバッグ期間中になって初めて、という状況があちこちで発生するようになりました。
するとまあ、特に大作と呼ばれるゲームに顕著なのですが、色々なパートを組み合わせた時の統一感が落ちたり、デモを見ているのか、ゲームを遊んでいるのか、よくわからないゲームが出来るようになりました(最近では、デモの中でちょっとインタラクティブな部分を入れる試みも行われています)。
垂直統合型を見直す
で、作る側がそういうやり方に慣れているため、小さいゲームを作る時にもその水平分業型をシュリンクした、ミニマムな水平分業で作ろうとするんですが、それではなかなかいい物ができないという問題に、少なくない開発会社がぶち当たっていると思います。
ボリュームのある物をいかに効率よく作るかという課題と、小さいけれども快適で便利なものを短期間に仕上げるという課題は全然違うんですね。垂直統合型で、例えばFLASHでも、試作プログラムでもいいんですが、できるだけ少人数で、ディレクターとデザイナーとプログラマーの3人、あるいはデザイナーとプログラマーの2人、理想的には1人で組み上げる。それを毎日さわって、いじって、作って壊してをくり返した方が明らかに快適なものは作れるんです。
ところが世の中の開発会社では、手触りベースでは作れないという話がよく出ます。何故かというと、そんな時間も無いし、お金も無いという言い訳が出てきます。しかしそういう人たちの全員ではありませんけど、少なくとも何割かの人を、ボクは嘘つきだと思います。
どうして時間がかかるかというと、水平分業の作り方でやっているからですね。仕様書を書いて、社内あるいは外部の会社に渡して、できあがるのを待っているというやり方なんです。そりゃ、そんなに長いサイクルを何度も回すなんてできません。当たり前のことです。
サイクルを何度も回すには、サイクルを小さく短くしなければいけません。10人が4人に、5人が3人に、3人が2人に、そして1人になれば、サイクルは小さく短くなっていきます。究極的には1人でやれば早いですよね。タイミングをいじったり、レイアウトをいじるのも、自分の中で完結するから、2時間、3時間で画面の動きをいじれるでしょう。それが2人になると、半日、1日みたいな時間になるでしょう。3人とか4人になると、2日とか3日になるでしょうね。
例えば、デジタルのツールで絵を描くときに、線を描いては消してということをしますし、文章を書くときにも書いては消してをくり返しながら書き上げます。その「作って壊して」のサイクルは非常に短いし、コストがやたらとかかるわけでもありません。ですから「作って壊して」が時間も費用もかかるというのはまったくの嘘なんです。問題はフィードバックまでのサイクルの長さです。
現場が正しいと言うのは簡単
要は、作り方の問題なんてすね。
『脳トレ』を始めとする実用ソフトやカジュアルゲームが世の中を席巻したとき、超短期開発の案件がゲーム業界に増えました。3ヶ月とか1ヶ月で作れと言われたとき、現場の制作者の中には「殺す気かよ!」と叫ぶ方もいらっしゃいました。「偉い人は何もわかっちゃいない」という話も出ました。
しかしそれは、水平分業に慣れきっているからなんですね。実は一番わかってないのは現場かもしれないわけです。物作りをする人は苦労すればするほど、のめり込めばのめり込むほど、現場は正しいと信じ込み、上層部を批判しがちです。
確かに作っていない人間より、実際に作っている人間の方がよくわかっているケースは多いでしょう。けれども、一方で現場が伝統的なやり方に固執し、無意識に変化を嫌っているケースもあります。現場が一番頑迷というのは、割とありかちな話です。有能というのは、多くの場合、方法への最適化とイコールですから、方法そのものが聖域化してしまいがちです。
「水平分業」を前提にしたゲーム開発の未来像ばかりが語られている
DSやWiiの路線が成功をおさめて、ライトゲーム、カジュアルゲームが持てはやされた時、「そういう軽いソフトは中国や韓国でも作れるから、そういうゲームばかり作っていても、日本のゲーム制作者に未来は無い」というような事を言う人がいらっしゃいました。
大規模プロジェクトを効率よくこなす北米と、人件費の安いアジアに挟まれて、日本のゲーム制作には未来が無い、という主張もありました。けれども、ボクにはそうは思えません。
率直にいって、そういう考え方の人は、ゲームを舐めてるんじゃないか、と感じます。ちょっとキツい書き方だったかもしれませんね。言い換えると、頭の中が水平分業に捕らわれていて、より複雑な、より大規模な水平分業をこなすことに価値があると思い込んでおられる。
大規模なソフトにおいて、あるパートをアジアに投げて、開発費が下がりました、という話は聞くようになりました。水平分業の行き着き先はそういう未来です。しかし小規模で、快適に使えて、時流に沿った鮮度の良い、たいへん質の高いソフトをアジアに投げて作れるでしょうか? ゲームを舐めている人が認めるクオリティのソフトは作れているかもしれませんが、ボクは1つも作れていないと思います。
製造業の世界は、目先のコストダウンに追われて、ある時期、水平分業に大きく傾きました。その結果、アジアに技術が流出して、国際競争で不利になっていったのは皆さんご存知だと思います。そして最近では、多品種少量開発ということで、国内に製造拠点を作っているメーカーが多いわけです。またコアの技術をよそに出さないように、垂直統合型のビジネスをよしとする考え方が強まりました。
(参考:やはり生産の空洞化はアホのやることでしょ。[会社活動])
アップルのiPodも、ハードからソフト、サービスに至るまでの新しい垂直統合型ビジネスとして、注目されました。デジタル家電の話と、ゲームソフトの話を同じ扱いで語ることはできませんが、時代の変化と共に、成功モデルが変わっていくという点は同じです。
補足:大作ゲームの開発手法にも変化が
欧米の大作ソフトでもアジャイル的な開発手法への注目が高まっています。先日のGDCも話題になりました。
ゲーム機の世代交代の時期には、以前の開発手法への見直しが行われます。最初は前世代の方法論をそのまま拡張してやってみますが、1回作ってみると、問題点がわかってきて、次の手法が生まれてきます。
以前、日本のゲーム産業が欧米に追いつけなくてまずい……という妄想を語っておられる方々がいました。けれども、その理論的な根拠は結局、古い開発モデルにあるんですね。開発モデルそのものが変化しつつある現状で、そんな数年前の妄想は本当にただの妄想になりつつあります。
ゲーム制作って、最初は垂直統合型でした。プログラマー自分で仕様を決めて、自分で絵を描いて、動きをプログラムで制御していました。プログラマー=ゲームデザイナーという時代です。それから少しして、絵を描く人とプログラムを組む人と音楽を作る人の3人ぐらいに分かれて、ゲームデザインはその中の1人がやるようになりました。
徐々にゲームデザイナーという言葉が死語になっていきました。ディレクターという肩書きの人が現れて、企画は自分では絵を描かないし、プログラムも組まなくなります。規模が拡大するにつれて、それぞれのパートの人数が増えていって、プランナー、デザイナー、プログラマーの上に3Dとか2Dとかエフェクトといった冠がつくようになりました。水平分業の時代です。
その方が1人1人が早く専門家に育ちますし、組織の効率も良くなります。しかしデータを量産するのは開発中盤以降ですから、序盤は少人数で、中盤以降に人を増やしてガッと作ることになり、忙しい時期を連続して経験するスタッフが増えていきました。
すると人が疲弊するのが早くなるし、自分のパート以外に目が向かない、「木を見て森を見ず」の人が多くなります。スタッフがじっくりゲームを遊んだのがデバッグ期間中になって初めて、という状況があちこちで発生するようになりました。
するとまあ、特に大作と呼ばれるゲームに顕著なのですが、色々なパートを組み合わせた時の統一感が落ちたり、デモを見ているのか、ゲームを遊んでいるのか、よくわからないゲームが出来るようになりました(最近では、デモの中でちょっとインタラクティブな部分を入れる試みも行われています)。
で、作る側がそういうやり方に慣れているため、小さいゲームを作る時にもその水平分業型をシュリンクした、ミニマムな水平分業で作ろうとするんですが、それではなかなかいい物ができないという問題に、少なくない開発会社がぶち当たっていると思います。
ボリュームのある物をいかに効率よく作るかという課題と、小さいけれども快適で便利なものを短期間に仕上げるという課題は全然違うんですね。垂直統合型で、例えばFLASHでも、試作プログラムでもいいんですが、できるだけ少人数で、ディレクターとデザイナーとプログラマーの3人、あるいはデザイナーとプログラマーの2人、理想的には1人で組み上げる。それを毎日さわって、いじって、作って壊してをくり返した方が明らかに快適なものは作れるんです。
ところが世の中の開発会社では、手触りベースでは作れないという話がよく出ます。何故かというと、そんな時間も無いし、お金も無いという言い訳が出てきます。しかしそういう人たちの全員ではありませんけど、少なくとも何割かの人を、ボクは嘘つきだと思います。
どうして時間がかかるかというと、水平分業の作り方でやっているからですね。仕様書を書いて、社内あるいは外部の会社に渡して、できあがるのを待っているというやり方なんです。そりゃ、そんなに長いサイクルを何度も回すなんてできません。当たり前のことです。
サイクルを何度も回すには、サイクルを小さく短くしなければいけません。10人が4人に、5人が3人に、3人が2人に、そして1人になれば、サイクルは小さく短くなっていきます。究極的には1人でやれば早いですよね。タイミングをいじったり、レイアウトをいじるのも、自分の中で完結するから、2時間、3時間で画面の動きをいじれるでしょう。それが2人になると、半日、1日みたいな時間になるでしょう。3人とか4人になると、2日とか3日になるでしょうね。
例えば、デジタルのツールで絵を描くときに、線を描いては消してということをしますし、文章を書くときにも書いては消してをくり返しながら書き上げます。その「作って壊して」のサイクルは非常に短いし、コストがやたらとかかるわけでもありません。ですから「作って壊して」が時間も費用もかかるというのはまったくの嘘なんです。問題はフィードバックまでのサイクルの長さです。
要は、作り方の問題なんてすね。
『脳トレ』を始めとする実用ソフトやカジュアルゲームが世の中を席巻したとき、超短期開発の案件がゲーム業界に増えました。3ヶ月とか1ヶ月で作れと言われたとき、現場の制作者の中には「殺す気かよ!」と叫ぶ方もいらっしゃいました。「偉い人は何もわかっちゃいない」という話も出ました。
しかしそれは、水平分業に慣れきっているからなんですね。実は一番わかってないのは現場かもしれないわけです。物作りをする人は苦労すればするほど、のめり込めばのめり込むほど、現場は正しいと信じ込み、上層部を批判しがちです。
確かに作っていない人間より、実際に作っている人間の方がよくわかっているケースは多いでしょう。けれども、一方で現場が伝統的なやり方に固執し、無意識に変化を嫌っているケースもあります。現場が一番頑迷というのは、割とありかちな話です。有能というのは、多くの場合、方法への最適化とイコールですから、方法そのものが聖域化してしまいがちです。
DSやWiiの路線が成功をおさめて、ライトゲーム、カジュアルゲームが持てはやされた時、「そういう軽いソフトは中国や韓国でも作れるから、そういうゲームばかり作っていても、日本のゲーム制作者に未来は無い」というような事を言う人がいらっしゃいました。
大規模プロジェクトを効率よくこなす北米と、人件費の安いアジアに挟まれて、日本のゲーム制作には未来が無い、という主張もありました。けれども、ボクにはそうは思えません。
率直にいって、そういう考え方の人は、ゲームを舐めてるんじゃないか、と感じます。ちょっとキツい書き方だったかもしれませんね。言い換えると、頭の中が水平分業に捕らわれていて、より複雑な、より大規模な水平分業をこなすことに価値があると思い込んでおられる。
大規模なソフトにおいて、あるパートをアジアに投げて、開発費が下がりました、という話は聞くようになりました。水平分業の行き着き先はそういう未来です。しかし小規模で、快適に使えて、時流に沿った鮮度の良い、たいへん質の高いソフトをアジアに投げて作れるでしょうか? ゲームを舐めている人が認めるクオリティのソフトは作れているかもしれませんが、ボクは1つも作れていないと思います。
製造業の世界は、目先のコストダウンに追われて、ある時期、水平分業に大きく傾きました。その結果、アジアに技術が流出して、国際競争で不利になっていったのは皆さんご存知だと思います。そして最近では、多品種少量開発ということで、国内に製造拠点を作っているメーカーが多いわけです。またコアの技術をよそに出さないように、垂直統合型のビジネスをよしとする考え方が強まりました。
(参考:やはり生産の空洞化はアホのやることでしょ。[会社活動])
アップルのiPodも、ハードからソフト、サービスに至るまでの新しい垂直統合型ビジネスとして、注目されました。デジタル家電の話と、ゲームソフトの話を同じ扱いで語ることはできませんが、時代の変化と共に、成功モデルが変わっていくという点は同じです。
欧米の大作ソフトでもアジャイル的な開発手法への注目が高まっています。先日のGDCも話題になりました。
ゲーム機の世代交代の時期には、以前の開発手法への見直しが行われます。最初は前世代の方法論をそのまま拡張してやってみますが、1回作ってみると、問題点がわかってきて、次の手法が生まれてきます。
以前、日本のゲーム産業が欧米に追いつけなくてまずい……という妄想を語っておられる方々がいました。けれども、その理論的な根拠は結局、古い開発モデルにあるんですね。開発モデルそのものが変化しつつある現状で、そんな数年前の妄想は本当にただの妄想になりつつあります。
世の中には立てられるリモコンがほとんど無い
いつも何気なくそうしていて、意識してなかったんですが、Wiiリモコンって立てられるんですよね。で、いざ自分の家にあるリモコン類を見てみると、どれも立てられません。世の中のリモコンって、どれもボタンが多くて平べったいんですよ。

立てられるリモコンとそうでないリモコン
Wiiリモコンは表側だけツアツヤしたガワに変えてますし、すっきりしたきれいな「顔」を自信を持って見せている感じ。一方、普通のテレビリモコンはボタンだらけの顔を恥じて、あんまりジロジロ見るもんじゃねえよ、と目立たないように伏せている感じ。
家電の世界では、リモコンなんてそもそもデザインに気を使う対象ではない、という認識なのかもしれませんが、昨今インターフェース、インターフェースと言われてる割には、ズサンなままだなぁと思いますよね。
テレビリモコンを立てる。構造的に無理ではないでしょう。電池ボックスは普通下側にありますから、重心も下にくるでしょう。文化的に今までそうだったというだけなんでしょう。ボタンが多すぎるのも含めて、見直してみたらどうか。1機能=1ボタンにこだわりすぎですよね。
他にも、例えばApple Remoteを見習ってもいいと思います。片手型インターフェースの代表格、携帯電話のデザインも、もっと見習ってほしいですね(携帯電話を家電のリモコンに使うという話は昔コケましたし、メリットが薄いのですが)。
おまけ

XBOX360のDVDリモコンの上部は平べったいので……

逆さに立てることはできました(これじゃ不便ですが)

立てられるリモコンとそうでないリモコン
Wiiリモコンは表側だけツアツヤしたガワに変えてますし、すっきりしたきれいな「顔」を自信を持って見せている感じ。一方、普通のテレビリモコンはボタンだらけの顔を恥じて、あんまりジロジロ見るもんじゃねえよ、と目立たないように伏せている感じ。
家電の世界では、リモコンなんてそもそもデザインに気を使う対象ではない、という認識なのかもしれませんが、昨今インターフェース、インターフェースと言われてる割には、ズサンなままだなぁと思いますよね。
テレビリモコンを立てる。構造的に無理ではないでしょう。電池ボックスは普通下側にありますから、重心も下にくるでしょう。文化的に今までそうだったというだけなんでしょう。ボタンが多すぎるのも含めて、見直してみたらどうか。1機能=1ボタンにこだわりすぎですよね。
他にも、例えばApple Remoteを見習ってもいいと思います。片手型インターフェースの代表格、携帯電話のデザインも、もっと見習ってほしいですね(携帯電話を家電のリモコンに使うという話は昔コケましたし、メリットが薄いのですが)。

XBOX360のDVDリモコンの上部は平べったいので……

逆さに立てることはできました(これじゃ不便ですが)
評判のきわめて高い、良質のジュブナイル 『ジョン平とぼくと』
ジョン平とぼくと(大西科学)
amazon bk1
少年少女向けの良質な成長物語として、各方面でやたらと評判が高いと聞く『ジョン平とぼくと』。派手さには欠けるものの、たぶんハリーポッターの読者なら、この本も楽しめるんじゃないでしょうか。
科学のかわりに魔法が発展した社会で、どういうわけか魔法が不得意な少年、「ぼく」こと北見重。彼の使い魔はジョン平という呑気な犬。落ちこぼれ少年とゆる〜い犬のコンビは、誰もが魔法を使える社会で、あんまり目立たないように、居心地が悪そうに、自分たちのペースで毎日を過ごしています。
■魔法が不得意な少年だから持てるユニークさ
魔法が不得意で、真面目に取り組む気もとぼしい「ぼく」が科学に傾倒するのは自然な流れでしょう。放課後になるといつも化学室にこもって、ジョン平と一緒に実験を続けています。科学の専門家ではありませんが、学校という限られた世界では、もっとも科学的な視点で物を見られる人間です。
「ぼく」の周辺では、クラスメートの使い魔が突然暴走したり、行方不明になる事件が立て続けに起こります。それらは魔法に関係する事件でありながら、解決に科学的視点を要するという点が面白いです。科学に傾倒しているがゆえに持てる、「ぼく」のちょっとユニークな視点がここで活きてきます。
■「ちょっと」が身近なリアリティを生む
良質なジュブナイルにおいて、大切なことの1つがその「ちょっと」です。ちょっとした知恵、ちょっとした勇気、ちょっとした喜び。現に、世界はそういう物で構成されています。
ライトノベルにおいては、少年とその周辺のトラブルが世界そのものの危機に直結しているような展開がありがちで、それは思春期の自意識の肥大化を具現化しています。ライトノベルは娯楽性を追求した結果、そのエスカレーション性を選択したわけですが、一方である種の一般性を失いがちです。少年はヒーローたり得ないからこそ少年なのです。
■親が不在の成長物語
この成長物語で特徴的なのは「親」の不在です。「ぼく」の父親は確実に死んでいて、かわりに父の使い魔のエンダー(なんとパンダですよ!)が家事をこなしながら、父親然として振舞っています。
世の中の多くの「少年の成長物語」では、父親の生死が不明な場合、少年は父の背中を追いかける宿命や使命感を抱いていて、やがて「実は生きていた」父親に再会するというオチがつきます。しかしこの作品ではそういう典型的なパターンを最初から封じているのですね。
大人になるとは、大人の教えを身につけることではないですし、大人と同じような立ち居振る舞いや、考えができることでもありません。そもそも大人からして、ずいぶんと不確かな生き方をしているわけですよ。基本的に大人は「ぼく」を導きません。それでも子どもは勝手に育っていくわけです。この小説に書かれているのは、そういうちょっとしたたくましさなのです。
amazon bk1少年少女向けの良質な成長物語として、各方面でやたらと評判が高いと聞く『ジョン平とぼくと』。派手さには欠けるものの、たぶんハリーポッターの読者なら、この本も楽しめるんじゃないでしょうか。
科学のかわりに魔法が発展した社会で、どういうわけか魔法が不得意な少年、「ぼく」こと北見重。彼の使い魔はジョン平という呑気な犬。落ちこぼれ少年とゆる〜い犬のコンビは、誰もが魔法を使える社会で、あんまり目立たないように、居心地が悪そうに、自分たちのペースで毎日を過ごしています。
■魔法が不得意な少年だから持てるユニークさ
魔法が不得意で、真面目に取り組む気もとぼしい「ぼく」が科学に傾倒するのは自然な流れでしょう。放課後になるといつも化学室にこもって、ジョン平と一緒に実験を続けています。科学の専門家ではありませんが、学校という限られた世界では、もっとも科学的な視点で物を見られる人間です。
「ぼく」の周辺では、クラスメートの使い魔が突然暴走したり、行方不明になる事件が立て続けに起こります。それらは魔法に関係する事件でありながら、解決に科学的視点を要するという点が面白いです。科学に傾倒しているがゆえに持てる、「ぼく」のちょっとユニークな視点がここで活きてきます。
■「ちょっと」が身近なリアリティを生む
良質なジュブナイルにおいて、大切なことの1つがその「ちょっと」です。ちょっとした知恵、ちょっとした勇気、ちょっとした喜び。現に、世界はそういう物で構成されています。
ライトノベルにおいては、少年とその周辺のトラブルが世界そのものの危機に直結しているような展開がありがちで、それは思春期の自意識の肥大化を具現化しています。ライトノベルは娯楽性を追求した結果、そのエスカレーション性を選択したわけですが、一方である種の一般性を失いがちです。少年はヒーローたり得ないからこそ少年なのです。
■親が不在の成長物語
この成長物語で特徴的なのは「親」の不在です。「ぼく」の父親は確実に死んでいて、かわりに父の使い魔のエンダー(なんとパンダですよ!)が家事をこなしながら、父親然として振舞っています。
世の中の多くの「少年の成長物語」では、父親の生死が不明な場合、少年は父の背中を追いかける宿命や使命感を抱いていて、やがて「実は生きていた」父親に再会するというオチがつきます。しかしこの作品ではそういう典型的なパターンを最初から封じているのですね。
大人になるとは、大人の教えを身につけることではないですし、大人と同じような立ち居振る舞いや、考えができることでもありません。そもそも大人からして、ずいぶんと不確かな生き方をしているわけですよ。基本的に大人は「ぼく」を導きません。それでも子どもは勝手に育っていくわけです。この小説に書かれているのは、そういうちょっとしたたくましさなのです。
美しく赤く、三代の女たちの物語 『赤朽葉家の伝説』
赤朽葉家の伝説(桜庭一樹)
amazon bk1
本の紹介エントリーの50本目。
美しく、赤い世界に生きた三代の女たちの物語です。
山の中に住み、たまに人里に下りてくる”辺境の人”に置き捨てられた一人の幼児が、村の若夫婦に拾われます。彼女の名は万葉。ただ一人、里に残された万葉は、未来の光景を見る”千里眼”を生まれ持っていました。貧乏な家庭に育った、男っ気のない大女でしたが、やがて、たたら場をもとに製鉄業を起こした赤朽葉家に請われて、嫁入りします。いまだ迷信と神話が支配する時代だからでしょうか、彼女の千里眼がこの旧家の将来の危機を救うことになるのです。(第一部 最後の神話の時代)
”千里眼奥様”と呼ばれるようになった万葉は三人の子どもを生みます。長女の毛鞠は猛々しい女であり、今で言うスケバンになり、”製鉄天使”を率いて、中国地方の統一に動き出します。神話の時代はとうの昔に終わっていても、伝説が生きていた時代です。少年少女の青春において、暴力が派手に花を飾った最後の時代でもありました。彼女は若い時代を思うがままに過ごし、波乱万丈に生き果てます。(第二部 巨と虚の時代)
そして現代を生きる瞳子は母や祖母と比べると、驚くほど平凡に生きています。神話も終わり、伝説もない。程ほどの恋をして、現在はニート。祖母の万葉が残した謎を追いかけて、赤朽葉家の歴史をもう一度たどり直します。(第三部 殺人者)
それにしても『GOSICK』の作者と同一人物とはちょっと思えません(ライトノベルは書き続けるらしいので、ヴィクトリカファンは安心して!)。
この小説は思春期の少女にスポットを当てていて、戦後から平成に至るまで、若者の青春のあり方が変わっていく様子を描写しています。こんなにも変わるのだなあとも思うし、全然変わらないなあと感じる部分もあります。
昭和生まれのボクにとって一番衝撃だったのは、もはや昭和はファンタジーの領分になりつつあるということです(『ひぐらしのなく頃に』でもそれは感じたんですけどね。昭和50年代はまだ伝奇的リアリティが生き残っている時代なんだ、という)。
ボクは70年代半ばに生まれたので、毛鞠と瞳子の間の世代です。毛鞠の青春時代、ヤンキーやスケバンの時代の残り香を嗅いでいますし、バブル期の狂乱騒ぎも知っています。また瞳子の抱える閉塞感や、ニート世代の英雄的リアリティの徹底的な欠如も肌でわかります。万葉の時代はボクにとってはやはり神話として、受け止める以外ありません。
老人から中年、若者まで、読者の年齢におうじて共感できる世代が見つかると思います。自分が生きたかつての青春が、あの匂いが、この小説のどこかにあるはずです。鮮やかにあの時代が蘇ってきます。
amazon bk1本の紹介エントリーの50本目。
美しく、赤い世界に生きた三代の女たちの物語です。
山の中に住み、たまに人里に下りてくる”辺境の人”に置き捨てられた一人の幼児が、村の若夫婦に拾われます。彼女の名は万葉。ただ一人、里に残された万葉は、未来の光景を見る”千里眼”を生まれ持っていました。貧乏な家庭に育った、男っ気のない大女でしたが、やがて、たたら場をもとに製鉄業を起こした赤朽葉家に請われて、嫁入りします。いまだ迷信と神話が支配する時代だからでしょうか、彼女の千里眼がこの旧家の将来の危機を救うことになるのです。(第一部 最後の神話の時代)
”千里眼奥様”と呼ばれるようになった万葉は三人の子どもを生みます。長女の毛鞠は猛々しい女であり、今で言うスケバンになり、”製鉄天使”を率いて、中国地方の統一に動き出します。神話の時代はとうの昔に終わっていても、伝説が生きていた時代です。少年少女の青春において、暴力が派手に花を飾った最後の時代でもありました。彼女は若い時代を思うがままに過ごし、波乱万丈に生き果てます。(第二部 巨と虚の時代)
そして現代を生きる瞳子は母や祖母と比べると、驚くほど平凡に生きています。神話も終わり、伝説もない。程ほどの恋をして、現在はニート。祖母の万葉が残した謎を追いかけて、赤朽葉家の歴史をもう一度たどり直します。(第三部 殺人者)
万葉は、それなら、仕方ない、と思った。自分を抱き続けているのは男ではなく、家そのものの力であるようにも感じられた。この騒ぎのなにがよいのかはわからず、痛みと不安は消えぬままだったが、しかし、いまの自分はこのおおきな赤い家に包まれている、ここは山の奥深くであると思うと、次第に、不思議と心が落ち着いた。(祖母、万葉)思春期の少女、特に閉塞状態にある少女の友情を描くのが巧みな桜庭一樹の最高傑作。そう呼ぶにふさわしい、重厚であざやかで美しい小説です。この本を読むと、桜庭一樹という一人の作家が今、小説家として脂が乗り切っていることがはっきりわかります。現在の彼女なら、最高傑作を越える最高傑作を、次々と生み出せるんじゃないか。そんな贅沢な錯覚をしてしまいかねないほどです。
「言わせておけばいいさ。おじさん、わたしたちがあの子を好きだったら、それでいい。人の噂は七十五日だ。だけど、好きは永遠なのサ」(母、毛鞠)
ようやくたどりついた、現代。語り手であるわたし、赤朽葉瞳子自身には、語るべき新しい物語はなにもない。ほんとうに、なにひとつ、ない。
わたしは万葉の、不肖の孫娘なのである。あぁもう。死んでお詫びしたいところだが、でも生きていたいです。(わたし、瞳子)
それにしても『GOSICK』の作者と同一人物とはちょっと思えません(ライトノベルは書き続けるらしいので、ヴィクトリカファンは安心して!)。
この小説は思春期の少女にスポットを当てていて、戦後から平成に至るまで、若者の青春のあり方が変わっていく様子を描写しています。こんなにも変わるのだなあとも思うし、全然変わらないなあと感じる部分もあります。
昭和生まれのボクにとって一番衝撃だったのは、もはや昭和はファンタジーの領分になりつつあるということです(『ひぐらしのなく頃に』でもそれは感じたんですけどね。昭和50年代はまだ伝奇的リアリティが生き残っている時代なんだ、という)。
ボクは70年代半ばに生まれたので、毛鞠と瞳子の間の世代です。毛鞠の青春時代、ヤンキーやスケバンの時代の残り香を嗅いでいますし、バブル期の狂乱騒ぎも知っています。また瞳子の抱える閉塞感や、ニート世代の英雄的リアリティの徹底的な欠如も肌でわかります。万葉の時代はボクにとってはやはり神話として、受け止める以外ありません。
老人から中年、若者まで、読者の年齢におうじて共感できる世代が見つかると思います。自分が生きたかつての青春が、あの匂いが、この小説のどこかにあるはずです。鮮やかにあの時代が蘇ってきます。
春の新番組アニメといえば
春の新アニメで、何が見たいかって?
そりゃもちろん、『魔法少女リリカルなのは StrikerS』以外ありえません。
『なのは』『なのはA's』ときて、『StrikerS』では小学生からいきなり19歳。どこが魔法少女なんだーーーっ!という衝撃の新展開。でも、過去2作の実績からとりあえず信じて見てみますよー。
魔法少女リリカルなのは StrikerS 公式サイト
MADアニメも多数作られています。YouTubeで「なのは MAD」で検索すると色々引っかかります。
魔法少女リリカルなのは DVD


もう1つ挙げるなら執事アクションコメディ『ハヤテのごとく!』ですかね。プロモーションビデオがYouTubeに上がってます。
ハヤテのごとく! PV
今年は『君が主で執事が俺で』を始めとして、執事を主人公にしたエロゲーが何本も登場しますし、執事元年になるかもしれませんね。
そりゃもちろん、『魔法少女リリカルなのは StrikerS』以外ありえません。
『なのは』『なのはA's』ときて、『StrikerS』では小学生からいきなり19歳。どこが魔法少女なんだーーーっ!という衝撃の新展開。でも、過去2作の実績からとりあえず信じて見てみますよー。
魔法少女リリカルなのは StrikerS 公式サイト
MADアニメも多数作られています。YouTubeで「なのは MAD」で検索すると色々引っかかります。
- MAGICAL GIRL SOLID 3 -完全版- (Metal Gear Solid 3)
- A's -zero- (エースコンバットZERO)
- なのは 魔法少女空中決戦 (ガメラ 大怪獣空中決戦)
- 機動魔導師なのは 「なのは破壊命令」 (初代ガンダム)
- Lyrical Nanoha meets GundamSEED~taiketsu (ガンダムSEED)
- 世紀末魔法少女伝説 なのはの拳 (北斗の拳)
- Lyrical on Fire
魔法少女リリカルなのは DVD


もう1つ挙げるなら執事アクションコメディ『ハヤテのごとく!』ですかね。プロモーションビデオがYouTubeに上がってます。
ハヤテのごとく! PV
今年は『君が主で執事が俺で』を始めとして、執事を主人公にしたエロゲーが何本も登場しますし、執事元年になるかもしれませんね。
ロングセラーの実用ソフトと消えていくソフト
現在、DSでは大量の実用ソフトが発売されていますが、市場が活性化している一方で、タイトルごとに明暗が分かれてきています。
任天堂以外の実用ソフトでヒットを飛ばしているのはまず『漢検DS』。イマジニアの子会社のロケットカンパニーが開発を担当。一般人に認知されるように、プロモーションの打ち方を工夫し、秀逸なブログパーツを配布するなど、口コミ戦略にも余念がありません。書店流通にも展開し、累計出荷50万本を達成しました。
そして昨年末に発売されたバンダイナムゲームスの『平成教育委員会DS』もなかなかのロングセラーになっています。軽く遊んでみましたが、全体にウェルメイド。演出にしてもテレビ番組の再現度が非常に高く、たけし軍団が登場して、たけし先生との掛け合いでニヤリ。機械ボイスも番組と同じものが使われていて、思わずまたニヤリ。
コナミの『NOVAうさぎ』『大人力検定』、バンダイナムコの『美味しんぼDS』など、大手ソフトメーカーの実用ソフトが市場に次々と投下されていますが、実売は芳しくありません。『平成教育委員会DS』とは明暗がくっきり分かれました。
最近の話題としては、『レイトン教授』が出荷50万本を達成したみたいですね。パブリッシャー第1弾でいきなりハーフミリオン突破とは、幸先がいいスタート。クオリティ、テーマ、タイミング、ブランド、プラットフォームホルダーの支援など、色々なものが揃った、いや揃えたがゆえの快挙でしょう。
実用ソフトは、小回りの利く中小の開発会社が元気です。むしろ大手は苦戦ぎみ。昨年末に発売されて、3月中旬の時点で売上トップ50に入っているソフトを並べてみましょう。(3月12日〜18日の週間売上データ)
- 財団法人日本漢字能力検定協会公式ソフト200万人の漢検とことん漢字脳
(IEインスティテュート。11/09発売) - 脳内エステIQサプリDS
(スパイク。12/21発売) - DS陰山メソッド電脳反復ます×ます百ます計算
(小学館。12/07発売) - 財団法人日本漢字能力検定協会公認漢検DS
(ロケットカンパニー。9/28発売) - 平成教育委員会DS
(バンダイナムコ。12/21発売)
これらのソフトの特徴をいくつか見てみましょう。
- 任天堂という強力なパブリッシャーとかぶらないテーマを選んでいる。
逆に大手企業は正面衝突するテーマが多い。(漢字検定) - テレビ番組とタイアップしている。
認知度が高く、興味もひきやすい。(脳内エステIQサプリ、平成教育委員会) - 手法自体の知名度が高い。(百ます計算)
- テレビ番組とのタイアップを除けば、基本的にパッケージがシンプル。
タイトルも内容や効果がわかりやすい。 - 従来のゲーム流通経路、宣伝経路とは異なる経路も使っている。
例えば書店流通。(漢検、百ます計算)
このように中小の会社に有利な状況があります。
しかし『脳トレ』がヒットし、実用ソフト市場が成功した去年、せっかくチャンスが目の前に広がっているにもかかわらず、「脳トレ系は宣伝勝負。資金力が無い所が戦っても無駄」とか、「脳トレなんてゲームじゃない。作りたくねえよ」などと、自らチャンスから逃亡する開発現場もあったのですから、面白いものです。
まぁチャンスなんてものは、見逃す人間はどれだけ回ってきても見逃し続けて、「せめて1回ぐらいチャンスがあればなあ」とぼやき続けるものですし、機敏な方々は初めてのチャンスをいきなりモノにするわけです。非常に面白い現実がそこにあります。
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機械化少女たちの2つの物語 『オイレンシュピーゲル』と『スプライトシュピーゲル』
オイレンシュピーゲル(冲方 丁)![]() amazon bk1 | スプライトシュピーゲル(冲方 丁)![]() amazon bk1 |
親に、社会に、大きな悪意に殺されかけた少女が機械の身体を得て、自分を取り戻していく物語。表紙はお気楽なライトノベルに見えるかもしれませんが、『マルドゥック・スクランブル』と同じような方向性の小説です。
超少子高齢化による人材不足を解決するため、児童福祉法の改定により、十一歳以上の児童に労働の権利を与え、肉体に障害をもつ児童を無償で機械化する政策が発表されました。そして最優秀の機械化児童には<特殊転送式強襲機甲義肢>――通称<特甲>を与え、増大する凶悪犯罪やテロに対抗させ始めたのです。
2つの小説は共に、特甲児童たちの物語をつづっています。『スプライトシュピーゲル』では羽をもった3人の特甲少女、鳳(アゲハ)、乙(ツバメ)、雛(ヒビナ)が描かれ、『オイレンシュピーゲル』では黒犬(涼月)、赤犬(陽炎)、白犬(夕霧)と呼ばれる3人の特甲少女が描かれます。近しい場所で、お互いを知ることなく戦い続ける2つの少女たち。2つの物語はいずれ交わっていくのでしょう。
「あの子のあれが意志なもんですか」親によって、社会によって、悪意によって、傷けられ、存在を否定された少女たちが生き残って、しなやかに強くなっていきます。過去の傷に怯え、震え、お互いに肩を寄せ合って。
マリア――溜め息まじり/立ちこめる紫煙。
「この街で生き延びるための本能よ。あの子はね、七歳のときに両親から逃げて、家から二キロ先の病院まで腐った手足で這って行ったの」
少年ではなく、少女こそが生き残るために足掻く者として描かれる。少女は社会からの無意識の迫害や重圧を受け得る。そういうリアリティがいまだ、生き残っているのでしょう。少年という存在にはその種のリアリティはありません。勝手に内向的に生きて、ナイーブな自分の殻を後生大事に守るだけです。社会からの迫害も重圧も軽微で、父権との葛藤もなく、いまや社会における生き残り戦を戦う主人公として、リアリティを持ちにくくなっています。
『マルドゥック・スクランブル』と似た部分はありますが、ライトノベルとしては2つのシュピーゲルの方がよくまとまっています。ただ「まとまっている」というのは、破綻が無いということで、ある種の激しさが欠落していることなのかもしれません。いい悪いではなく。
小説としてまとまっているこの2作品には、したがってきちんと敵も用意されています。世界中のテロリストに武器を供給する組織の人間リヒャルト・トラクル。様々な人間に戦争をする理由を提供する男。子どもたちは、この悪意の体現者と対峙していくのです。
リアルタイムで刊行される本につき合う面白さ 『ηなのに夢のよう』
ηなのに夢のよう(森博嗣)
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あの西之園萌絵と犀川創平の二人が帰ってきたという触れ込みで始まったGシリーズも6冊目。φ、θ、τ、ε、λ、そしてη。いつの間にこんなに出てたんだろう、という感じがしますね。
西之園萌絵はこの巻で、いよいよ両親を失った10年前の飛行機事故の真相と向き合います。当時の彼女ならとても受け止めきれなかったでしょう。しかし今の彼女なら。
西之園萌絵が事故を受け入れられるようになるための、格別な説得力が物語のなかで語られているかというと、ほとんどありません。まぁ無論、10年もたち、いろいろな経験をしていれば、それぐらい成長していても不思議はありませんが、「歳月を経る」という事の説得力は、じつは省略では得られないのです。
小説に限りませんが、架空の物語はいくらでも時間を飛ばせます。しかし10年飛ばしたからといって、10年という歳月を表現できるわけではありません。やはり相応の巻数、刊行されるまでの読者の側の時間というものがあって生まれる説得力があります。
小説は架空の物語ですが、それを読む読者の感情の記憶、加齢は現実のものです。読むという行為は、仮想の世界に浸ることであると同時に、読者が生きている現実と結びつける行為です。読書人がどうして本を読み続けるかというと、共に時の流れを歩みたいと思うキャラクターが本の中に生きているからに他なりません。
ボクは人生において、ゲームを全然やらない期間が2度あったし、アニメを全然見ない期間もしょっちゅうあります。しかし小説を読んでいない期間というものは、小説に出会ってからこのかた、一度もありません。
amazon bk1あの西之園萌絵と犀川創平の二人が帰ってきたという触れ込みで始まったGシリーズも6冊目。φ、θ、τ、ε、λ、そしてη。いつの間にこんなに出てたんだろう、という感じがしますね。
西之園萌絵はこの巻で、いよいよ両親を失った10年前の飛行機事故の真相と向き合います。当時の彼女ならとても受け止めきれなかったでしょう。しかし今の彼女なら。
「いつかは、受け止めなければならないものだ。そして、これを認めないかぎり、君は、本当に現実の世界には戻ってこられない」ここまで長大なシリーズになると、読者も主人公たちと一緒に年をとっていくわけです。主人公が加齢と共に、心を強くしていくのを、しなやかに伸びていくのを一緒に体験し、ときには読者自身の人生をふり返ることもあります。それがリアルタイムで刊行される本につき合う行為の面白い所です。後の時代になって、まとめて読んだのでは決して得られない共感があるんです。
「大丈夫です。戻れます」西之園は言う。「夢を見ていたかもしれませんけれど、でも、少しずつは強くなりましたし、傷は治りました。もう、受け入れることができます」
「その判断の根拠は?」
「自分でわかります。信じて下さい」
犀川は三秒間ほど黙った。
「わかった。信じよう」
西之園萌絵が事故を受け入れられるようになるための、格別な説得力が物語のなかで語られているかというと、ほとんどありません。まぁ無論、10年もたち、いろいろな経験をしていれば、それぐらい成長していても不思議はありませんが、「歳月を経る」という事の説得力は、じつは省略では得られないのです。
小説に限りませんが、架空の物語はいくらでも時間を飛ばせます。しかし10年飛ばしたからといって、10年という歳月を表現できるわけではありません。やはり相応の巻数、刊行されるまでの読者の側の時間というものがあって生まれる説得力があります。
小説は架空の物語ですが、それを読む読者の感情の記憶、加齢は現実のものです。読むという行為は、仮想の世界に浸ることであると同時に、読者が生きている現実と結びつける行為です。読書人がどうして本を読み続けるかというと、共に時の流れを歩みたいと思うキャラクターが本の中に生きているからに他なりません。
ボクは人生において、ゲームを全然やらない期間が2度あったし、アニメを全然見ない期間もしょっちゅうあります。しかし小説を読んでいない期間というものは、小説に出会ってからこのかた、一度もありません。
タグ:森博嗣
見えてきたソフトメーカーの次世代ゲーム機戦略
次世代ゲーム機3機種が出揃った年末商戦から3ヶ月。ようやく各社が腹を決め始めましたね。全世界のゲーム会社の見解がほぼ一致するのは、PS3の立ち上がりが遅いということです。
日本ではいまだ実売100万台にとどかず、なんと年度内100万台さえ達成できそうにありません。XBOX360が売れない日本市場ではライバルが1つ少ないわけで、にもかかわらず、この市場でリードを稼げないのは痛い話です。北米では、出荷不足に泣きましたが、年が明けて供給が改善してからも、売上は芳しくなくありません。NPD集計による売上データを見ると、11月〜2月までの4ヶ月間、PS3はずっと最下位です。
XBOX360 PS3 Wii判断の早い欧米のパブリッシャーは当然として、日本のソフトメーカーも続々、PS3単独→XBOX360とのマルチに切り替えつつあります。
11月 51万1000台 19万7000台 47万6000台
12月 110万台 49万台 60万4000台
1月 29万4000台 24万4000台 43万6000台
2月 22万8000台 12万7000台 33万5000台
カプコン、「デビル メイ クライ 4」マルチプラットフォームで発売決定
このタイミングでのカプコンの発表は、なかなか印象的でした。非常にわかりやすい。カプコンは共通エンジンで開発していますから、マルチ化が比較的容易ではあるのですが、「同時発売」を明言したのは大きいですね。マルチ対応の場合でも、PS系だけは発売日が早いなど、SCEに一定の配慮を払うのがPS2時代までの常識でした。しかし、いよいよ「配慮」をしなくても良くなってきたというわけです。
キーマンが語るゲームの今! 進化するゲーム・ビジネス / デジタルARENA
またバンダイナムコの鵜之澤伸氏も、XBOX360でのカプコンの成功をあげ、XBOX360をしきりに評価していました。実際、『エースコンバット6』がXbox360で発売するらしく、全世界のXBOX360ユーザーが喝采をあげました。
日本の大手ソフトメーカーは、開発費のかかるHDゲームをPS3/XBOX360/PCのマルチ対応でしのぎ、軽いゲームをDSとWiiで展開する戦略を明確にしつつあります。しばらくは「重」と「軽」の2つの方向を両方バランス良くやっていくはずです。
1月、2月の北米市場の動向を見ると、HDゲーム機の売上がWiiより多く、HDゲームの需要の高さを感じるのですが、PS3とXBOX360の2つのハードで需要を分け合っているため、結果的にWiiが一番売れているハードになっています。マルチ対応が進み、PS3とXBOX360の没個性化が進めば進むほど、HDゲーム機の需要の高さとは別に、Wiiが生き残りやすくなっていきそうです。
現在、日本市場ではHDゲームの市場はきわめて限定的です。HDTVの普及に弾みがついていて、マニア向けのゲームがよく売れている北米市場を狙っていかなければ、商売が回りません。あるいは『アイドルマスター』のアイテム課金のように、少数のユーザーから高額のお金を徴収するビジネスモデルを立ち上げるか、ですね。
日本の大手ソフトメーカーにとって、「技術力の温存」は重大なテーマになっています。お膝元の日本では、高い技術力を要するHDゲームの市場が小さいとはいえ、HDTVの普及は進んできていますし、将来へ投資を続けないわけにはいきません。DSとWiiの勢いが永続すると考えている会社はほとんど無く、新しく増えたユーザーを市場に定着できるかどうかが1つの課題です。それでも、2007年、2008年あたりをピークとして下降していくという見方が多いでしょう。
カプコンを成功モデルとして見据えつつ、スクウェアエニックス、バンダイナムコ、セガ、コナミといった他の大手企業も、共通エンジン構想や、マルチプラットフォームでの開発体制を強化しつつあります。
Wiiの出足は好調で、ソフトメーカー各社も1〜2年は比重を置いてソフトを供給すると思われます。1月に発売された『ドラゴンボールZ』や今年発売予定の『戦国BASARA』のように、PS2とWiiのマルチ対応で、低リスクでソフトを供給できるのも好ましい点です。
しかし今年1年は良くても、来年になればPS2市場は商売にならなくなる可能性が高いです。日本のゲーム会社は、海外とちがって、性能差が大きなハードでのマルチ対応に慣れていませんし、好みませんから、PS3とXBOX360のマルチ対応はしても、Wiiを含めた3機種のマルチ対応はしないでしょう。するとWiiは年内には、単独である程度商売が成り立つ規模の市場を築き上げなければいけません。HDゲーム機ほどスローペースというわけにはいかないでしょう。
ゲーム会社は基本的に即物的で、成功しているハードに乗りたがる性質があるため、好調なWiiに乗っかる会社は増えています。一方で、根強い不安を抱えているのも確かです。
- パーティゲームは売れるが、1人用ゲームは売れないという傾向がある。パーティゲームは1人用ゲームほどたくさんのタイトルを必要としないため、商売の余地が少ないかもしれない。
- 過去のソフトのネット配信は充実しているが、新作ソフトや体験版の配信、アイテム課金の仕組みが無く、オンラインゲームでのビジネスモデルが制限される。
- インターフェイスの変化にともなう新鮮さが薄れたあとは? Wiiは一時的なマーケットなのではないか? DSは『脳トレ』で実用ソフト市場を切り拓いたが。
- プロセッサ性能至上主義は「ムーアの法則」があり、次にどうなるかという予測が立てやすかった。Wiiの路線は長期的な成長戦略や予測が立てにくい。
大きくはそんな所でしょうか。まぁ他にもあるとは思いますが、従来路線ではないだけに、不安感が大きいのは自然なことです。とりあえず身体は現状についていってるが、頭が追いつかない。あるいは心がついてこないという人はまだまだ多いでしょう。
3月5日〜3月11日の週間販売(メディアクリエイト)を見ると、Wiiの週間販売数は4万4000台。年末から好調なセールスが続いていましたが、200万台を目前にして、やはり失速しつつあります。去年、以前のブログで書いたように、200万台の所に1つ壁というか坂があります。
現状、Wiiは『Wiiスポーツ』1本で引っ張っている状態ですからね。春商戦のタイトルで勢いを戻せるか、夏商戦につなげるかが注目です。いつ頃300万台を突破するか。PS3が立て直してくるのは秋以降でしょうから、それまでに突破していると、国内のシェア争いはわかりやすくなるでしょう(大手ソフトメーカーの悩みは増えるかもしれませんが)。
ところで年末にWiiを買った人は、今なにを遊んでいるんでしょうね? という話を最近何人かとしたのですが、なかなか面白い疑問です。少し飽きてきて、今はDSでしょうか。もっともPS3は飽きる以前の問題ですけども。XBOX360は(客層が超狭いかわりに)そこそこソフトが出てる印象ですね。
神様も運命もくそっ食らえ! 世界を巻き込むホームドラマ 『世界平和は一家団欒のあとに』
世界平和は一家団欒のあとに(橋本 和也 )
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第13回電撃小説大賞の金賞受賞作。
父親は異世界の魔王を倒した元勇者、母親は異世界にいた魔法使いにして元お姫様。6人の子供たちはそれぞれ、異能の力を持ち、家族みんなが世界の平和を守るために日夜戦っています。望むと望まざるとにかかわらず、いつのまにか地球の危機に巻き込まれるのです。気がつけば、世界の敵と遭遇して戦い、この世界を救う毎日です。
もしかすると神様がどこかにいて、世界を救う役割を彼ら、星弓家に集中的に割り当てているのかもしれません。星弓家の長男、軋人は今日もまた、とあるトラブルに巻き込まれ、世界の敵と戦う運命に陥るのですが、なかなか姿を見せない相手は、じつは意外な所にいたのでした……。
ヒロインも登場しますが、そちらの絡みはあまり重要ではありません。作品の焦点はあくまで家族。正義の味方一家のきずながメインです。長男の軋人は次男の刻人の様子がおかしいことに気がつき、刻人は四女の美智乃の負担を肩代わりしていて、美智乃は軋人の心を癒そうとします。6人兄妹の誰かが悩んでいれば、他の兄妹がそれとなく助けに回る。お互いの気遣い方が心地よいですね。
宇宙規模の正義の味方が登場する割りに、作品の描く世界はきわめて小規模。世界を揺るがす大危機も、とある一家の抱える悩みに他なりません。「世界平和は一家団欒のあとに」というタイトルどおりの作品です。
大事件を期待して読むには少々物足りないでしょう。『吉永さん家のガーゴイル』のような家族モノが好きな人にオススメします。
amazon bk1第13回電撃小説大賞の金賞受賞作。
父親は異世界の魔王を倒した元勇者、母親は異世界にいた魔法使いにして元お姫様。6人の子供たちはそれぞれ、異能の力を持ち、家族みんなが世界の平和を守るために日夜戦っています。望むと望まざるとにかかわらず、いつのまにか地球の危機に巻き込まれるのです。気がつけば、世界の敵と遭遇して戦い、この世界を救う毎日です。
もしかすると神様がどこかにいて、世界を救う役割を彼ら、星弓家に集中的に割り当てているのかもしれません。星弓家の長男、軋人は今日もまた、とあるトラブルに巻き込まれ、世界の敵と戦う運命に陥るのですが、なかなか姿を見せない相手は、じつは意外な所にいたのでした……。
ヒロインも登場しますが、そちらの絡みはあまり重要ではありません。作品の焦点はあくまで家族。正義の味方一家のきずながメインです。長男の軋人は次男の刻人の様子がおかしいことに気がつき、刻人は四女の美智乃の負担を肩代わりしていて、美智乃は軋人の心を癒そうとします。6人兄妹の誰かが悩んでいれば、他の兄妹がそれとなく助けに回る。お互いの気遣い方が心地よいですね。
宇宙規模の正義の味方が登場する割りに、作品の描く世界はきわめて小規模。世界を揺るがす大危機も、とある一家の抱える悩みに他なりません。「世界平和は一家団欒のあとに」というタイトルどおりの作品です。
大事件を期待して読むには少々物足りないでしょう。『吉永さん家のガーゴイル』のような家族モノが好きな人にオススメします。
「楽しそうね。あんたの家」ボクは家族モノ、擬似家族モノが非常に大好きなんですよね。擬似家族モノというだけで、評価が+1点、+2点しちゃうような感じ。まぁそれはリアルの家族を信じてない反動かもしれませんが。
柚島がさらりと言った。皮肉ではなく、本心から言っているように聞こえた。
「つってもなあ、昨日もいろいろと大変――」
「いろいろ話せたんでしょ?」
言葉の端を取られ、俺は隣を歩く柚島を見る。柚島は頬を緩めて笑っていた。
「……まあな」
「なら良かったじゃない。世界がどうとかいうことなんかよりも、そっちのほうがよっぽど有意義だと思わない?」
「だな」
俺は笑った。全くそのとおりだったからだ。
(ネタバレ回避のため、一部省略)
最近の気になるゲーム(3月19日)
この記事の位置づけについては、第1回や、この記事の末尾に書いている通りです。今回は先週出たソフト2本と今週発売するソフト1本を。
■テレビ番組で紹介された自作ゲームが商品に『くるポト』

金のたまごを発掘する番組「うぇぶたま」で10月13日に放映されたパズルゲーム『くるポト』がDS向けに商品化されました。
自作ゲームの商品化という点では『Every Extend Extra』に続く流れですね。うぇぶたまに参加しているのは、ガンホーゲームズ、ドワンゴなど、ゲーム機向けのソフトメーカーとは異なる若い企業が多いです。旧来型のゲーム企業とは違ってフットワークが軽いですね。
自作ゲームは口コミベースで広がるものですが、決まった客層に限定されているのが実情。新しいフリーゲームを積極的に検索して、面白い作品を掘り出すユーザーはほとんどいません。テレビ放送のようなブロードキャストの媒体と絡んだほうが、認知度を上げるという点では有効かもしれません。
ちなみに「砂」の技術をいかしたゲーム「なめ消し」も10月13日に紹介されていますね。
■無双ファンへのお祭りディスク『無双OROCHI』

『三國無双』と『戦国無双』の武将が激突する番外編がいよいよ今週発売。今まで制作してきたデータもほとんど使いまわせますし、おいしい企画ですね。内容以上にパッケージの時点で勝算が立っている企画。
シリーズを重ねてマンネリ感が出てきたところに、『ガンダム無双』と『無双OROCHI』というハッチャケた設定の作品を投入。どちらも無双ファンなら買いなだけに、同じ月に発売されて大変ですね。
PS2市場が縮小しているとはいえ、PS3の立ち上がりが悪いせいいで、PS2市場にとどまっているユーザーはまだまだいます。去年の年末商戦でも、50万本クラスのヒットは出ていますからね。PS2を支えてきたコアゲーマーは、PS3に移った人もいますが、一時的にPSPに移ったり、PS2に残っていたりと分裂している状態。今年1年はまだPS2向けのタイトルで商売できるでしょう。
■もう少し売れてもいいはず『ソニックと秘密のリング』

思ったより遊べる出来で、昨年末にPS3とXBOX360で出た『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』とは比較になりません。よく出来ています。360度自由に3D空間を走り回れる自由度はあえて切り捨て、リモコン1本の操作にしぼった潔さは絶賛に値します。3D化してからの迷走が痛々しかった『ソニック』が、スピード感重視のシンプルなアクションゲームに原点回帰したというと、大げさでしょうか。
けれども売上は、初週5000本程度と厳しかったですね。まぁ海外ではけっこう売れると思われるので、そちらで回収すればいいのですが。しかしなんでこんなに高いのかなあ……『ソニック』に税込みで7000円を越える値段をつけるセンスは理解に苦しみます。ミニゲームこんなに要らないから、値段下げればいいのに。
1つ残念なのは、ボタンを離した時にジャンプする操作。アクションゲームでは、ボタンを押したときに基本アクションが発動するのが常道で、離したときに基本アクションが発動するのは禁じ手に近いと思うんですけど(ボタンを押している時間によって、ジャンプの飛距離が変わる等はありですよ)。その方がスライディングとジャンプを使い分けられたり、ゲームのルールを複雑化できる利点があるのはわかるんですが、せっかくWiiで操作をシンプルにしたのに、ちょっと邪念が入っちゃったなあ……という感じ。Wiiというハードは、作り手に異常なまでの潔さを求めるプラットフォームのような気もしますね。
そういえば、SCEの『ロコロコ』もボタンを離したときにジャンプで、すこぶる残念。もうその時点で、ある種の大衆性は捨ててしまってるんですよね。SCE以外のもっとブランド力のある会社が仮にDSで出して、大宣伝しても、絶対に100万本には届かない。50万本も厳しい。そういう狭さを背負ってしまうということを認識してたのかなあ……。
(唯一例外なのが攻撃の「溜め」ですけど、あれは本来、押したらすぐに反応しなきゃいけないという大系の中で、あえてストレスを溜めることで、カタルシスを得ようという手法。一般に攻撃の「溜め」の表現がきわめてわかりやすくデザインされるのも、プレイヤーに「ちゃんとあなたの入力に反応してますよ」と強く訴えるためです。関連した補足をコメント欄でしてますのでぜひ一読を)
★ご注意
「気になるゲーム」はボクが気になっているゲームを紹介する記事です。発売済みのソフトも、これから発売予定のソフトも両方あり、プレイしたもの、未プレイのものもあります。
以前からゲームの紹介をしてほしいという要望は聞いていたんですが、結構な本数が出てくるなか、最後まで遊んでレビューするのは現実的に難しいです。
無論、ゲームで飯を食っている人間として、発売されるゲームをチェックしています。しかし必ずしも、自分が好きなゲームや面白い作品をプレイするわけではありません。むしろ失敗作から課題を見つけることもあります。気になっていても時間が取れなくて遊べないソフトもあります。
■テレビ番組で紹介された自作ゲームが商品に『くるポト』

金のたまごを発掘する番組「うぇぶたま」で10月13日に放映されたパズルゲーム『くるポト』がDS向けに商品化されました。
自作ゲームの商品化という点では『Every Extend Extra』に続く流れですね。うぇぶたまに参加しているのは、ガンホーゲームズ、ドワンゴなど、ゲーム機向けのソフトメーカーとは異なる若い企業が多いです。旧来型のゲーム企業とは違ってフットワークが軽いですね。
自作ゲームは口コミベースで広がるものですが、決まった客層に限定されているのが実情。新しいフリーゲームを積極的に検索して、面白い作品を掘り出すユーザーはほとんどいません。テレビ放送のようなブロードキャストの媒体と絡んだほうが、認知度を上げるという点では有効かもしれません。
ちなみに「砂」の技術をいかしたゲーム「なめ消し」も10月13日に紹介されていますね。
■無双ファンへのお祭りディスク『無双OROCHI』

『三國無双』と『戦国無双』の武将が激突する番外編がいよいよ今週発売。今まで制作してきたデータもほとんど使いまわせますし、おいしい企画ですね。内容以上にパッケージの時点で勝算が立っている企画。
シリーズを重ねてマンネリ感が出てきたところに、『ガンダム無双』と『無双OROCHI』というハッチャケた設定の作品を投入。どちらも無双ファンなら買いなだけに、同じ月に発売されて大変ですね。
PS2市場が縮小しているとはいえ、PS3の立ち上がりが悪いせいいで、PS2市場にとどまっているユーザーはまだまだいます。去年の年末商戦でも、50万本クラスのヒットは出ていますからね。PS2を支えてきたコアゲーマーは、PS3に移った人もいますが、一時的にPSPに移ったり、PS2に残っていたりと分裂している状態。今年1年はまだPS2向けのタイトルで商売できるでしょう。
■もう少し売れてもいいはず『ソニックと秘密のリング』

思ったより遊べる出来で、昨年末にPS3とXBOX360で出た『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』とは比較になりません。よく出来ています。360度自由に3D空間を走り回れる自由度はあえて切り捨て、リモコン1本の操作にしぼった潔さは絶賛に値します。3D化してからの迷走が痛々しかった『ソニック』が、スピード感重視のシンプルなアクションゲームに原点回帰したというと、大げさでしょうか。
けれども売上は、初週5000本程度と厳しかったですね。まぁ海外ではけっこう売れると思われるので、そちらで回収すればいいのですが。しかしなんでこんなに高いのかなあ……『ソニック』に税込みで7000円を越える値段をつけるセンスは理解に苦しみます。ミニゲームこんなに要らないから、値段下げればいいのに。
1つ残念なのは、ボタンを離した時にジャンプする操作。アクションゲームでは、ボタンを押したときに基本アクションが発動するのが常道で、離したときに基本アクションが発動するのは禁じ手に近いと思うんですけど(ボタンを押している時間によって、ジャンプの飛距離が変わる等はありですよ)。その方がスライディングとジャンプを使い分けられたり、ゲームのルールを複雑化できる利点があるのはわかるんですが、せっかくWiiで操作をシンプルにしたのに、ちょっと邪念が入っちゃったなあ……という感じ。Wiiというハードは、作り手に異常なまでの潔さを求めるプラットフォームのような気もしますね。
そういえば、SCEの『ロコロコ』もボタンを離したときにジャンプで、すこぶる残念。もうその時点で、ある種の大衆性は捨ててしまってるんですよね。SCE以外のもっとブランド力のある会社が仮にDSで出して、大宣伝しても、絶対に100万本には届かない。50万本も厳しい。そういう狭さを背負ってしまうということを認識してたのかなあ……。
(唯一例外なのが攻撃の「溜め」ですけど、あれは本来、押したらすぐに反応しなきゃいけないという大系の中で、あえてストレスを溜めることで、カタルシスを得ようという手法。一般に攻撃の「溜め」の表現がきわめてわかりやすくデザインされるのも、プレイヤーに「ちゃんとあなたの入力に反応してますよ」と強く訴えるためです。関連した補足をコメント欄でしてますのでぜひ一読を)
★ご注意
「気になるゲーム」はボクが気になっているゲームを紹介する記事です。発売済みのソフトも、これから発売予定のソフトも両方あり、プレイしたもの、未プレイのものもあります。
以前からゲームの紹介をしてほしいという要望は聞いていたんですが、結構な本数が出てくるなか、最後まで遊んでレビューするのは現実的に難しいです。
無論、ゲームで飯を食っている人間として、発売されるゲームをチェックしています。しかし必ずしも、自分が好きなゲームや面白い作品をプレイするわけではありません。むしろ失敗作から課題を見つけることもあります。気になっていても時間が取れなくて遊べないソフトもあります。
GDC2007の裏テーマはユーザー・クリエイティビティー
いやーっ、今年のGDCは日本人講演者が本当に目立ちましたね。日本のメディアも例年以上に多くの記事を掲載していました。日本のゲーム業界が再び勢いを取り戻しつつあることの証左ですし、各企業が欧米で自社アピールを行う重要性を認識してきた結果でしょう。
ユーザーのクリエイティビティーが大きなテーマ
世界各国からゲーム制作者が集まってくるGDCを1つのテーマでくくることは不可能ですが、あえて今年の裏テーマを見つけるなら、ボクは「ユーザー・クリエイティビティーをどう取り込んでいくか」という事だったんじゃないか、と思います。
特にプラットフォームホルダーであるSCEと任天堂の基調講演に、それがよく表れていました。
PS3の「home」構想は、ハビタットを思わせますね。また『Little Big Planet』は、ユーザー同士で作ったステージを共有し、楽しめる野心的な作品です。一方、宮本茂氏の「顔を作る遊び」はディスクシステムの頃からの20年越しのアイデアでした。どちらもかつての夢物語。いよいよ20年前の夢が具現化できる時代になったのです。
1つにはどちらも本体に内蔵されるソフトで、ゲームソフトとして単体で商売する必要が無いこと。また1つにはゲーム機がオンライン接続機能を標準搭載し、常時接続を前提にできるようになったためです。
西川善司の3Dゲームファンのための「XNA Game Studio Express」講座
一方、マイクロソフトはSCEや任天堂のようなアバターは特に提供していませんが、XNA Game Studio Expressのような形で、ユーザーのクリエイティビティーを取り込もうとしています。
“Game God”Raph Koster氏が語るゲームの行方
プラットフォームホルダーの講演者ではありませんが、ラフ・コスター氏の講演もまたクリエイティビティーについてでした。2005年あたりから、日本のゲーム業界ではWeb2.0に注目が集まりました。それは欧米でも同じで、著名なゲーム制作者のラフ・コスター氏も、Web2.0から学べることは多いと熱心に語っています。というのも、日米問わず、少なくないオンラインゲーム関係者がWeb2.0にしてやられたと感じているからです。
奥谷海人のAccess Accepted 第108回 MMORPGの未来「メタバース」
プラットフォームホルダー各社のユーザー・クリエイティビティー戦略
プラットフォームホルダー3社の、ユーザー・クリエイティビティーに対するアプローチはそれぞれ異なっています。SCEはPS3の高度な映像表現力をいかした路線を取っています。現実に近い仮想世界Homeにしても、ユーザーが自分でステージを作れる『Little Big Planet』にしても、HDゲーム機らしいハイクオリティな世界です。
しかし一般に、映像がハイクオリティになればなるほど、ユーザーが作る敷居は高くなり、ユーザーの参加数は減っていく傾向があります。にもかかわらず、クオリティにこだわったのは、PCを意識したからでしょう。手軽さでは普通のWebや、PCに勝てるはずがありませんから、クオリティの高さで差別化を図るという戦略ですね。PCは性能がまちまちですから、PS3の優位点はベースラインの高さにあります。
任天堂のMiiはほとんど誰でも作れる手軽さがあり、リアル路線ではないといっても、3Dモデルであり、ゲームの中でも使用可能なため、オンラインポータルのアバターと比べても、先進的なレベルにあります。クオリティでPCと差別化したSCEとは逆に、PCに習熟していない人でも使えるレベルに仕上げています。
しかし誰もが参加できる反面、ディープに作っていくには表現の幅が狭く、そこから新しい未知のビジネスが勝手に生まれてくるかというと、かなり疑問があります。『Second Life』的な面白さはほとんど無いといっていいでしょう。
マイクロソフトはXBOX360単体でクリエイトさせようとは考えていません。彼らにはWindows(PC)があるからです。クリエイティブな作業をするのに最強の環境はPCです。だからPCで作って、それをXBOX360に持ってくればいいというスタンスを取っています。XBOX360は創作物の享受者(ゲーマー)のための機械だと割り切っているのですね。これは彼らのビジネスを考えれば、じつに妥当な切り分け方だと思います。
プラットフォームホルダー3社の違いを簡単に図示すると、以下のようになります。

この図は率直にいって、ややラフなものです。
例えば、日本ではこの図で問題ありませんし、北米でもある程度は有効ですが、中国などのアジア圏ではゲーム機の普及率が低いため、PCこそが最もお手軽で、参加者の多いアプローチになります。
また、ハイエンドPCならPS3よりも高度な表現が可能だという突っ込みもありそうです。しかしPCは性能差がまちまちで、作った物をみんなで共有するという観点でいえば、ベースラインが高いPS3の方が優れています。
ゲーム機はコミュニティの入口
プラットフォームホルダー各社は、プラットフォーム=サービスという考え方を強めています。実際、この世代のゲーム機はいずれも内臓ストレージを搭載し、本体ソフトウェアの機能も規模も、前世代に比べて、はるかに巨大になっています。
ゲーム機ビジネスは、ロイヤリティを取るかわりに自社のハードで動くソフトの開発、販売を許可する方式です。しかしハードウェアそのものの性能差が相対的に縮まっていて、マルチプラットフォーム開発が増えているのが実情です。そのため、ただの機械としての価値は低下しているのです。
ゲーム機はいわば、サービスの入口としてのメタファーです。XBOX360やPS3やWiiという機械の普及台数はもちろん、重要です。しかしもう1つ大切なのが、XBOX LiveやhomeやMiiといった各社のサービスへの参加率なのです。今世代の競争は、ハードのレイヤーと、ハードを越えたサービスのレイヤーの2つで争われるのです。
ゲーム機ビジネスは不思議なもので、5年ごとに世代交代を迎えて、普及台数シェアがリセットされてしまいます。トップシェアのプラットフォームホルダーが必ず次もトップとは限らないのです。それがPCとの最大の違いです。前世代の機種との互換性は、ある程度の効果をもちますが、決定的な要因にはなりえません。
パッケージソフトその物よりも、ユーザーのセーブデータの方に価値があります。ユーザーのデータがゲーム機の内蔵ストレージに蓄積されていくことで、ゲーム機の価値が高まっていくのです。そして最も価値あるセーブデータは何か? それはユーザーが自分で作り出したコンテンツであり、コミュニケーションの道具や結果としてのコンテンツです。
家庭の中で据置ゲーム機の居場所を確保するには、毎日電源を入れてもらう必要があります。そのためには毎日変化があるのが望ましく、PS3の『まいにちいっしょ』やWiiの『ニュースチャンネル』はそのための良い仕かけです。しかし毎日変化させ続けるのは、それなりにコストがかかります。テレビだってスポンサーからの莫大な広告費があるから回せるわけです。そういえば、マイクロソフトが以前ゲーム広告のベンチャーを買収していましたが、いずれは何らかの形で、ゲーム機を通して広告を提供するようになるんじゃないか、と予想されます。
また、サービスの提供側の負担が少ない形で、毎日の変化が生み出せれば、それに越したことはありません。ユーザーが勝手にコンテンツを作って、それで盛り上がってくれれば、ありがたい話です。サービス提供者のコンテンツと、ユーザーのコンテンツがバッティングせずに、うまくお互いの利益を高められる形でサービスを設計し、コミュニティを運営する。これが今後のゲーム(サービス)に求められるデザイン上の課題です。
補足:ソフトメーカーの戦略の失敗
ついでにソフトメーカーの話にも触れておきます。
日本だけではないのですが、ある時期、大手ソフトメーカーがPC向けのMMORPGやポータルビジネスに傾倒していたのは、ユーザーを囲い込み、自分だけのプラットフォームを手に入れられるからです。前世代ではゲーム機にネットワーク機能が標準搭載されていなかったため、SCEも任天堂もオンラインビジネスにはさほど積極的ではなく、ハードメーカーに対してリードを稼げるチャンスでした。
けれどもゲーム機向けのゲームで食っていた大手企業は、開発リソースをゲーム機向けのタイトルに集中せざるを得ず、ほとんど大した成果を挙げられていません。ハンゲームを擁するNHN Japanや、ガンホーに置いてかれているのが実情です。
またゲーム機にネットワーク機能が標準搭載された今、マイクロソフト、SCE、任天堂といった資本力の強いプラットフォームホルダーが、急速にオンラインサービスを整備し始めています。すでにポータルビジネスを軌道に乗せているならともかく、これから構築しなければならないのに、プラットフォームホルダーと真正面から競争するのはかなり困難です。
したがって大手ソフトメーカーは、自社でポータルサイト=プラットフォームを築くのを諦めつつあります。ナムコがファミスタオンラインをハンゲームに提供し、スクウェアエニックスもアイテム課金のMMORPGを提供するに至りました。5年前、2002年頃には、彼らはハンゲームなんて歯牙にもかけなかったでしょう。
一方、アーケードメーカーは、自分でルールを決めてビジネスできる領域(アーケード)を抱えているので、非アーケードメーカーのスクウェアエニックスやコーエーほど、オンラインゲームに積極的ではありませんでした。またセガもコナミも、アミューズメントで高い利益を稼ぎ出しています。
(『FF11』以外のタイトルが育たず、オンラインゲームで行き詰まり感を見せていたスクウェアエニックスがタイトーを買収して、ロケーションに乗り出したのは面白い動きです。コーエーのゲームレンタルも、まぁ大失敗に終わりましたが、ロケーションビジネスへの野心と見られます)
プラットフォームホルダーがオンラインサービスに大々的に乗り出し、ネット企業がポータルサイトにユーザーを囲い込む中、5年近くの歳月を費やして、結局ただのコンテンツ提供者でしかないソフトメーカー各社は、どういう戦略を取るべきなのか。答え(方向性)は1つです。ボクのブログの常連の読者なら、ある程度察せられるかもしれませんね。しかし具現化の形は、各社の環境によって若干異なってくるでしょう。
個別に議論したい方がいらっしゃれば、「管理者にだけ表示を許可する」をチェックしてコメントしていただいても結構ですし、メールでも構いません。ボクからのリプライが可能という点では、メールがベターでしょう。
世界各国からゲーム制作者が集まってくるGDCを1つのテーマでくくることは不可能ですが、あえて今年の裏テーマを見つけるなら、ボクは「ユーザー・クリエイティビティーをどう取り込んでいくか」という事だったんじゃないか、と思います。
特にプラットフォームホルダーであるSCEと任天堂の基調講演に、それがよく表れていました。
PS3の「home」構想は、ハビタットを思わせますね。また『Little Big Planet』は、ユーザー同士で作ったステージを共有し、楽しめる野心的な作品です。一方、宮本茂氏の「顔を作る遊び」はディスクシステムの頃からの20年越しのアイデアでした。どちらもかつての夢物語。いよいよ20年前の夢が具現化できる時代になったのです。
1つにはどちらも本体に内蔵されるソフトで、ゲームソフトとして単体で商売する必要が無いこと。また1つにはゲーム機がオンライン接続機能を標準搭載し、常時接続を前提にできるようになったためです。
西川善司の3Dゲームファンのための「XNA Game Studio Express」講座
一方、マイクロソフトはSCEや任天堂のようなアバターは特に提供していませんが、XNA Game Studio Expressのような形で、ユーザーのクリエイティビティーを取り込もうとしています。
“Game God”Raph Koster氏が語るゲームの行方
プラットフォームホルダーの講演者ではありませんが、ラフ・コスター氏の講演もまたクリエイティビティーについてでした。2005年あたりから、日本のゲーム業界ではWeb2.0に注目が集まりました。それは欧米でも同じで、著名なゲーム制作者のラフ・コスター氏も、Web2.0から学べることは多いと熱心に語っています。というのも、日米問わず、少なくないオンラインゲーム関係者がWeb2.0にしてやられたと感じているからです。
奥谷海人のAccess Accepted 第108回 MMORPGの未来「メタバース」
かつてネットワークにおけるエンターテインメントの最先端を走っていたMMORPGも,今では世界でアカウント数1億を超えたMySpace.comや,日本で1000万以上のユーザーを持つといわれるmixiなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に,「未来型コンテンツ」のイメージを奪われてしまっている。「メタバース」については、後藤氏がHomeについて書いた記事でも触れられていたため、すでにご存知の方も多いとはず。定義については奥谷氏の記事のほうが詳しいですね。
プラットフォームホルダー3社の、ユーザー・クリエイティビティーに対するアプローチはそれぞれ異なっています。SCEはPS3の高度な映像表現力をいかした路線を取っています。現実に近い仮想世界Homeにしても、ユーザーが自分でステージを作れる『Little Big Planet』にしても、HDゲーム機らしいハイクオリティな世界です。
しかし一般に、映像がハイクオリティになればなるほど、ユーザーが作る敷居は高くなり、ユーザーの参加数は減っていく傾向があります。にもかかわらず、クオリティにこだわったのは、PCを意識したからでしょう。手軽さでは普通のWebや、PCに勝てるはずがありませんから、クオリティの高さで差別化を図るという戦略ですね。PCは性能がまちまちですから、PS3の優位点はベースラインの高さにあります。
任天堂のMiiはほとんど誰でも作れる手軽さがあり、リアル路線ではないといっても、3Dモデルであり、ゲームの中でも使用可能なため、オンラインポータルのアバターと比べても、先進的なレベルにあります。クオリティでPCと差別化したSCEとは逆に、PCに習熟していない人でも使えるレベルに仕上げています。
しかし誰もが参加できる反面、ディープに作っていくには表現の幅が狭く、そこから新しい未知のビジネスが勝手に生まれてくるかというと、かなり疑問があります。『Second Life』的な面白さはほとんど無いといっていいでしょう。
マイクロソフトはXBOX360単体でクリエイトさせようとは考えていません。彼らにはWindows(PC)があるからです。クリエイティブな作業をするのに最強の環境はPCです。だからPCで作って、それをXBOX360に持ってくればいいというスタンスを取っています。XBOX360は創作物の享受者(ゲーマー)のための機械だと割り切っているのですね。これは彼らのビジネスを考えれば、じつに妥当な切り分け方だと思います。
プラットフォームホルダー3社の違いを簡単に図示すると、以下のようになります。

この図は率直にいって、ややラフなものです。
例えば、日本ではこの図で問題ありませんし、北米でもある程度は有効ですが、中国などのアジア圏ではゲーム機の普及率が低いため、PCこそが最もお手軽で、参加者の多いアプローチになります。
また、ハイエンドPCならPS3よりも高度な表現が可能だという突っ込みもありそうです。しかしPCは性能差がまちまちで、作った物をみんなで共有するという観点でいえば、ベースラインが高いPS3の方が優れています。
プラットフォームホルダー各社は、プラットフォーム=サービスという考え方を強めています。実際、この世代のゲーム機はいずれも内臓ストレージを搭載し、本体ソフトウェアの機能も規模も、前世代に比べて、はるかに巨大になっています。
ゲーム機ビジネスは、ロイヤリティを取るかわりに自社のハードで動くソフトの開発、販売を許可する方式です。しかしハードウェアそのものの性能差が相対的に縮まっていて、マルチプラットフォーム開発が増えているのが実情です。そのため、ただの機械としての価値は低下しているのです。
ゲーム機はいわば、サービスの入口としてのメタファーです。XBOX360やPS3やWiiという機械の普及台数はもちろん、重要です。しかしもう1つ大切なのが、XBOX LiveやhomeやMiiといった各社のサービスへの参加率なのです。今世代の競争は、ハードのレイヤーと、ハードを越えたサービスのレイヤーの2つで争われるのです。
ゲーム機ビジネスは不思議なもので、5年ごとに世代交代を迎えて、普及台数シェアがリセットされてしまいます。トップシェアのプラットフォームホルダーが必ず次もトップとは限らないのです。それがPCとの最大の違いです。前世代の機種との互換性は、ある程度の効果をもちますが、決定的な要因にはなりえません。
パッケージソフトその物よりも、ユーザーのセーブデータの方に価値があります。ユーザーのデータがゲーム機の内蔵ストレージに蓄積されていくことで、ゲーム機の価値が高まっていくのです。そして最も価値あるセーブデータは何か? それはユーザーが自分で作り出したコンテンツであり、コミュニケーションの道具や結果としてのコンテンツです。
家庭の中で据置ゲーム機の居場所を確保するには、毎日電源を入れてもらう必要があります。そのためには毎日変化があるのが望ましく、PS3の『まいにちいっしょ』やWiiの『ニュースチャンネル』はそのための良い仕かけです。しかし毎日変化させ続けるのは、それなりにコストがかかります。テレビだってスポンサーからの莫大な広告費があるから回せるわけです。そういえば、マイクロソフトが以前ゲーム広告のベンチャーを買収していましたが、いずれは何らかの形で、ゲーム機を通して広告を提供するようになるんじゃないか、と予想されます。
また、サービスの提供側の負担が少ない形で、毎日の変化が生み出せれば、それに越したことはありません。ユーザーが勝手にコンテンツを作って、それで盛り上がってくれれば、ありがたい話です。サービス提供者のコンテンツと、ユーザーのコンテンツがバッティングせずに、うまくお互いの利益を高められる形でサービスを設計し、コミュニティを運営する。これが今後のゲーム(サービス)に求められるデザイン上の課題です。
ついでにソフトメーカーの話にも触れておきます。
日本だけではないのですが、ある時期、大手ソフトメーカーがPC向けのMMORPGやポータルビジネスに傾倒していたのは、ユーザーを囲い込み、自分だけのプラットフォームを手に入れられるからです。前世代ではゲーム機にネットワーク機能が標準搭載されていなかったため、SCEも任天堂もオンラインビジネスにはさほど積極的ではなく、ハードメーカーに対してリードを稼げるチャンスでした。
けれどもゲーム機向けのゲームで食っていた大手企業は、開発リソースをゲーム機向けのタイトルに集中せざるを得ず、ほとんど大した成果を挙げられていません。ハンゲームを擁するNHN Japanや、ガンホーに置いてかれているのが実情です。
またゲーム機にネットワーク機能が標準搭載された今、マイクロソフト、SCE、任天堂といった資本力の強いプラットフォームホルダーが、急速にオンラインサービスを整備し始めています。すでにポータルビジネスを軌道に乗せているならともかく、これから構築しなければならないのに、プラットフォームホルダーと真正面から競争するのはかなり困難です。
したがって大手ソフトメーカーは、自社でポータルサイト=プラットフォームを築くのを諦めつつあります。ナムコがファミスタオンラインをハンゲームに提供し、スクウェアエニックスもアイテム課金のMMORPGを提供するに至りました。5年前、2002年頃には、彼らはハンゲームなんて歯牙にもかけなかったでしょう。
一方、アーケードメーカーは、自分でルールを決めてビジネスできる領域(アーケード)を抱えているので、非アーケードメーカーのスクウェアエニックスやコーエーほど、オンラインゲームに積極的ではありませんでした。またセガもコナミも、アミューズメントで高い利益を稼ぎ出しています。
(『FF11』以外のタイトルが育たず、オンラインゲームで行き詰まり感を見せていたスクウェアエニックスがタイトーを買収して、ロケーションに乗り出したのは面白い動きです。コーエーのゲームレンタルも、まぁ大失敗に終わりましたが、ロケーションビジネスへの野心と見られます)
プラットフォームホルダーがオンラインサービスに大々的に乗り出し、ネット企業がポータルサイトにユーザーを囲い込む中、5年近くの歳月を費やして、結局ただのコンテンツ提供者でしかないソフトメーカー各社は、どういう戦略を取るべきなのか。答え(方向性)は1つです。ボクのブログの常連の読者なら、ある程度察せられるかもしれませんね。しかし具現化の形は、各社の環境によって若干異なってくるでしょう。
個別に議論したい方がいらっしゃれば、「管理者にだけ表示を許可する」をチェックしてコメントしていただいても結構ですし、メールでも構いません。ボクからのリプライが可能という点では、メールがベターでしょう。
もう1つの薔薇のマリアがここに 『薔薇のマリアVer1 つぼみのコロナ』
薔薇のマリアVer1 つぼみのコロナ(十文字 青)
amazon bk1
『薔薇のマリア』の脇役、落ちこぼれ魔術士のコロナと剣士のレニィを主人公にした外伝小説。2人が出会って、エルデンで一緒に暮らし始め、パーティを組んで共に地下迷宮を探索するようになるまでを描いています。
ドジでおバカで他人の足をひっぱってばかりのコロナに、こんなバックグラウンドがあったとは……。この2人の運命と物語は、マリアローズやZOOに比べれば、地味なものです。彼らのパーティだって、はっきりいってショボい。スーパースター的な能力をもった人間など1人もいない。けれども彼らの物語も、本質の部分ではマリアローズたち主人公の運命と通底するものがあります。
ライトノベルの読者は元々、中高生でした。年齢的にいえば、未熟で当然、それぞれバラバラの可能性を押し付けられ、期待され、にもかかわらず導いてもらえるわけでもない。「つぼみ」の人間がどう生きるか、というのは、まさしく中高生にとってのリアルな、共感できる物語です。
しかし、それはもっと大人の読者、すでに「つぼみ」とは言えない人間にとっても、無関係ではありません。なぜならボクらは不安な状態が当たり前の社会に、時代に生きているからです。
amazon bk1『薔薇のマリア』の脇役、落ちこぼれ魔術士のコロナと剣士のレニィを主人公にした外伝小説。2人が出会って、エルデンで一緒に暮らし始め、パーティを組んで共に地下迷宮を探索するようになるまでを描いています。
ドジでおバカで他人の足をひっぱってばかりのコロナに、こんなバックグラウンドがあったとは……。この2人の運命と物語は、マリアローズやZOOに比べれば、地味なものです。彼らのパーティだって、はっきりいってショボい。スーパースター的な能力をもった人間など1人もいない。けれども彼らの物語も、本質の部分ではマリアローズたち主人公の運命と通底するものがあります。
「信じることだ、レニィ。前を向いて戦うかぎり、勝利を疑ってはいけないよ。疑いが首をもたげたら、そのときは生き抜くために逃げるか、大切なひとを守って死ねばいい」コロナもレニィも、未熟で、若くて、力が無くて、足りないことばかり。まだ咲いてない「つぼみ」です。これから花を咲かせるのか、咲かないままなのか。それは他人にも、彼ら自身にも、誰にもわかりません。そう、わかるという人がもしいるなら、とんでもない嘘つきか詐欺師です。わからないなりに、生きていくしかありません。
「ずいぶん簡単なんだな」
「難しいと思うのは、たぶん、自分で難しくしているからだよ」
「……かもしれねえ」
「愛して、憎んで、生きて、死ぬ。それが人生のすべてだ」
ライトノベルの読者は元々、中高生でした。年齢的にいえば、未熟で当然、それぞれバラバラの可能性を押し付けられ、期待され、にもかかわらず導いてもらえるわけでもない。「つぼみ」の人間がどう生きるか、というのは、まさしく中高生にとってのリアルな、共感できる物語です。
しかし、それはもっと大人の読者、すでに「つぼみ」とは言えない人間にとっても、無関係ではありません。なぜならボクらは不安な状態が当たり前の社会に、時代に生きているからです。
2年前の記事を掘り起こす。クリエイティビティーマネージメントとは何か?
今日掲載するのは、以前のブログで書き上げたものの、掲載する時期を逃して、ずっと死蔵していた記事です。2005年の12月頃に書いたものだという前提で、お読みください。リンクしている記事がやたら古いのも、そのせいです。
ではどうしてこの記事をこのタイミングで掘り起こしたかというと、クリエイティビティーが今年の大きなテーマになりつつあるからです。去年の秋からうぇぶたまという面白い番組が始まっていて、実際に『くるポト』が今日発売されました。またガンホーゲームズに『モアイの巣』が公開されています。さらに今年のGDCでは、ユーザーのクリエイティビティーをどうやって取り込んでいくかについて、話題になりました。いよいよ、機は熟しつつある、といえます。
* * *
注目を集めるグーグルのクリエイティビティー・マネージメント
最近、グーグルの組織運営のあり方に注目が集まってますね。
人数が増えても、大企業病に陥らず、開発速度が速く、イノベーション性の高いサービスをリリースし続けているクリエイティビティーの高さ。注目されるのは当然といえます。
以前、「かめはめ波」から「元気玉」の時代へに書いたことですが、要はクリエイティビティーを集積する装置として、会社という枠組みが説得力を持たなくなってきたのです。
変わる「仕事」のあり方
クリエイティビティーに留まらず、「仕事」という点でいえば、企業は全体として、正社員の人数を抑制して、契約社員やパートの比率を増やす傾向にあります(2007年問題などがあり、今は若干の揺り戻しの動きが一部の企業に見られますが、正社員抑制の長期的な傾向は変わらないでしょう)。
また、「Amazon Mechanical Turk」のように従来の「仕事のあり方」「働き方」を変えてしまうイノベーションも生まれつつあります。
「仕事」を非常に細かく解体して、個人にばら撒くなんてできるのか?と思うかもしれませんし、実際できない種類の仕事も多いとは思いますが、すでに「アフィリエイト」は普及しているわけです。あれは代理店がやっていた「広告の仕事」を個人にばら撒いて、個人が「広告」でお金を手に入れる仕組みでした。 じゃあ広告以外のこともやれるんじゃいの? と考えるのはそれ程不自然な考えではないでしょう。どこまで「仕事」をばら撒けるかはわからないが、やれるだけやってみようじゃないか、という挑戦精神はさすがです。
中国やインドヘの「仕事」の流出も進んでいますから、企業側が以前と同じようなコスト構造で「仕事」を維持するのが難しくなってきているのも確かです(もっとも米国と違い、家電を始めとする日本のハードメーカーは、技術の流出を防いだり、市場変化のスピードに迅速に追随するため、アジアでの生産を限定して、日本での生産を強化する方向に動いています。ただし効率化を前提としているので、単純に人員枠の増大を意味しません)。
こうした時代の変化は、今年になって始まったものではなく、何年間もかけて、ゆっくり進んできたことです。 しかし、にもかかわらず、時代の変化に対応できている、すなわちクリエイティビティーマネージメントができている企業がどれだけあるでしょうか。もちろん、グーグルのやっていることをそのまま取り入れられる訳ではないでしょう。経営規模、業種、企業余力、色々なものが違います。しかしそのエッセンスから、各々の企業に合ったクリエイティビティー戦略を導き出すことは可能でしょう。
誤解されそうですが、クリエイティビティーのマネージメントはモチベーションのマネージメントとは違います。モチベーションの維持だけでは、クリエイティビティーは維持できないからです。熱烈で盲目的な作業者集団になってしまう危険性もあります。例えば、ゲーム産業は総じてモチベーションが高いわけですが、だからといって革新的なゲームが次々生まれているわけではありません。
2種類のクリエイティビティー・マネージメント
クリエイティビティー・マネージメントには、1)会社内部のクリエイティビティーを高く維持することと、2)会社外のクリエイティビティー、特にWeb上のクリエイティビティーを集めること、の2種類があります。
会社という枠組みが説得力を持たなくなってきたため、会社内のクリエイティビティーを維持する努力をより計画的に、より意識的に、より経営的に実行しなければなりません。しかし同時に、競争を考えると、社内だけでなく、Web上のクリエイティビティーを利用する必要もあります。この2つのオペレーションは、さじ加減、舵取りを間違えると、簡単に矛盾してしまいます。クリエイティビティーマネージメントの難しいところです。
また1)と2)の比率は、それぞれの企業がどのような将来像、ビジョンを持つかによって、変わってきます。内部のクリエイティビティーを極めて高く保つ道を選ぶ企業もあれば、外部のクリエイティビティーを積極的に利用する企業もあるでしょう。
たとえば、「ゲームの種」「ゲームの原作」は外から持ってきて、内部では「商品化」に特化する企業も出てくるでしょう。小説、漫画、アニメ、映画を原作とする以外に、ゲームそのものを原作とするケースですね。これは、今までも、移植やリメイクという形で存在しました。
社内のクリエイティビティー・マネージメントのポイント
グーグルの経営から学べるポイントを何点か挙げておきます。
●フィードバック
フィードバックこそ、クリエイティビティーの最良の燃料。
ただし適切な(バランスの取れた)フィードバックを得るのは案外難しい。
あらゆる試作品を市場に出すことは不可能(大前提)。
その上でどうやって、より上流で、より下流からのフイードバックを得るか。
●フェアであること
完全な平等はありえないが、最低限の平等は必要。
「誰にでも」最低限のチャンスは与える。
そうしない限り、「考える人」と「考えない人」が自然と生まれてしまう。
考えない人のモチベーションを維持する方が実は楽。
しかし組織としてのクリエイティビティーは低下する。
●集中すること
自由に感じる時間もあれば、不自由に感じる時間もある。
それぞれを効率よく片づける。
●1人より2〜3人がより良い
せめて2〜3人いれば、多くのことができる。
少なくとも行き詰まった時に飲みに行く相手には困らない。
●ペーパーは捨てさせ、実行を伴わせること
「誰かがやれば」面白い、「こんな物があったら」ヒットする、という類の
あらゆる提案は却下する。
「俺がやれば」「俺が作れば」という姿勢のみを評価し、実行させる。
●アウトプットさせること
インプットした量ではなく、アウトプット量で、その人の価値が決まる。
脳みそにどれだけインプットしても死んだ後には何も残らない。
しかしアウトプットしたものは地球上に残り続ける。
研究のテーマ内容で判断せず、アウトプットで判断する。
ゲームの種としてのフリーゲーム、同人ゲーム
1.ホビーとしてのフリーゲーム(同人ゲーム)
制作自体を楽しむ。
ゲームのオリジナリティーは重視されない。
世の多くの(90%以上の)フリーゲームが似通っているのは事実。
しかしそれが悪いわけではない。制作は楽しいし、プレイヤーも
面白ければそれでいい。
2.愛としての同人ゲーム
ある意味、最も同人らしい。
1次創作への愛の発露。
楽しめればそれでいいのかもしれない。
3.技術としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
ゲーム自体はすでにあるが、完成度が高い物を作る。
やはりオリジナリティーは重視されない。
時として、「職人性の高さ」を飯の種にしている人もいる。
カジュアルゲームにも、実際には、こういう方向性のソフトが多い。
4.「ゲームの種」としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
非常にレア。しかしゼロではない。
今後もっとも期待したい領域。
商品ゲームを個人が作り上げるのは難しいが、「種」なら作れる、というのは一種の希望。
3分ゲー(Every Extend Extra)、土日でつくるスレ。
5.「完成ゲーム」としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
ある意味、理想。
ノベルゲームのような技術的に枯れたジャンル、エンジンの存在
するジャンルでは現実的。
日本の携帯電話ゲーム、海外のカジュアルゲームなど、市場は
無いことも無い。
XBOX Live Arcadeなんかが良い例ですが、いよいよゲーム機でもダウンロード販売の道が拓けつつあるので、少し状況が良くなるかな?という期待感はありますね。今までは同人市場(萌え&エロマーケット)を除けば、「草の根」の上のステージが事実上なくて、誰かの気まぐれというか、奇跡的な確率で商品化されるしかなかったわけです。上層に市場ができる可能性は期待したい。
ただ、XBOX Live Arcadeもそうですが、やっぱり個人(作り手)と個人(お客さん)を直接つなぐのはゲーム機では無理でしょうね。ゲーム機は「安心感」を売りにしている世界ですから、最低限のデバッグやサポートを含めて、世の中に送り出すコストが流通以外にも存在します。ある程度、責任と保証のできる存在が必要になります。個人と個人をつなぐのは、PCとiアプリでやればいい世界かな、と思います。そこは層が分かれるでしょうね。ただ、今まではゲーム会社が拾っても、世に送り出す場所がほとんどなかったので、それが生まれるだけでずいぶん違うでしょう。
まぁ一方で、ちょっと夢の無い話をすると、フリーゲームというのはコアゲーマーがコアゲーマーのために作っているような部分があって、商品にする上で必要なオリジナリティーをもったゲームは希少の極みです。特に最近は完成度と引き換えに、オリジナリティーが下がっている印象もあります。この辺は欧米のゲーム産業と一緒で、ファミコン世代が作る側に回った結果、作る側の最低限の質というかリテラシーが底上げされた反面、何が出てくるかわからない混沌性は減ったな、と感じています。
補足: アジャイル・カンパニー
旧来の「会社」という枠組みの説得力が低下しているため、21世紀には新しい枠組みが必要になってきている、という問題意識を感じている人は少なくないと思います。例えば、多くの人がはてなに注目しているのはそのせいでしょう。
(シブヤ2.0。渋谷といえば、ケータイ小説『DEEP LOVE』が生まれたのも渋谷でしたね。PC系文化とケータイ系文化の接点になったりするんでしょうかね)
ではどうしてこの記事をこのタイミングで掘り起こしたかというと、クリエイティビティーが今年の大きなテーマになりつつあるからです。去年の秋からうぇぶたまという面白い番組が始まっていて、実際に『くるポト』が今日発売されました。またガンホーゲームズに『モアイの巣』が公開されています。さらに今年のGDCでは、ユーザーのクリエイティビティーをどうやって取り込んでいくかについて、話題になりました。いよいよ、機は熟しつつある、といえます。
最近、グーグルの組織運営のあり方に注目が集まってますね。
人数が増えても、大企業病に陥らず、開発速度が速く、イノベーション性の高いサービスをリリースし続けているクリエイティビティーの高さ。注目されるのは当然といえます。
- Googleのラリー・ページのミシガン大学卒業式でのスピーチ
- 「情報の爆発は止まらない」--“20%ルール"で進化するグーグル
- グーグル社員が明かすグーグラーの仕事の仕方
- 「日本版Googleを目指す」はてな近藤氏、Web広告研究会トークセッション
- Life is beautiful 「Web2.0時代らしいエンジニアのクリエイティビティの引き出し方」
以前、「かめはめ波」から「元気玉」の時代へに書いたことですが、要はクリエイティビティーを集積する装置として、会社という枠組みが説得力を持たなくなってきたのです。
クリエイティブの世界でも、「副業」「副収入」化現象は進んでいて、元々商業の世界にいた人が会社が潰れたのをきっかけにして、ふつうの会社に入って安定した収入を得ながら、空いた時間で同人活動するというケースが増えています。総制作時間はどうしても減ってしまうでしょうけど、不安定な会社にいて理不尽な指令で健康を崩しながら、自分が作りたいと思ってないソフトを下請けで作るよりも、よっぽどいいんじゃないか。……という考え方が可能になっています。
それはつまり、クリエイティビティーを集積する仕組みとして、「会社」というものが説得力をもたなくなってきた、ということなのですが、長くなるのでまた今度書こうかな、と思います。ただ、「会社を通さなければ、世の中に作品を流せない」という時代には、働く人間のクリエイティビティーは半ば自動的に集積できていたわけですが、その大前提が崩れてしまうと、会社経営においても、「社員のクリエイティビティーを結集しつづけるにはどうしたらいいのか?」をつねに意識しなければならないのでしょうね。
クリエイティビティーに留まらず、「仕事」という点でいえば、企業は全体として、正社員の人数を抑制して、契約社員やパートの比率を増やす傾向にあります(2007年問題などがあり、今は若干の揺り戻しの動きが一部の企業に見られますが、正社員抑制の長期的な傾向は変わらないでしょう)。
また、「Amazon Mechanical Turk」のように従来の「仕事のあり方」「働き方」を変えてしまうイノベーションも生まれつつあります。
「仕事」を非常に細かく解体して、個人にばら撒くなんてできるのか?と思うかもしれませんし、実際できない種類の仕事も多いとは思いますが、すでに「アフィリエイト」は普及しているわけです。あれは代理店がやっていた「広告の仕事」を個人にばら撒いて、個人が「広告」でお金を手に入れる仕組みでした。 じゃあ広告以外のこともやれるんじゃいの? と考えるのはそれ程不自然な考えではないでしょう。どこまで「仕事」をばら撒けるかはわからないが、やれるだけやってみようじゃないか、という挑戦精神はさすがです。
中国やインドヘの「仕事」の流出も進んでいますから、企業側が以前と同じようなコスト構造で「仕事」を維持するのが難しくなってきているのも確かです(もっとも米国と違い、家電を始めとする日本のハードメーカーは、技術の流出を防いだり、市場変化のスピードに迅速に追随するため、アジアでの生産を限定して、日本での生産を強化する方向に動いています。ただし効率化を前提としているので、単純に人員枠の増大を意味しません)。
こうした時代の変化は、今年になって始まったものではなく、何年間もかけて、ゆっくり進んできたことです。 しかし、にもかかわらず、時代の変化に対応できている、すなわちクリエイティビティーマネージメントができている企業がどれだけあるでしょうか。もちろん、グーグルのやっていることをそのまま取り入れられる訳ではないでしょう。経営規模、業種、企業余力、色々なものが違います。しかしそのエッセンスから、各々の企業に合ったクリエイティビティー戦略を導き出すことは可能でしょう。
誤解されそうですが、クリエイティビティーのマネージメントはモチベーションのマネージメントとは違います。モチベーションの維持だけでは、クリエイティビティーは維持できないからです。熱烈で盲目的な作業者集団になってしまう危険性もあります。例えば、ゲーム産業は総じてモチベーションが高いわけですが、だからといって革新的なゲームが次々生まれているわけではありません。
クリエイティビティー・マネージメントには、1)会社内部のクリエイティビティーを高く維持することと、2)会社外のクリエイティビティー、特にWeb上のクリエイティビティーを集めること、の2種類があります。
会社という枠組みが説得力を持たなくなってきたため、会社内のクリエイティビティーを維持する努力をより計画的に、より意識的に、より経営的に実行しなければなりません。しかし同時に、競争を考えると、社内だけでなく、Web上のクリエイティビティーを利用する必要もあります。この2つのオペレーションは、さじ加減、舵取りを間違えると、簡単に矛盾してしまいます。クリエイティビティーマネージメントの難しいところです。
また1)と2)の比率は、それぞれの企業がどのような将来像、ビジョンを持つかによって、変わってきます。内部のクリエイティビティーを極めて高く保つ道を選ぶ企業もあれば、外部のクリエイティビティーを積極的に利用する企業もあるでしょう。
たとえば、「ゲームの種」「ゲームの原作」は外から持ってきて、内部では「商品化」に特化する企業も出てくるでしょう。小説、漫画、アニメ、映画を原作とする以外に、ゲームそのものを原作とするケースですね。これは、今までも、移植やリメイクという形で存在しました。
グーグルの経営から学べるポイントを何点か挙げておきます。
●フィードバック
フィードバックこそ、クリエイティビティーの最良の燃料。
ただし適切な(バランスの取れた)フィードバックを得るのは案外難しい。
あらゆる試作品を市場に出すことは不可能(大前提)。
その上でどうやって、より上流で、より下流からのフイードバックを得るか。
●フェアであること
完全な平等はありえないが、最低限の平等は必要。
「誰にでも」最低限のチャンスは与える。
そうしない限り、「考える人」と「考えない人」が自然と生まれてしまう。
考えない人のモチベーションを維持する方が実は楽。
しかし組織としてのクリエイティビティーは低下する。
●集中すること
自由に感じる時間もあれば、不自由に感じる時間もある。
それぞれを効率よく片づける。
●1人より2〜3人がより良い
せめて2〜3人いれば、多くのことができる。
少なくとも行き詰まった時に飲みに行く相手には困らない。
●ペーパーは捨てさせ、実行を伴わせること
「誰かがやれば」面白い、「こんな物があったら」ヒットする、という類の
あらゆる提案は却下する。
「俺がやれば」「俺が作れば」という姿勢のみを評価し、実行させる。
●アウトプットさせること
インプットした量ではなく、アウトプット量で、その人の価値が決まる。
脳みそにどれだけインプットしても死んだ後には何も残らない。
しかしアウトプットしたものは地球上に残り続ける。
研究のテーマ内容で判断せず、アウトプットで判断する。
1.ホビーとしてのフリーゲーム(同人ゲーム)
制作自体を楽しむ。
ゲームのオリジナリティーは重視されない。
世の多くの(90%以上の)フリーゲームが似通っているのは事実。
しかしそれが悪いわけではない。制作は楽しいし、プレイヤーも
面白ければそれでいい。
2.愛としての同人ゲーム
ある意味、最も同人らしい。
1次創作への愛の発露。
楽しめればそれでいいのかもしれない。
3.技術としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
ゲーム自体はすでにあるが、完成度が高い物を作る。
やはりオリジナリティーは重視されない。
時として、「職人性の高さ」を飯の種にしている人もいる。
カジュアルゲームにも、実際には、こういう方向性のソフトが多い。
4.「ゲームの種」としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
非常にレア。しかしゼロではない。
今後もっとも期待したい領域。
商品ゲームを個人が作り上げるのは難しいが、「種」なら作れる、というのは一種の希望。
3分ゲー(Every Extend Extra)、土日でつくるスレ。
5.「完成ゲーム」としてのフリーゲーム(同人ゲーム)
ある意味、理想。
ノベルゲームのような技術的に枯れたジャンル、エンジンの存在
するジャンルでは現実的。
日本の携帯電話ゲーム、海外のカジュアルゲームなど、市場は
無いことも無い。
XBOX Live Arcadeなんかが良い例ですが、いよいよゲーム機でもダウンロード販売の道が拓けつつあるので、少し状況が良くなるかな?という期待感はありますね。今までは同人市場(萌え&エロマーケット)を除けば、「草の根」の上のステージが事実上なくて、誰かの気まぐれというか、奇跡的な確率で商品化されるしかなかったわけです。上層に市場ができる可能性は期待したい。
ただ、XBOX Live Arcadeもそうですが、やっぱり個人(作り手)と個人(お客さん)を直接つなぐのはゲーム機では無理でしょうね。ゲーム機は「安心感」を売りにしている世界ですから、最低限のデバッグやサポートを含めて、世の中に送り出すコストが流通以外にも存在します。ある程度、責任と保証のできる存在が必要になります。個人と個人をつなぐのは、PCとiアプリでやればいい世界かな、と思います。そこは層が分かれるでしょうね。ただ、今まではゲーム会社が拾っても、世に送り出す場所がほとんどなかったので、それが生まれるだけでずいぶん違うでしょう。
まぁ一方で、ちょっと夢の無い話をすると、フリーゲームというのはコアゲーマーがコアゲーマーのために作っているような部分があって、商品にする上で必要なオリジナリティーをもったゲームは希少の極みです。特に最近は完成度と引き換えに、オリジナリティーが下がっている印象もあります。この辺は欧米のゲーム産業と一緒で、ファミコン世代が作る側に回った結果、作る側の最低限の質というかリテラシーが底上げされた反面、何が出てくるかわからない混沌性は減ったな、と感じています。
旧来の「会社」という枠組みの説得力が低下しているため、21世紀には新しい枠組みが必要になってきている、という問題意識を感じている人は少なくないと思います。例えば、多くの人がはてなに注目しているのはそのせいでしょう。
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(シブヤ2.0。渋谷といえば、ケータイ小説『DEEP LOVE』が生まれたのも渋谷でしたね。PC系文化とケータイ系文化の接点になったりするんでしょうかね)
真摯な対話を核にした恋愛物語 『レインツリーの国』
レインツリーの国(有川 浩)
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その文章に熱く共感した伸行は、サイトの管理人である女性へのメールを一気に書き上げて送りました。次の日、さっそく彼女からの返事が届いていて――二人のメールのやり取りが始まるのです。そんな所から、この二人の恋は始まります。
ネット上の文通で親しくなるうちに、伸行はひとみと直接会いたいと思うようになりますが、彼女はなかなか会おうとしてくれません。会うのを拒むのには理由があったのです。実は、彼女はある障害を抱えていたのです。
この小説の中盤以降は、その障害をめぐっての伸行と彼女の対話がメインになります。二人のやり取りはどこまでも真摯で、時にお互いの心を抉りだし、血を流し合うような応酬になることもあります。表層的な対話にとどまらず、深く踏み入っていく二人の議論には、凄みがあります。
それでも二人はコミュニケーションをやめようとはしません。すれ違い、傷つけあったとしても、自分の非は謝罪して、でも相手の非も指摘して、前に進むのです。そして、徐々に彼と彼女は、心を縛っていたものから自由になっていきます。
今時こんな二人珍しいよ、とも思うのですが、この真面目な二人を見ていると応援したくなります。それは恋愛小説として、とても大切な要素だと思います。
amazon bk1なぁんだ、とミサコはつまらなさそうに呟いた。若手サラリーマンの向坂伸行はふと、昔読んだ小説のことを思い出し、他人の感想を求めてネットを検索。やがて1つのサイトにたどり着きます。「レインツリーの国」という名のそのサイトには、穏やかながら熱い、作品への真摯な思いが伝わってくる感想が書かれていました。
「結局そのめんどくさい彼女のこと好きなんじゃない」
その文章に熱く共感した伸行は、サイトの管理人である女性へのメールを一気に書き上げて送りました。次の日、さっそく彼女からの返事が届いていて――二人のメールのやり取りが始まるのです。そんな所から、この二人の恋は始まります。
ネット上の文通で親しくなるうちに、伸行はひとみと直接会いたいと思うようになりますが、彼女はなかなか会おうとしてくれません。会うのを拒むのには理由があったのです。実は、彼女はある障害を抱えていたのです。
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それでも二人はコミュニケーションをやめようとはしません。すれ違い、傷つけあったとしても、自分の非は謝罪して、でも相手の非も指摘して、前に進むのです。そして、徐々に彼と彼女は、心を縛っていたものから自由になっていきます。
今時こんな二人珍しいよ、とも思うのですが、この真面目な二人を見ていると応援したくなります。それは恋愛小説として、とても大切な要素だと思います。
ゲーム小説が読みたいあなたに話題の逃避作を 『扉の外』
扉の外(土橋 真二郎)
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中学生や高校生が閉鎖環境に閉じ込められて、あるルールの下で競争させられる。そういうシチュエーションノベルはいくつもありますが、この作品の特徴はお互いの暴力行使は禁じられていて、戦いはコンピュータ上のシミュレーションゲームで行う点です。ミステリアスな舞台設定、ゲームの絶妙なルール、各リーダーの閉鎖環境でのヘゲモニーの取り方など、各要素がしっかり考えられていて、ゲーム小説として秀逸な出来です。
このジャンルが好きな人は、読み逃しのないように。ただし、『バトルロワイアル』のようにルール(および運営者や審判)と対峙する方向には進まないため、その種のカタルシスは得られません。主人公は熱血度は限りなくゼロに近く、むしろ逃避癖が強い少年です。集団の輪の中になじめず、溶け込めず、家族から、クラスから、逃げたがるのです。
クラスの面子といっしょに閉鎖環境に閉じ込められてもなお、彼は逃避しようとするのです。筋金入り。あるヒロインは彼のことを痛烈に批判します。
この小説を貫く感性は、何か強大なものへの反骨精神だとか、誰かを守るための燃える心ではなく、徹底的な逃避精神です。社会や他人と相容れない、扉の外へと出て行きたがる、その方が落ち着く心。
小説の登場人物に感情移入する読み方では、この本はあまり楽しめないでしょう。この世界の謎はかなり投げっぱなしで終わっているので、そこも人を選ぶところです。しかし、少し引いた視点から読む人には、良くできたシチュエーションノベルとしてオススメできます。
この小説を巡って、ネット上の評価は賛否分かれたようです。まさしく問題作ならぬ逃避作。最後にこの小説の精神をよく表している部分を引用します。
amazon bk1中学生や高校生が閉鎖環境に閉じ込められて、あるルールの下で競争させられる。そういうシチュエーションノベルはいくつもありますが、この作品の特徴はお互いの暴力行使は禁じられていて、戦いはコンピュータ上のシミュレーションゲームで行う点です。ミステリアスな舞台設定、ゲームの絶妙なルール、各リーダーの閉鎖環境でのヘゲモニーの取り方など、各要素がしっかり考えられていて、ゲーム小説として秀逸な出来です。
このジャンルが好きな人は、読み逃しのないように。ただし、『バトルロワイアル』のようにルール(および運営者や審判)と対峙する方向には進まないため、その種のカタルシスは得られません。主人公は熱血度は限りなくゼロに近く、むしろ逃避癖が強い少年です。集団の輪の中になじめず、溶け込めず、家族から、クラスから、逃げたがるのです。
クラスの面子といっしょに閉鎖環境に閉じ込められてもなお、彼は逃避しようとするのです。筋金入り。あるヒロインは彼のことを痛烈に批判します。
「出て来た? 違う、逃げてきたんだろ。密室で他人とコミュニケーションが取れずに、別の場所に逃げてきた。お前は昔からそうだ。嫌なことがあると、そこから移動することだけを考える。解決することなく、ただポジションをずらす」彼は明らかなコミュニケーション不全で、読者のなかには中高生のある時期そういう状態になりかけた人もいるでしょう。言ってしまえば、中二病です。
(略)
「おまえはいつもそうだ。いつも逃げてばかりで、地球を一周するつもりか? そうしたらどこに逃げる? 自分の心の中か? おまえはこの世界で存在はない。心の中の国で存在するなんて、なんて情けない人間だ」
この小説を貫く感性は、何か強大なものへの反骨精神だとか、誰かを守るための燃える心ではなく、徹底的な逃避精神です。社会や他人と相容れない、扉の外へと出て行きたがる、その方が落ち着く心。
小説の登場人物に感情移入する読み方では、この本はあまり楽しめないでしょう。この世界の謎はかなり投げっぱなしで終わっているので、そこも人を選ぶところです。しかし、少し引いた視点から読む人には、良くできたシチュエーションノベルとしてオススメできます。
この小説を巡って、ネット上の評価は賛否分かれたようです。まさしく問題作ならぬ逃避作。最後にこの小説の精神をよく表している部分を引用します。
「小学校三年の頃だった。近所の友達と遊んでいた時、遊びの延長で廃棄された冷蔵庫に閉じ込められたことがある。最初はすぐに出してくれるかと思ったが、いつまでたってもドアが開かない。忘れられたのだと思った。狭く暗い冷蔵庫の中で、私は発狂寸前だった。未だに閉所恐怖症だ」
「ひどいことするのね。それで、どうしたの?」
「泣き疲れ、恐怖で磨り減った頭で、私はこう考えた。この狭い空間が私の国だと。闇の広さが国土で、国民は私だけ。ここは私を守ってくれる空間だと」
「世界で一番小さな国ね」
「国民が一人であるのは、少々寂しいとも考えた。だから、最初に私が見た人間を、国民にしてやろうと考えた」
「ということは、助けてくれた人が、国民となったのね」
「ああ、そいつだけは、たった二人の国民だから、未だにイーブンの関係を続けている。その他の人間は、他の国の人間だった。だから、私の人間関係は、支配するか敵対するか関係を持たないか、それしかなかった」
千人の巫女 VS 無刀!? 『刀語カタナガタリ 第3話 千刀・ツルギ』
刀語カタナガタリ 第3話 千刀・ツルギ(西尾維新)
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史上初かどうかは知りませんが、月刊小説もいよいよ第3巻、四分の一半期を迎えました。無刀の剣士・鑢七花(やすり・しちか)と幕府の奇策士・とがめのラブラブ珍道中、失敬、刀集めの旅は、神の集まる聖地、出雲の地へ。今回も、傍から見れば恋人同士にしか見えない傍若無人の所業の数々。こいつらに負ける剣士がかわいそうです(笑
そのままいけば千人の巫女 VS 虚刀流・鑢七花が始まるところ。しかし戦国の時代であればともかく、一人で千人を相手にするのは、さすがに七花にも想像の埒外。七花はいざとなれば、千人斬り殺すことも辞さないとはいうものの、とがめは幕府の力を後ろ盾に、彼女達をたばねる敦賀迷彩に交渉をもちかけます。それに対して敦賀迷彩が出したお題はとは……?。
今回は、とがめの中の葛藤が焦点です。
七花は父親と姉以外の人間を知らずに育ち、さしたる善悪の区別を持ちません。ゆえに人を殺すためらいもありません。まさに虚刀流という一本の刀。刀は持ち主を選びますが、斬る相手を選びません。剣士でも、女でも、たとえ千人の不幸な女でも、斬れと言われれば斬るでしょう。
1巻、2巻で七花はすでに2人斬り殺してます。七花=刀が斬ったということは、とがめ=持ち主が斬ったのと同じこと。その事実を意識したとき、とがめは刀の持ち主として、どう振舞っていくのか。第3巻は彼女がより一層の覚悟を決めていく話といえるでしょう。すなわち、七花ととがめは、若い恋人同士などではあり得ようはずがない、刀とその持ち主なのですから。
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西尾維新が送る、12ヶ月連続刊行の時代活劇『刀語カタナガタリ 第1話 絶刀・鉋(ゼットウ・カンナ)』
砂漠での対決! 居合VS無刀の『刀語カタナガタリ 第2話 斬刀・鈍(ザントウ・ナマクラ)』
amazon bk1史上初かどうかは知りませんが、月刊小説もいよいよ第3巻、四分の一半期を迎えました。無刀の剣士・鑢七花(やすり・しちか)と幕府の奇策士・とがめのラブラブ珍道中、失敬、刀集めの旅は、神の集まる聖地、出雲の地へ。今回も、傍から見れば恋人同士にしか見えない傍若無人の所業の数々。こいつらに負ける剣士がかわいそうです(笑
「……七花。ごめん、無理だった、連れてって」3番勝負の舞台は、千人の巫女が千本の刀をもつ武装神社。四季崎記紀の変体刀「千刀・ツルギ」は『多さ』をテーマに、千本すべてがまったく同じ形、同じ質、同じ重さ、同じ切れ味を維持しているという、千本にして一本。
「………………えっと……じゃあ、おぶっていけばいいのか?」
「む……そなた、そのような破廉恥な真似をわたしにしろと言うのか?」
「破廉恥?」
「男に後ろから抱きつく姿勢になるであろうが」
「ああ……それがどうした?」
「どうしたもこうしたも……身体が密着するであろう」
「それがどうした。おんぶが駄目なら肩車という手もあるが」
「ちぇりおー!」
「肩車なんぞ余計に破廉恥だわ! おぶうくらいならまだしも、肩車なんぞ、成人した男女のやることではない!」
「え? おれ、島にいた頃は、姉ちゃんとよく――」
「よく?」
「……いや、なんでもない」
(注:地の文を省略しています)
そのままいけば千人の巫女 VS 虚刀流・鑢七花が始まるところ。しかし戦国の時代であればともかく、一人で千人を相手にするのは、さすがに七花にも想像の埒外。七花はいざとなれば、千人斬り殺すことも辞さないとはいうものの、とがめは幕府の力を後ろ盾に、彼女達をたばねる敦賀迷彩に交渉をもちかけます。それに対して敦賀迷彩が出したお題はとは……?。
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かくして彼らはパーティを組んだ 『薔薇のマリアVer0 僕の蹉跌と再生の日々』
薔薇のマリアVer0 僕の蹉跌と再生の日々(十文字 青)
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『薔薇のマリア』の外伝第1巻。
ライトノベルの外伝というのは厄介なもので、本編を読み進めていきながら、いったいどのタイミングで外伝を読んだらいいのか、わからなくなることがあります。本編で語られてないエピソードが外伝で書かれていると、なおさらタイミングは難しくなります。
刊行順で言うと、1巻→2巻→ver0→3巻→4巻→5巻→ver1→6巻→ver2 となります。この順番で読めば、まあそう大きな間違いはありません。しかし、2巻と3巻で話が続いているので、一気に読みたい。となると、1巻→ver0→2巻→3巻という順番がベターでしょう。
時系列でいうとver0→1巻→2巻→3巻なのですが、いきなり外伝から入るのはオススメできません。ver0ではマリアローズとZOOの面々が出会って、パーティに参加するまでのエピソードが物語られますが、ダンジョン物としてより面白いのは1巻なので、そこから入った方がいいでしょう。後に続くエピソードが無いので、読みきり小説と同じく、「とりあえず1冊」読んでみようという感覚で、ライトに読めます。
もちろんver0に「ダンジョン分」が少ないというわけではありません。初心者向けといわれる、光を嫌う鳥人間たちが巣食うアンダーグラウンドD5「メリクル第二迷宮」。亜人ボーグの根城、
amazon bk1『薔薇のマリア』の外伝第1巻。
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時系列でいうとver0→1巻→2巻→3巻なのですが、いきなり外伝から入るのはオススメできません。ver0ではマリアローズとZOOの面々が出会って、パーティに参加するまでのエピソードが物語られますが、ダンジョン物としてより面白いのは1巻なので、そこから入った方がいいでしょう。後に続くエピソードが無いので、読みきり小説と同じく、「とりあえず1冊」読んでみようという感覚で、ライトに読めます。
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